第5話 知人6年・友人60分・恋人6か月ー④ー

 ちょろい。なんてちょろいんだ、精六さん。

私が美人でいい人だから良かったものの(異論は受け付けない)1時間ちょっと

楽しく飲み食いした程度のよく知らない女にすぐソノ気になってどうするのだ。

まだ口説かれてもいないのに、これから先の精六さんの女運まで心配してしまう。


精六さんは私を見つめるでもなく、手を握るでもなく、前を見据えて話し始めた。


「僕は、辻川さんに、お付、き合いを申し込、んでも、いいんで、す、かね」


緊張で喉がつかえるのか、言葉の切れ目切れ目で無い唾を飲み込んでいる。

落ち着くために一緒にソフトクリームを食べに行ってもいいが、茶化す場面でも

ないし、私にもそれなりの応えが必要なのだが、まず最初に浮かんだのは


「この人と付き合って別れたら、この車を手離さなくちゃいけないなあ」だった。


ちょっと「いいな」と思ってる相手との食事会なら私も答えは一つだっただろう。

しかし、彼には申し訳ないがこの6年間、ほんのこれっぽっちも意識したことが

なかったのだ。さっきの居酒屋で結婚歴がないことと、生家の直系男子には「精」

の字が付くことは聞いた。それだけだ。ご趣味も、休日はなにをして過ごしていらっしゃるのかも知らない。尋ねもしなかった。


新車と“新しい恋になるかもしれないけどいずれ別れるかもしれない男”を2秒くらい天秤にかける。


・・・うん、断ろう。


と思った。いまなら「担当さんとお客さん」を保てる。彼が「ですよねー」と

笑って許してくれたら、今度こそ餃子の王将で待ち合わせて友人としての

お付き合いができそうな気がしていた。


そのときだった。

彼は光の早業でシートベルトをはずし、私にキスをしたのだ。

知人6年、友人60分の私に。


これには少し憤慨した。

体重はともかく、私はそんな軽い女じゃないのだ。体重はともかく。


ここはひとつ、大事なことを確認せねばならん。


「精六さん、私のこと、好きだったの?」


それに対して彼は苦笑気味に「ぜんぜん」と言う。


「・・・聞き方変えるわ。私のこと、今日好きになったん?」


少し怒る私の言葉に対する彼の一言が私の脳を揺さぶった。


「好きになったから付き合うんじゃなくて、

好きになれるか分かるために付き合うんやろ?」


悔しいが、目から鱗であった。

好きで好きでしょうがない片想いを経て、その気持ちを相手に告白し

受け入れてもらって始まるのが「お付き合い」だと思っていた。

私の恋愛観が少女漫画チックであることは認めよう。なにしろ蘭世と

真壁くんの恋を『りぼん』で毎月追いかけていたど真ん中世代なのだ。

まず「好き」ありき。好きでもない人とのチューなんてもってのほかだ。

だいたい「思ってたんと違ったわ」とフられるリスクを背負ってまでなぜ

付き合わにゃならんのだ。


いや、違うか。

「やっぱり好きになれへんかったわ」と言って私がフればいいのだ。

先を越されそうになったらすばやくかわしてカウンターを打てばいい。

それなら車、売らなくて済むな。


かくして、私たちの関係性は「恋人」になった。


それにしてもこうして文章におこしてみると、私は決して軽くはないつもりだが

隙がある女なのだなと気づき、改めて反省した。

結婚八年目、その隙につけ入るヨソモノは現れていない。

車は今秋には9年目を迎え、現在の総走行距離93738キロ。

一瞬、天秤にかけられたことに怒らず、元気に走ってくれている。

彼の口車にノったおかげで。


このタイトルで次回もうひとつだけ書いて、なれそめ編はおしまい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る