第3話 ボールペンとフープピアス
まさかの佐藤くん、2度目の来店!ありえない。
今の時刻は19時半過ぎ、閉店まであと少し。アヤからは佐藤くんが夜来店したことは聞いたことがない。
夜に佐藤くんが来店することは奇跡的なことなのだ。
先まで神様なんかいないとぼやいていたが、佐藤くんの姿を目にして考え方は変わる。
やっぱり神様と言うヤツは存在するのかも知れない。
佐藤くんは来店すると、脇目もふらずに雑貨コーナーに立ち寄り、トイレットペーパーとティッシュペーパーをレジカウンターに持ってきた。
めぐみは、平然を装いバーコードをあてた。
予想外の佐藤くんの来店時間に、いつになく鼓動はドキドキとしている。
「井出松で領収書、お願いします。」
佐藤くんが小さな声で呟いた。
まさかの領収書!
めぐみは少し慌てた。
領収書をレジ横から取り出すと、ポケットのボールペンを取り出す。
「ない!」
めぐみは心の中で呟く、取り乱したように周囲を見渡す。
「ない!ない!ない!ないよー!」
心の中で絶叫している。
佐藤くんは至って冷静に無の表情を変えることなく、めぐみを見つめている。
「あった!」
引き出しを開けたり閉めたりと慌てふためく中で、隅にひとつのボールペンを見つける、めぐみは呟いた。
とんだ冷や汗をかいた。
めぐみはホッとしたように領収証に井出松と書き始めると、更なる不幸が襲ってくる。
書けない!インクが出ないのだ!
誰のボールペンかも分からない、隅に置き忘れたボールペンにありがちな出来事に、めぐみは顔面蒼白状態。
崩れ落ちそうな状態だった。
もはやすべきことはない。
めぐみはインクの出ないボールペンを持ったままフリーズした。
せっかく佐藤くんが夜に来店してくれたのに。
せっかく佐藤くんとわずかなやりとりができるチャンス。
佐藤くんはきっとイライラしているはず。
レジカウンターで領収証を待っていた佐藤くんは、ボールペンを持ち憔悴しきっためぐみに小さく声をかけた。
「これ、どうぞ」
オイルで汚れた手には、黒いノック式のボールペン。
めぐみは顔をあげて佐藤くんを見つめた。
お互いはじめて、目と目を合わせた。
「カッコいい・・・」
めぐみは自分自身のおかれている最悪な状況を忘れて心の中で呟いていた。
佐藤くんの差し出したボールペンを握りしめて、ありったけの丁寧な文字で株式会社 井出松と領収証に記載した。
「ありがとうございました!」
領収証を渡して、ボールペンを再び佐藤くんに返すと佐藤くんはチラッとめぐみを見ながら言った。
「それ、粗品だからあげるよ。まだ、ボールペン使えないと困るでしょ。」
めぐみはボールペンを持ちながら、笑顔を佐藤くんに見せて言った。
「本当に、ありがとう!」
少し照れくさそうにはにかみ、軽く左手をあげて挨拶をすると自動ドアが開き、ガソリンスタンドへ戻って行った。
佐藤くんがめぐみに渡した黒いノック式のボールペンには、金色で井出松と刻印された粗品のボールペン。
多少、佐藤くんが使用した形跡が残り金色の井出松が掠れている。
使用していたからこそ、書き味も良いボールペンだった。
めぐみは、佐藤くんが渡した粗品のボールペンをギュッと握りしめて幸せの余韻に包まれていた。
佐藤くんがくれたプレゼント。
プレゼントしたつもりは到底ないが、めぐみにしてみれば、
最高のプレゼント。
たった1人の存在が、その日を変える。
楽しくも、つまらなくもする。
あの日から佐藤くんの態度が大きく変わることはない。
ただ、めぐみは少しだけ佐藤くんにアピールするようにエプロンの胸ポケットに佐藤くんがくれた粗品のボールペンをさしている。
1日に何度となくボールペンの存在を確認している。
まるで高級ボールペンでもさしているように紛失しないように注意をはらっていた。
佐藤くんも同じように粗品のボールペンを胸ポケットにさしている。
さりげなくお揃い。
いや、きっと井出松のボールペンを胸にさしている人は佐藤くんだけじゃない。
他のスタッフもきっと使っている。
だが、フレッシュマートで井出松のボールペンを使っている相手は、めぐみだけだ。
少しだけ嬉しく感じた。
佐藤くんとお揃いにしていることは、粗品のボールペンだけじゃない。
実は、佐藤くんと同じく左耳にピアス穴をあけた。
そもそもめぐみはピアス穴を開けていなかった。
佐藤くんが気づいているかは、定かではないが、佐藤くんと同じ左耳にだけひとつ、佐藤くんと同じシルバーカラーのフープピアスをしている。
ピアス穴をあけたところで何かがかわるわけじゃない。
ただの自己満足にしかならない。
それでも、佐藤くんとお揃いのピアスを同じ場所にしているだけで幸せを感じることができる。
恋は些細なことで喜べて些細なことで落ち込むもの。
相変わらず変わらない2人の関係
新しい年が訪れる。
年始を過ぎて、正月休みの余韻さえ感じることがなくなると、いつもの日常が戻ってくる。
相変わらず佐藤くんは午後15時にフレッシュマートに来店する。
相変わらず購入する商品は同じだ。
そして相変わらず、愛想がない。
ガソリンスタンドは、1月18日から
改装工事の為、一週間休みになる。
その休みを使い、ガソリンスタンドの仲間数人はスキー旅行に出かける。
中山と付き合い同棲生活をしているアヤが、めぐみに教えてくれた。
アヤも中山にスキー旅行に同行する。
アヤは、めぐみも一緒に参加しないか声をかけてくれたが、一週間も2人してバイトを休むことは、めぐみにはできない。
何よりも、そのスキー旅行に佐藤くんは参加していない。
だとすればスキー旅行に参加する理由が何ひとつない。
結局、めぐみはアヤからシフトの代わりを頼まれ、穴埋めすることとなった。
ガソリンスタンドが改装工事中は、もちろん営業することもない。
ガソリンスタンドの前を自転車で通り過ぎても、ロープチェーンが張られていて、いつものように電気はついていなかった。
改装工事を請け負うトラックと、事務所あたりにひっそりと明かりが灯る程度。
改装工事中は、佐藤くんと会えない。
だとすれば、一週間もアヤの代わりに出勤することが馬鹿らしく感じる。
めぐみにとっては地獄のような一週間だと思えた。
午後0時、13時、もちろんガソリンスタンドのスタッフは誰ひとり来ない。
午後15時、佐藤くんは来ない。
めぐみは、ため息を溢した。
分かっていたことだが、テンションが下がる。
落ち着いた店内で、めぐみは淡々と作業をこなしていた。
夕暮れ午後6時過ぎ、空は藍色に染めていた。
店内には数人の買い物客がいた。
めぐみは、レジをこなしていた。
再び、来店客を知らせるチャイム
ピンポーン、ピンポーン
レジを通しながらチラリと目を向けて、声がけをしためぐみ。
「いらっしゃいませ」
来店客はチラッと、ほんの一瞬だけ目を向けて雑誌コーナーに向かった。
ふわふわのファーフードが付いたカーキのMA1。
黒のタートルネックに黒色のチノパンを入っていた茶髪の男は、左耳のピアスをしていた。
見覚えのあるシルエット。
「佐藤くん?!絶対、佐藤くんだ!!」
足早に向かった雑誌コーナー。雑誌を手に取ると、いつもより長く立読みをしている。
防犯ミラー超しに見つめる後ろ姿。
私服姿の佐藤くんに間違いない。
接客対応に追われながらも、めぐみは佐藤くんの存在が気になって仕方ない。
ざわざわとしていた店内が一気に静まると、佐藤くんはまだ雑誌コーナーで立読みをしていた。
店内に佐藤くんの後ろ姿をミラー超しに見つめる、めぐみ。
店内に2人だけ。
それがやけにロマンチックな空間に感じる、めぐみだった。
会話をしなくても、佐藤くんと一緒にいる空間は幸せで落ち着く。
佐藤くんは満足したように雑誌を閉じて本棚に戻すと、
素早く大きなコッペパンのピーナツ味をいつものように手にとり、レジまでやってきた。
「いらっしゃいませ」
佐藤くんが目の前に立つと緊張する。
佐藤くんは後ろ姿や遠くで見つめている程度が一番落ち着く。
「ラーク・マイルド」
佐藤くんはいつものように呟く。
いつもと違うこと、やたら佐藤くんは、めぐみを見ていた。
佐藤くんの目線は、めぐみの左耳を見ていた。
「あっ!やばい・・・今日、髪の毛を一本に結っていたんだ!」
めぐみは、心の中で呟いた。
普段はセミロングの髪を束ねることなくストレートスタイルで仕事をしていたが、今日は品出しやポップ作りやらで忙しく髪の毛が邪魔になり束ねていた。
まさか佐藤くんが左耳に目線を向けるとも思わず。
当然ながら佐藤くんがめぐみの左耳のピアスに対して何か言うわけもなく、ラークマイルドを受けとると無言のまま、いつものように愛想なく静かに店内を後にした。
「まずかったかな・・・ピアス、気づいたかな・・・」
めぐみは佐藤くんが店を出た後、悶々とした気持ちでいた。
さすがに左耳だけに一ヶ所、それもシルバーカラーのフープピアス。
どう考えても佐藤くんとお揃いだとしか思えない。
佐藤くんが何か言葉を発するわけでもないから、何を考えていたのか分からない。
もしかしたら嫌悪感を抱くかもしれない。
粗品のボールペンをまだ胸ポケットにさして使っていること。
佐藤くんと同じ左耳だけに
一ヶ所同じシルバーカラーのフープピアスをしていること。
一方的な行動や思い込みで二人の関係が変わるわけはない。
ただ、少しだけ、ほんの少しだけ、めぐみなりのアピールだった。
そろそろ、何等か佐藤くんに感じてほしいと思っていた。
それでも、告白する勇気はもてなかった。
ただ、さりげなくアピールすることで感じ取ってほしいと思っていた。
それは、めぐみの自己満足。
言葉にしなきゃ、きっと何も伝わらない。
感じることはできない。
ガソリンスタンドが改装工事中、佐藤くんは毎日出勤していた。
ガソリンスタンドの一番隅にある場所
コックピットルーム
ポツリと明かりを灯して一人で納車された車の整備作業している佐藤くん。
佐藤くんはフレッシュマートに毎日来店した。
制服の日もあれば、私服の日もある。
来店時間は午後の日もあれば夕方過ぎ、時には閉店まぎわもある。
ただ言えることは、改装工事中、佐藤くんもめぐみも互いに出勤していた。
佐藤くんと会えない悪夢のような一週間は、
佐藤くんと幸せすぎる一週間に染まっていた。
明日からは、通常営業がスタートする。
佐藤くんと会える特別の一週間は、今日で最後だった。
結局、何ひとつ会話をすることもなく、何ひとつ変わらない。
今日、日曜日の勤務が終われば、また再び変わらない日はスタートする。
めぐみは、佐藤くんともっと近づきたいと考えていた。
もし、今日、佐藤くんがフレッシュマートに来店しなかったら、きっと二人に縁はない。
もし、今日、佐藤くんがフレッシュマートに来店したら、きっと二人には縁がある。
めぐみは透明のOPP袋に小さな袋チョコとメモを詰めた。
土曜の夜、勤務が追えてから悶々と何時間も費やして考えた作戦・・・
改装工事最終日の日曜に佐藤くんが来店しなければ意味がない。
もしかしたら、最終日だけあり佐藤くんは休日かもしれない。
めぐみは勤務しながら、そわそわとして落ち着かないように何度となくガラス扉から、通りを見つめていた。
15時、佐藤くんは来店しない・・・・
18時、佐藤くんは来店しない・・・・
やっぱり、佐藤くんとは縁がないのだろうか・・・
今日にかぎって佐藤くんは来店しない気がした。
ピンポーン・・・ピンポーン・・・
閉店近い19時40分、一人の男性が来店した。
そう、私服姿の佐藤くんだった。
一瞬だけレジに立つ、めぐみを見て再び雑誌コーナーに向かった。
「い、いらっしゃいませ」
めぐみはいつになく心臓の鼓動が早い。
待ちに待った相手を目にすると心臓が急激に痛くなる。
待っていたはずなのに・・・・
めぐみは自分自身を落ち着かせるように手を胸に押し付けた。
冷静に作業なんて出来ない。
めぐみはレジカウンター内でワケもなく行ったりきたりを繰り返しては、理由もなくペン縦を揃えたり、カウンターに並べている和菓子を並べ直したりしていた。
防犯ミラーを時よりチラリと何度も佐藤くんを確認していた。
20時閉店時間近く、店内に来店客はいない。
そろそろ、閉店準備に入る為に通りに並べている商品を中に入れたいところ。
レジ点検作業や日報も記入したい。
だが佐藤くんが店内にいると思うと、めぐみは何ひとつ手につかない。
通りに並べている商品を店内に入れ始めたら、
佐藤くんに帰れアピールをしているように感じてしまう・・・
普段なら何も考えずに閉店準備を進めているのに、相手が佐藤くんとなれば話は別だ・・・
妙な冷や汗がでてくる。
佐藤くんは5分程度マンガ雑誌を読み満足したようだった。
いつものように、すばやく缶コーヒーを1本と大きなコッペパンを手にとるとレジカウンターにやってきた。
「いらっしゃいませ・・・・」
チラリと佐藤くんを見つめて、普段より妙に明るい声で挨拶をした。
佐藤くんは相変わらず目を合せるわけでもなく、無反応だった。
心の動揺を隠すように冷静を保ちながらレジスキャンを通すと金銭授受を交わす。
佐藤くんに釣り銭を渡し、佐藤くんが購入した商品の上に素早くOPP袋に詰めた袋チョコをのせた。
「これ、試供品です!!!良かったら、どうぞ!!!」
気合が入りすぎてだろうか、めぐみは少し圧をかけるように佐藤くんに手渡した。
佐藤くんは少々驚いたように、目線をめぐみに向けて返事をした。
「あ、はい、、ありがとう」
どうしても、佐藤くんに受け取ってもらう必要があった。
佐藤くんが店内を後にしてすぐに、めぐみはレジカウンターにもたれかかって大きく深呼吸をした。
「やばい・・・緊張した!!」思わず声がもれる。
透明のOPP袋に入れた小さな袋チョコレートは試供品ではない。
メモを渡す為のオマケにしか過ぎない。
さすがにメモを直接渡す勇気はない・・・
淡いピンク色のメモは、めぐみなりのラブレターだった。
長々と思いを言葉にするラブレターは重すぎる。
メモ用紙に必要な言葉だけ記載した方が何となく軽い気がしていた。
「いつもお疲れ様です。寒いけど、頑張ってください」
短い文章に、めぐみはLINEアドレスと電話番号を添えてOPP袋の中に入れた。
考えすぎて何を伝えれば良いか、何を書けば良いか分からなくなっている。
好きです!という言葉を伝えると答えを求めているような気がしていためぐみ。
曖昧なら、多少気まずさを感じても佐藤くんはフレッシュマートに来店することはできる。
気まずさは最初だけで、日数が過ぎれば、きっと曖昧なまま何もなかったような関係に戻れる。
白黒をはっきりしようとすれば、振られたときのショックは大きい。
佐藤くんが店内を出てから、
告白した余韻に浸る時間もなく閉店作業に追われていた。
ただ、頭の中では佐藤くんのことばかり考えていた。
何故だろう、
まだ心臓の鼓動が早い・・・
全ての作業が終わりシャッターを閉め、店内の照明を落として裏口の扉を開けた。
薄暗い裏庭の自転車置き場。
めぐみは真っ暗な空を眺めて再び大きく深呼吸をした。
冷たい北風が今夜は心地よく感じる。
カゴにバッグを入れた・・・・
佐藤くんは明日から来店してくれるのだろうか?
佐藤くんはメモを読んで何を感じてくれたのだろうか?
次々、頭によぎる。
渡さなきゃ良かった・・・と思うかもしれない。
でも、きっと、どんな結果でも最終的には良かったと思える気がした。
何もしない後悔より、何かした方が少しだけ夢は見れる。
大きく深呼吸するめぐみに小さい声が聞こえた。
「あの・・・」
めぐみは、恐る恐る背後から聞こえた小さな声に気づき、
ゆっくり振り返った。
「さ、佐藤くん・・・・・・・」
驚きのあまり、めぐみは初めて本人を目の前にして「佐藤くん」という名前を呟いてしまった。
佐藤くんは、軽く頭を下げた。
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