或る街の群”青”

 俺がそれに気づいたのは偶然だったのか、必然だったのか。


「……おっ、とっ」


 川沿いの平らな砂利道。アオイ先輩が転びそうになったのを見た俺は、彼女に近づいて声を掛けた。


「大丈夫ですか?」

「うん……ありがとう、平気だよ」


 俺はサバイバルナイフを持っているし、アオイ先輩は折れた剣を持っている。どちらも抜き身の状態で、客観的に見ると剣呑な空気に見えるかもしれないな、とつい思ったが、果てしなくどうでもいい。

 まだ、こうやって武器を持ち歩くのに慣れていないことによる違和感がそう思わせたのかも知れない。


 それよりも、アオイ先輩のことだ。砂利だらけとはいえ、こんな地形で躓くのは珍しい。

 彼女は運動神経が良く、凸凹と歩きづらい岩場だろうと、落ち葉で滑りやすそうな坂道だろうと、平気な顔ですいすい進む。

 何日も歩き続けているが、ここまではっきりと転びそうになったのを見たのは、最初の洞窟から降りる時以来だ。


「……?」


 隣り合って歩くアオイ先輩の顔を横目で見ると、どこか違和感があった。

 いつものように柔らかい微笑みを浮かべているが、顔色がほんの少し悪いような。


「アオイ先輩」

「なに?」

「体調、悪かったりしませんか?」

「……ばれたか。実は、生理が来ちゃってます」

「!」


 彼女は簡単に自分の状態を教えてくれた。


 当たり前……とは言ってはいけないのかもしれないが、俺は女性の身体の仕組みに詳しくない。お腹が痛くなるとか、憂鬱な気分になるとか、そういった話はネットで見かけたことはあるが、俺が男である以上、自分ごととして捉えるのはどうしても無理な部分がある。

 それに、俺に女友だちはいなかった。特に、デリケートなことすらあけすけに話題にできるくらい、仲の良い女友だちは。


 要は、女性が生理になった時、男としてどうすれば良いかが全く分からなかった。


 だからといって、何もしないというのは駄目だ。

 てへぺろ、とでも言わんばかりのニュアンスだったが、彼女の体調が悪いことは確定している。このまま歩き続けるなんてありえない。


「アオイ先輩。今日は、休みましょう」

「え? いいよ、歩けないほどじゃないし」

「駄目です。無理する意味が無い」


 今、俺たちは、終わりの見えないサバイバルをしている。ほんの少しの体調不良でも、リスクだと捉えるべきだ。

 少し過剰なくらいで良い。急いでいるわけではないのだし、なんならこの場に数日滞在したって構わない。

 そして何より、アオイ先輩の不調は絶対に無視できない。


「うーん……。分かった。心配してくれてありがとね、レンっ、くん!」

「うおっ!? あ、危ないですよ、アオイ先輩!」


 いきなり俺に抱きついてくるアオイ先輩。お互い刃物を持っているので危険な行為ではあったが、幸せ成分的な何かが俺の身体を駆け巡り、まあ良いか、と思ってしまった。


 このところ、彼女のスキンシップが非常に多くて困っている。主に、俺の心臓が。

 いや、うん、めっちゃ嬉しいのですが、色々な意味で身体が持ちません。色々な意味で。


◇◇◇


 アオイ先輩は『軽い方』らしいのだが、不調であることに変わりは無いので食料調達など全て俺が受け持つと言うと、「レンくんは『重い方』だねぇ」と微妙に皮肉めいたことを言われてしまった。


 悪い癖とは、なかなか抜けないものだ。その辺りの注意を受けたと解釈した俺は謝ったが、彼女にも謝られてよく分からない雰囲気になってしまう。


 とりあえず、いつものように役割分担はするという流れになり、俺はボウガンとサバイバルナイフを持って川へ、彼女は折れた剣と空にした革袋を持って森に向かった。


 ”七色の森”の出来事で、この世界に”モンスター”が存在すると分かってから、アオイ先輩と離れるのに強い抵抗感を覚えるようになった。


 これまでに、通常の森で”モンスター”と出会ったことは無い。獣はいたし、襲われたこともあったが、明確な殺意を持った生物と遭遇した、という経験は皆無である。


 万が一のことがあったとしても、彼女は頭が良いし、身体能力も高い。”サバイバー”という、『危険なモノに黒いモヤが掛かって見える』能力もあり、判断は瞬時に行える。逃げるくらいのことはできるはずだ。


 この森に危険は少ない。経験上、そう考えて良い。なのに、心のもやもやは残り続ける。


 確かに俺は『重い方』だなあと自虐する。

 だが、それでも。

 ここは間違い無く異世界で、元の世界ではありえないような危険が存在するのは確かなのだ。ならば俺は、アンテナを立て続けておかなかればならない。


 全ては、アオイ先輩を助ける為。守る為。支える為。


 その為に俺は、この異世界に『適応』する。


『重い』かもしれないが、この考えを変える気は、今は無い。少なくとも、このサバイバル生活が終わるまでは。


 とはいえ、現実的にアオイ先輩と四六時中一緒に居続けるなど無理だ。アオイ先輩の意志だってあるのだから、俺の『重い』を押し付けるわけにはいかない。これは、一人で抱えておくべき案件である。


 ボウガンの引き金を引く。当然、”ハンター”は発動させている。発射された矢は水中に吸い込まれ、しばらく待つと、矢の刺さった魚が浮いてくる。

 同じ作業を四回繰り返し、本日のメイン食材の調達は終了した。


◇◇◇


 夕食を摂り終えた俺たちは、テントで座ってゆったりと雑談していた。

 本来一人用のテントだと思われるので、距離が結構近い。しかし、慣れとは恐ろしいモノで、最初期の頃のドギマギっぷりはとうに消え失せ、こうして普通に、リラックスして会話できるようになっていた。……結構嘘ですすいません。


「──というわけで、明後日には良くなると思うから」

「分かりました。教えてくれてありがとうございます」


 生理についての軽いレクチャーを受け、明日もこの辺りでゆっくり休むことを決定した。


「ううん。こっちこそ本当にありがとうね、レンくん」

「……あ、いや、気にしないでください」


 アオイ先輩が浮かべた笑顔に見惚れ、つい呆けてしまっていたがなんとか言葉を返す。


「どうしたの?」

「……なんでも、ないですよ」


 恥ずかしくて言えないっす。

 俺は思わず顔を背け、頬を掻いた。


「……どーん!」

「おわっふ!?」


 いきなりアオイ先輩が俺の胸に飛び込み、顔、肩、胸など、まるで猫がマーキングするかのように頭をこすりつけてくる。


「な、何してはるんですか?」


 はる?


「マーキングです」


 当たってたわ。だからなんだと言う話だけど。


 それよりも、心臓はバックバクで体温は急激に上昇している。後、男としてのアレな欲求が湧き上がってきている。こんな密着した状態だと非常にマズイ。バレかねない。バレちゃいけないものがバレかねない。なのに引き剥がせない。アオイ先輩の身体が、心地良すぎて。


 そろそろ本格的に、物理的にマズイぞ。といったタイミングで、アオイ先輩は離れてくれた。

 ナイス過ぎる。良かった。危ないところだった。

 そう、安堵したのもつかの間。


「ねえねえレンくん」

「は、はい…?」

「ちゅーしたい。ちゅーしていい?」


 ああああああああああああああ性欲うううううううううううううううう!!!


 離れた、とは言っても、俺の首に両腕を回し、顔と顔との距離はセンチ単位だ。そんな状況でそんなことを言うものだから、BOMBしかけた。


 本音を言うと、めっちゃしたい。狂おしいほどちゅーしたい。いや、ぶっちゃけそれ以上したい。しばらくは無理だろうけど。身体は正直なもので、ありとあらゆる箇所が前進したがっている。髪の毛も。誰の名言だっけ。いやどうでもいい。


 しかし。しかしだ。


「……だ、駄目ですよ。俺たち、付き合ってもいないのに……」


 未だ、返事ができていない。それが済んでからでないと、その先に進めない。


「えー」

「えー、じゃない。……順番ってものが、あるでしょう」

「……レンくんは、やっぱり善い人、だね」


 そう言うとアオイ先輩は、俺から離れる。名残惜しくもあり、安堵感もあり。俺は一つ、息を吐いた。

 ……『善い人』、か。そういうわけじゃない気がするんだけどなあ。


「……その……アオイ、先輩。俺は──」

「寝よっか」

「……はい」


 明らかにはぐらかされたが、俺は黙るしかなかった。

 結局は、煩悩まみれだったからだ。こんな状態で、仮に付き合えたとしても、相手のことを考えずに自分の肉体的な欲求を優先させる未来しか見えない。


 もしかするとアオイ先輩は、俺に試練を与えているのかもしれない。こうして俺を悶々とした状態にさせ続けることで、精神のコントロール能力を鍛え上げるという試練を。

 だとしたら俺は、頑張っていると言える。それはもう、死ぬ気で。


 ただ、恐らく乗り越えられないだろうな、とも思う。

 このところのアオイ先輩が、本当に魅力的すぎるからだ。世界で一番、と言っても過言では無い。

 きっかけは間違い無く、くるくるした時だ。あの時のアオイ先輩の笑顔が、俺の心を完全に射抜いてしまった。


 無理だろうが、頑張るしかない。頑張り続ければ、きっと次のステージに入れる。その時が、アオイ先輩に想いを伝える最適なタイミングだ。

 そうやって自分を無理やり納得させ、彼女に背中を向けて寝る体勢を取った。


 そして俺は、背中をもぐもぐされ続けた結果、ゆっくりとテントを抜けた。……今後どうすんの、これ。

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青先輩は異世界でもよく笑う 名もなきジョニー @nameless-jonny

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