2023年6月 京都、鴨川

 ひとりで鴨川に行った。多すぎず少なすぎないくらいに人がいて、ぼんやり思索に耽ることのできる場所に行きたかったのだ。市バスに揺られて30分。降りてすぐにミスタードーナツでハニーチュロをひとつ買い、加茂大橋を渡っていく。私はドーナツが大好き。ハニーチュロとエンゼルクリーム、ポンデストロベリーが三強だ。アイスやジュースによくあるイチゴ味は苦手なのだけれど、ポンデストロベリーだけはおいしいイチゴ味だと思う。河原でのんびり食べようと、トートバッグにドーナツの紙袋を入れ、橋のたもとの階段を降りた。

 6月の蒸し暑い薄曇り。花の香る3月の宵か、からっと晴れた8月の朝に来ればもっと素敵な気持ちになれただろうに。でも雨は降っていないからぎりぎり「可」だ。川岸では、水に足をつけてバチャバチャはしゃぐ子供たちと、それを見守る一組の大人というセットがたくさん幸せそうにしていた。私も川に点々と飛び石のように浮かぶ岩の上を向こう岸までぴょんぴょん飛んで渡った。水底をのぞき込むと川はとても浅く、水は澄んできれい。川岸に座って、はねる水しぶきときらきらひかる水面を長いこと眺めていた。川を眺めながら長いこと座っていて、ながめたい気持ちをちょっと感じたけれど、わざわざ心から言葉を紡ぎだす気分ではなかった。

 長いことひとりで座っていた。男が川岸に座ってなにもせず、ただ楽しそうな人々を、きらめく川面を、眺めていただけだった。言葉の通り本当に何も考えず、何も感じなかった。でも最後がいつだったか思い出せないくらい久しぶりにそんな時間を過ごせたのは良いことだった。もう一度飛び石の上をぴょんぴょん往復し、汗をかいて木陰に座る。何かを食べに行こう。そう思って、スマホで近くにオムライスで人気な洋食屋があることを調べ、歩いて行った。

 その店の前で30分ほど列に並んでいたが、私のほかはみな友達連れかカップルだった。店員に「何名様でお待ちでしょうか」と聞かれて「ひとりです」と答えたとき、ふと虚無を感じてしまうのはいつもと変わらない。

 中に入るとカウンターに案内された。そのあとしばらくして注文のチキンオムライスが出てきた。大きくておいしそうだ。ひとくち食べてみる。うん、おいしい。だが私が30分も待ったのには釣り合わないと感じた。私は食に全くうるさくないのだが、それでもそのオムライスには若干の期待外れ感を抱いてしまった。何というか、いいところの全てをトッピングのチーズが担っているのだ。肝心のオムライスはといえば、ごく普通の、といっても差し支えない味だった。人気の味だという理由をいまいちつかめないままその洋食屋を後にした。

 鴨川の河原に戻ってきてもう一度、全ての思考と感覚を閉ざそうとしたけれど、今度は色々な音や川面の光や何やかやが私の耳に目に飛び込んできて、思考のシャットダウンを邪魔した。さきほどのような平穏な状態は二度と私に訪れなかった。しばらく目を瞑ったり川のせせらぎだけを聞こうとしてみたりしたけれど、私のからだは考え感じ続けることをやめようとしないので、あきらめて帰ることにした。

 アパートに帰ってトートバッグから忘れていたドーナツを取り出す。初めに河原にいたときにも、昼食を食べて河原に戻ってきたときにも、ドーナツを食べなくてよかったと思った。どちらにせよハニーチュロを集中して味わうことはできなかったに違いない。帰ってからひとりぼっちで食べる方が良かったのだ。

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あちこちを旅した男の話 森之熊惨 @sen1you3fu3

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