第7話 石のある家ー①ー

 勤め先の系列店・A薬局は、新人さんが入っても数か月で辞めてしまうと

噂では聞いていた。

数か月ならまだマシで、初日の昼に「休憩いただきます」と言って外に出かけた

まま二度と戻って来なかった者、一番最短は「明日からお世話になります」と

挨拶に来て翌日出勤してこなかった“マイナス新人”さんも居た。

そのため、1日の処方箋枚数に対してありえないくらい少ない従業員で業務を

まわしていることも風の便りで聞いていた。


主な原因は、一人の薬剤師・X《エックス》さんだ。


彼女の名前を聞いただけで苦い思い出が蘇り、目の端に涙を光らせる別の薬剤師さんを私は知っている。思い出しても怖いんだから、当時はもっと怖かっただろう。

でもなにがどう「こわい」のか見当もつかない。その薬剤師さんも「うまく説明できない」という。


そんな「所詮、他店事ひとごと」だった私に昨年末、異例の辞令が言い渡された。


なんと長年A薬局を支えてきたベテラン事務員数名が、一気に退職を願い出たらしい。

さらに残留した者のうちまた一名が病欠になり、「実質業務不可能」な状況に

追い込まれたので昼間3時間だけA薬局を手伝いに行ってくれ、というものだった。


社長は悪い人ではないが、経営手腕に関しては疑問に思うことも多く、奥に秘めた

性格もまぁまぁ気性が荒く、反論は一切受け付けないワンマンだ。

私が他店に赴くということは私が普段勤めているB薬局が手薄になるわけで、

駒(わたし)をあっちにやってこっちにやっても、もはや詰んでいるのだ。

結局「早く求人を出して採用してくださいね、ほんとのほんとですよ?」くらいしか

言い返すことができず、週に数日だがA薬局に出向することになった。


A薬局で働いてみてわかったのは、薬剤師・Xさんからのイジメではなく

「イビリ」だ。


入力が遅いと人差し指で机をコツコツ鳴らす(入力が遅いのではなく患者さんを呼ぶのが早すぎるのだ)、急かすわりには入力の確認をしない、私がA薬局ルールをうろ覚えのときなどは大きくため息をつかれ、「なんでいま私が怒ってるか、わかる?」と患者さんの前で数分(のように感じただけかもしれないが)棒立ちにさせ

られ、その怒りの沈黙に耐えきれず理由を聞くより先に謝罪したこともある。


極めつけはある日出勤して1分足らずで「社長と笑顔でしゃべるアンタなんか信用できない。気持ち悪い」と敵意むき出しで吐き捨てるように言われたことだ。

つまりXさんはA薬局の大量離職も、求人を出しても問い合わせすらないのは社長の

せいだと思っているので、そんな奴と普通にしゃべってる私を心底侮蔑しているようであった。


さて、ここまで私が悲しくったって苦しくったってレセコン(レセプトコンピュータ)の前では平気だったのかと言えば、まったく平気ではない。


平気なわけがないだろう。


ズタズタである。


特に私を悩ませたのが、悪夢を見ることだった。


これは精六さんにもずいぶん迷惑をかけた。


夜中ふと目覚めて隣を見てみると、私が呼吸を止めてもがいているという。

これはあまり良くない状況なのではと、揺り起こす。そんなのが一晩で何回も、

ほぼ毎日起こっていた。


実際そのときに見ている夢は、息が吐くことしかできず吸えない夢を見ていた。

おびただしい数の小さな羽虫がドアを埋め尽くして部屋から出られないことも

あった。

起こされて「夢だったのか」と安堵するも、息が吸いきれない。

喉の途中で引っ掛かり、肺に空気が届かない感覚が続いていた。


私の上司は無呼吸症候群だろうと笑っていたが、私は真剣に困っていた。

無呼吸症候群の知識は乏しいが、日中もずっと呼吸が浅いなんてことが

あるのだろうか。なにもないのに、心臓が早鐘のように打つだろうか。

しばらく救心を飲んでみたが、なんとも言えない緊張感がずっと取れずにいる。

不安で眠れないとかではない。心も体もクタクタで眠れはするのに、どちらも

ちっとも休まらない。


神経内科を受診することも考えた。

根本的にA薬局に行きたくないと社長に願い出ることも考えた。

もちろん、退職も頭をよぎっていた。


でも、私が行きたくないと言ったら、誰かがこのポジションにつかされるのだ。

代わりの人はもしかしたらXさんとうまくやっていける人かもしれない。

でも、違うかもしれない。


私はまだ悪夢と、呼吸困難だけだ。なんとか乗り切らねば、と思ってるところが

もうすでに病んでいるのだろうが、自覚するのは難しかった。


そこで検索エンジンのバーに文字を打ち込む。


悪夢


そう入力しただけで、ずらっと下に候補が出てきた。


悪夢 ストレス

悪夢 トラウマ

悪夢 原因


・・・どうも違う。次に具体的に打ち込んでみる。


悪夢見たくない


そこにプラスして空白スペースを入れてみたところ、候補順としてはだいぶ下の方に

現れたのが


悪夢見たくない アメジスト


であった。その検索結果をタップしたことを皮切りに、精六さんを“違う意味で”

心配させてしまう事態へと展開していく。

さきに断っておくが、スピリチュアルのススメを書く気はまったくない。

ただ、私が「石に沼った話」にはなる。次回、ようやく「石のある家」本題だ。

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