interlude

i-1.”奴隷”と”奴隷”1

 ――心地良い温もりに包まれている。


 ——声が、聞こえた。


 ——私は、レンくんのモノだから。

 ――誰にも、渡さないでね。


 ――俺は、答えた。


 ――それなら俺は、アオイ先輩のモノです。

 ――誰にも、渡さないでください。


 ──。


 ────。


 ───────。




◇◇◇


 下半身から感じる激痛と共に、俺は意識が一気に覚醒し、上半身を起こした。


「いっ……」


 っっってぇ。

 マジで痛い。ズキン、ズキンと、心臓と連動しているように痛む。何だこれ。何が起こった?


 と、考えた瞬間、前日の記憶が全てフラッシュバックした。


「……………………」


 そうだった。

 俺は、人を殺したんだった。


 


「アオイ先輩……!」


 彼女はどこだ。どこに行ったんだ。

 俺の側に彼女がいないのはおかしい。いつもなら、俺よりも遅く起きるはずの彼女が。


 毎朝川で顔を洗い、朝食の準備をしている頃に彼女は起きてくる。魚を獲ったり捌いたりするのは俺、焚き火の準備をするのは彼女、という役割分担になっており、これはここ最近の俺たちのルーティーンになっていた。


 昨日のことがある。いつもの朝、から逸れているのは当たり前だ。

 分かっているのに、不安で不安で仕方がない。彼女の現状を把握できていない状態だからか。それにしても、焦り過ぎではないのか。


 ズボンは履いていない。パンツとインナー姿だ。手当てをした後、そのまま眠ったからだ。巻かれた包帯は血がにじんで真っ赤に染まっている。

 頭も身体も重い。少し火照っている気がする。怪我が原因かもしれない。動くのが少し億劫だ。


 関係無い。アオイ先輩を探さないと。一刻も早く。そうしないと、この底知れない不安から開放されない。


 俺は、痛みを我慢しつつ横に置かれていたズボンを履き、ゆっくりと這って外に出た。


 俺たちは昨日いた場所から移動している。あのキャンプ地とは別の少し開けた場所だ。

 陽はすでに高く昇っており、その隣にどうんと”アイテール”が付き従っている。

 川は近く、耳を澄ますと水の流れる音がかすかに聞こえる。

 しかしアオイ先輩の気配が無い。


 探さなきゃ。どこを探せば良い? 川? 森の中? それとも――。

 考えている場合じゃない。一つ一つだ。まずは一番近い川。


 俺は、立ち上がろうとした。


「あっっつっ……!」


 脚に力を入れた途端、耐え難い激痛が走る。

 まずい。本当にまずい。

 これではまともに歩けない。アオイ先輩を探しに行けない。

 この怪我は、最悪だ。

 太ももの端の肉を抉り取られている。あのクソ野郎の言っていた『光矢』によるものだ。

 俺を殺す気は無かったのだろうが、完全に歩けなくさせるつもりで撃ったのだと改めて理解し、じわじわと怒りが込み上げてくる。


 俺は、近くにあった木の枝を拾い、思いきり噛み締めた。両手を支えにゆっくりと起立を試みる。


「……ぃぃぃぃぃぃっっっ……」


 我慢。超我慢。我慢大事。

 歩けないと話にならない。頑張れ俺。こんな痛みに負けるな俺。

 アオイ先輩を探す。アオイ先輩を探す。アオイ先輩を探す。その為にまずは立つ。立ってみせる。絶対に立つ。


「レンくん!? 何してるの!?」

「っ!?」


 踏ん張っているところに声を掛けられ、俺は咥えていた木の枝を取り落とし、よくわからない体勢で一瞬固まってしまう。


「いぃっ……!」


 我慢した分の痛みが一気に襲いかかってくるような感覚。どうにもできず、そのまま倒れ込んでしまった。


「ダメだよ! 今は休んでないと!」

「……アオイ……先輩……」


 ああ。本当に、良かった。


 アオイ先輩だ。ちゃんと、いる。

 両手には水筒とペットボトル。どうやら、川に水を汲みに行っていただけらしい。

 素早くその場にそれらを置き、俺の元に駆け寄って上半身を支えてくれた。


「テントに戻ろう? 私が全部やるから」

「……すいません……ありがとうございます」


 指示に従い、彼女に支えられつつゆっくりとテントに戻った。


◇◇◇


 俺は、とてつもなく安堵していた。同時に、何故ここまで過剰に心配してしまっていたのかと、改めて自分の感情に疑問を持った。

 既に危機は去っている。起きた時の状況からして、アオイ先輩はただ単に俺より先に起きて、やるべきことをやっていただけだと容易に想像できる。


 思えば、昨日の時点から何か変だった。

 俺たちはアイツらを殺した後、キャンプ地に残っていた使えそうな物を全て奪ってこの場所まで移動した。

 その後、奪った荷物に含まれていた包帯を使ってアオイ先輩に手当てしてもらい、そのまま眠った。

 そこまでの記憶はしっかりある。なのに、それが他人ごとのように思えてしまう。

 全てが自動的だった、と言うべきか。

 歩けないほどの怪我しているはずなのに平気で歩き続けて。

 まるで、すべきことを淡々とこなすだけのロボットと化していたかのようだった。


 俺は、少しおかしくなっているのではないか。

 自分の心が分からない。

 そもそも、何故俺は殺人を犯したことをここまで軽く捉えてしまっているのだろうか。

 殺しました、そうですかと、ただ事実だけを淡々と受け止められている。


 そして、疑問が浮かんでなお、何も思わない。どうでもいい。

 ただ、アオイ先輩がいればいい。彼女さえ助けられれば、彼女さえ守れれば、それ以外は何もかもがどうでもいいことだと、俺は今思っている。

 何かがおかしいが、どうでもいい。そんな奇妙な感情が、俺の心を満たしていた。


「レンくん、出来たよ」

「……ありがとうございます」


 入り口を開けていたテントの外に、アオイ先輩がぬっと現れた。煙立つ器を持っている。はつらつとした笑みを浮かべているが、その目の下には隈が濃く顕れている。

 俺は上体を起こし、アオイ先輩は俺の隣にちょこんと座る。その様子がなんだか妙にかわいらしく見え、思わず抱きしめたくなった。


「ふー、ふー。はい、あーんして」

「……」

「あーん」


 やりたいのね。そうなのね。良いけど。

 いい笑顔で俺の口にスプーンを持ってくるアオイ先輩。観念した俺は口を開け、スプーンを咥える。

 美味い。シチューだ。昨日の今日ではあるが、料理に罪は無い。食べることは良いことだ。

 それに、少しでも脚の痛みを和らげる為に、良い感情で上書きしていきたい。その方が回復が早まるかもしれないという、いわゆるプラシーボ効果を狙っていた。


「……アオイ先輩も食べないと」

「……私? あ、そうだった」


 本当に自分の存在を忘れていたかのように、きょとんとしていた。


「レンくんに食べさせ終わったら私も食べるよ」

「いや、一緒に食べましょう。ほら、持つんで自分の分も取ってきてください」

「えー。……うーん、分かった」


 心底残念そうにしつつも、俺の言うことに従いテントの外に出る。すぐに戻ってきて、俺と一緒に食事を摂るといういつもの光景に収まった。

 俺もアオイ先輩も、どこか変だった。


◇◇◇


 朝食を摂り終え、俺は動くなと念押しされたので横になっていた。アオイ先輩は「少し散歩してくるね」と言って出ていった。ここでも俺は過剰な心配をしてしまったが、無理やり抑えつけて送り出した。


 手持ち無沙汰なので、持っていた小説を最初から読み直していた。ただ、どちらかというとうずく痛みと考え事の方に意識が向いてしまい、内容は全く頭に入ってこなかった。


 アイツらが言っていたことだ。村には後一日かそこらで到着する。この脚だともっと時間が掛かるだろうが、兎にも角にももう少しでサバイバル生活は終わるのだ。

 未だ国名が分からないが、この国では”ドリフター”という存在が認知されていて、保護活動も行われている。流石にあの状況で嘘を吐く意味は無いので、信用に値する情報だと言っていい。

 村にさえたどり着けば、俺たちは助かる。それはほぼ確定だ。


 ただ、その後はどうなるのか。

 王都まで、アイツらとは違うまともな人間が護衛してくれたとする。そして、衣食住が提供されたとする。


 なら、その後は?


 この”アーエール”で永住することになるのか。となると、地球に戻る方法が存在しないということになるのか。

 ここが異世界であると認めた時点から、考えていたことではあった。戻れるのなら戻りたいが、まず無理だろうなと、どこか諦めの境地に達して締めた記憶がある。


 アオイ先輩はどう思っているのだろうか。

 帰りたいのか、帰りたくないのか。

 思えば、はっきりとは聞いたことが無い。


 そんなことを考えていると、アオイ先輩が戻ってきた。思ったよりも短い時間だった。


「……来ちゃった」


 いや彼女か、というツッコミをしなかった。できなかった。なんでだろう。


「……」

「……ぷんすか」

「ぷんすかって」

「面白い?」

「そこそこ」


 そういうやりとりをしつつ、アオイ先輩は俺の隣に寝そべり、まるでそうすることが当たり前であるかのように、俺の上半身に自分の上半身を斜めに重ねてきた。

 俺も、何も考えず彼女の背中に手を回した。


 ……慣れてきてない俺?

 

 いつものごとくアオイ先輩の身体は温かく、柔らかく、気持ちいい。特に身体に押し付けられる胸の感触は至福の一言に尽きる。

 いや俺は男なんだからしょうがないだろと誰に対してか言い訳をし、なんとなく背中をさする。服越しに例のあれの感触を感じるが、気にしないことにする。

 アオイ先輩は俺の鎖骨付近をもぐもぐしてくる。ついに寝る時以外にもやってくるようになっちゃったよこの人。


 本当に、甘々だ。


 それにしても、温かい。少し、熱いくらいだ。

 ……熱い?


「……アオイ先輩」

「……んぅ? なぁに?」


 息がかかるくらい顔を近づけてくる。

 理性がおちゃんせんすぅすしかけるが耐え、髪をかき上げ額に触れる。


「……体調、悪いでしょ」

「悪く、ないよ?」


 そう言ってにへらと笑うが、これだけ近いとよく分かる。息がかすかに荒いし、顔も赤らんでいる。目の下の隈もそうだが、疲労がたたったのかもしれない。


「休んでください。俺はもう大丈夫ですから」

「んー、にゃー」


 改めて俺を抱きしめ、胸に顔を擦り付けてくる。

 俺の中でわずかに生き残っていたアンチイチャラブ成分が浄化されていくのを感じる。抵抗は不可能だった。


 ……しばらくはされるがままでいいか。どうせ動けないし。

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