第15話 泣かせた女ー②ー

 他人の恥ずかしい話で笑いを取ってはいけない。私の随筆家としての矜持だ。


しかし残念ながら、夫は他人ではない。

フサイという家族だ。チームだ。お前の恥は俺の恥。俺の恥は俺の恥。

一心同体、一蓮托生、倒れるときは共倒れ。それが我が家のモットーだ。


私が「カクヨムで、エッセイを書こう」と決めた夜、夫・精六さんにこう言った。


あなたのアノ話を書くことになるが、いいですか、と。


当時の私は魔窟かと思われるA薬局出向に頭を悩ませ(第7・8話 石のある家 参照)特に月曜日は動悸で目が覚めるほどで、朝から精神安定剤を噛み砕き、夜は悪夢にうなされ、ストレスを食べる事で紛らわせて太り、天然石を買っては飾り、石の浄化のためにホワイトセージという葉っぱを焚きしめて、天井に設置された「けむぴこ」を盛大に鳴らして反省する、という日々を過ごしていた。

そんな私の姿を見てきた彼は「それで元気になるならなんぼでも書いてええわい」と

言ってくれた。最後の「わい」にやけっぱちを感じつつ“ご本人”に許しをいただいて『精六さん』は生まれた。


今回は、その、アノ話、だ。


精六さんと一緒に暮らして七年と少々。

その期間に彼が正体不明になるまで酔っ払ったのは、四回。

前にも少し書いたが、酒量がある線を超えると急に本人が酒樽さかだる化するのだ。ぐいぐい飲む。あほみたいに飲む。飲んだものがそのまま出てるんじゃないかと

思うほどトイレにもよく行って、帰ってきたらまた、飲む。

有るだけ飲み尽くす勢いで、蟒蛇うわばみという言葉が思い浮かんでしまう。

私が同席していたら止めるのだが、たくさんの仲間で飲みに行って目を離している隙に勝手にウワバミになっちゃってるパターンが、そのうちの二回。

アノ話はその一回目、新婚時代の話である。


その日、精六さんが勤める店舗の売上げ《ノルマ》達成のお祝いが、とある旅館の宴会場

で行われた。そのまま宿泊してもいいように数部屋とってあり、参加者の大半が宿泊する中で、我が家から車で15分ほどで且つ翌日が定休日ということもあって、深夜0時をまわった頃に精六さんからカエルコールが鳴り、迎えに行った。

旅館近くのコンビニ前で、陽気に手を振る夫。両手を挙げてぶんぶん振っている時点でもう

すごく酔っぱらってるのはわかったのだが、結婚して数か月、マックスで酔っぱらっている彼を見たのはそれが初めてであった。


助手席に乗り込んだ彼は、すぐさまシートを倒す。

・・・酒くさい・・・

酒風呂にでも入ってきたのかと思うほど、酒臭い。いま飲酒検問を受けたら車内の

空気だけで私が無実の罪に問われそうだ。


「どんだけ飲んだんさ」

車で寝てしまうと寝室への移動が大変そうなのでとにかく話しかける。

「んふふふふ、聞きたい?」

精六さんはゴキゲンだ。店舗での売上達成というのはなかなか難しいことらしい。

嬉しいお酒はさぞ美味しかっただろう。しかし、これがあと15分続くのかと思うとちょっとめんどくさいが、ここまで酒臭いとその酒量が気になっていた。


まとめると、ビール3杯飲んだあとに地酒をよばれて、上司がウイスキーを飲んでいたので真似して一杯、チューハイも飲んだかな、ビールは全部で8か9かな、もう、

わからへんわ~、ということであった。


なんとか家まで帰ってきたのはいいが、リビングに着いた途端、精六さんの電池が

切れてしまい、床にどてっと転がって寝息を立て始めてしまった。

そんな寒くはない季節だったが、床で寝ると朝がしんどそうなので二階から布団

一式を持って降りてきて精六さんを渾身の力で転がし、布団をかける。

そうこうしているうちに2時になりそうだ。私もその酒臭い夫の横で眠りについた。


それから1時間後くらい、だっただろうか。


私もすっかり寝入っていたのだが、精六さんのモゾモゾする動きで眠りが浅くなった。


目をつぶったまま、トイレかな?と思う私。


スクっと立ち上がる精六さん。


しばし、無音。




チョロ・・・チョロロ・・





・・・・?!待っ!?え?!えええええッ?!


なんと、精六さんがリビングのドアのところで立ちションを始めてるではないか。

その最初のチョロを聞いたときの私の立ち上がりからのダッシュは、ビーチフラッグの選手同等かそれ以上だったかもしれない。被害を最小限に抑えねばならないのでそこにあったコンセントタップなどを手に取り、力いっぱい精六さんの腿あたりを叩く。それでも、止まらない。「嗚呼!?俺はなんてことを・・・!」という覚醒も、無い。

そしてご丁寧にも、軽く膝を屈伸させながらピッピと“振り”まで付けて、終了フィニッシュ

そしてなにごとも無かったかのように、布団に戻って眠り始めた。


一方、私は、である。


コンセントタップを守らんとして、数滴浴び。

彼を覚醒させんと体を叩いたときに、数滴浴び。

いまは、バスタオルを取りに行こうとして、踏み。


とにかく一刻も早く、コンセントタップの口から侵入したかもしれないのを

要らないバスタオルに叩きつけながら除去。

そのタオルを使って水溜まりを拭き、壁を拭き、フローリング用のウェット

シートで拭き、二度拭き、三度拭き。

精六さんも足にかかっていたのでは、と違うタオルをおろしてきで彼も水拭き。

いろんな角度から見て水滴の光がないかを確認し、シャワーを浴びた、朝の4時。


精六さんは、なにも憶えていなかった。


私が出勤前の支度をしていると精六さんが起きてきて

「昨日は、ごめんな」と言う。「の、ごめん?」と訊いたときには

「・・・ワタクシ、ナニか、ソソウをシマシタでしょうか・・・」と顔色を失い、

「え。結局、俺、ナニしたん」「いや、だから、ほんまに、ソソウしはったんやて」と答えたときはもはや変な顔色になっていた。


大丈夫、こんなことくらいでキライになったりせーへんよ。


と優しかった私だが、二回目同じことがあったときにはお酒の飲み過ぎをギャン

ギャン怒った。なにしろ、二回目の“現場”が階段の途中だったからだ。

しちゃったことに関しては、いい。踏んづけてしまったことも、まぁ許す。

しかし飲み過ぎるたびにこれでは、今後いろんなところでポロリと出してしまう

可能性もあるんじゃないのか。階段を踏み外すのも怖い。

だいたいね、飲み過ぎるからこうなるんだよギャンギャンギャンという風に

だいぶ叱ったのが効いたのか、それからトイレを間違うことは無くなった。


ソソウは無くなったが道端で寝てしまうほどの泥酔が

また二回続き、最後の一回は彼の仲間内での飲み会なのに酔いつぶれるわ、

でも帰らないわ、私はまだまだアウェーな場所で恥ずかしいわ、めちゃくちゃ疲れるわで、初めて離婚も視野に入れたほど酷い酔っ払いであった。

そのときはとにかく腹が立ち、その四回目を基準にしてアレを超える酔い方をしたら

キライになるから、と言い渡してある。


そんなある日のこと、彼の実家に泊りに行くことがあった。

義母は料理が好きで、いろんなおいしいものを作ってくれる。

精六さんは決して甘やかされて育ったふうは無いのだが、私たちが泊りがけでお伺い

するときには精六さんのためにビールもたくさん買って冷やしておいてくれる。

たしかその日は焼肉で、精六さんは調子よくビールも5缶目をあけていた。

私が「また!」ととがめたのを見て義母は「残しといても私は飲まへんから、6缶

飲んでしまい」と精六さんに勧めたのを聞いて、私も自制が効かなくなった。


飲ませ過ぎたら「どう」なるのか、義母は知らないのだ(たぶん)。

彼の実家は至る所が畳だ。畳にだら(沁みたら)ドエライことになる

ではないか。

ちらっと精六さんを見たら、もうだいぶ出来上がっているので、アノ話をしても

いいんじゃないかと「リビング放尿事件」を義母に話した。

精六さんも、もう時効だとばかりおもしろそうに聴いている。


すると、予想外のことが起きた。



なんと、義母が、ホロリと泣き出したのだ。



しまった!!仲良くなったと思って調子に乗り過ぎた。



ごめんなさい、お義母さん。



そうだよね、嫁から息子の恥ずかしい話なんて、母親として聞きたくなかっ・・





「死んだお父さん(夫)と、一緒やわ・・・・(ホロリ)」





・・・いま、なんと?





「お父さんも結婚してスグにな、酔っぱらって寝て。

衣紋掛えもんかけ開いて、そこがトイレや思うて

寝室におしっこしはったんや・・・そうか、精六、あんたも・・・(ホロリ)」





ええええ?!

まさかの、美談?!


美談なの、これ?!




いや、私だってお義母さんに叱って欲しかったわけでもないし、息子を嗤って

欲しかったわけでも、まして謝って欲しかったわけでもなかったのだが、

まさかの“感動秘話”登場?!リビング放尿がDNAに組み込まれてるとか誰が

想像できただろうか。


精六さんも笑うに笑えない顔をしている。

義父は52歳で亡くなっている。

古くからの知り合いに「お父さんに似てきたね」と言われることも増えてきた

精六さんだが、よもや、まさか、そんなとこまで似なくても。

こうなると四代目さん以前のご先祖様はどうだったのか気になるところだ。


この話が効いたからかはわからないが、精六さんは正体不明になるまで酔っぱらわなく

なった。ありがとう、お義父さん。

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