第18話 嫌な予感

 ディーゼルが話したこの入れ替え戦成立の経緯を聞いて、俺はなんて言えばいいか分からなくなった。この勝負はユエリア自身が決意したもの。でも、その理由が俺を信じてるって証明するってどういうことだよ。


 確かに俺はユエリアを助けたし、仲良くしてたつもりだ。でも、俺もユエリアに助けられたし、そもそも出会って一週間も経ってない。


 なんでそこまで俺に拘ってるんだ。


「何をそんなに慌ててるんだ。初期順位はユエリアってやつの方が上なんだろ。順当にいけばユエリアが勝つ」


 ユエリアの入れ替え戦に動揺している俺に向かって、ゼノンが第三者視点からの冷静な分析を伝えてきた。


 ゼノンが言っていることはもっともだ。だが、ユエリアを知っている俺とディーゼルの考えは違う。確かにユエリアの順位は6位だ。でも、それ相応の戦闘力があるとはとても思えない。


 魔法遊戯の知識がない。ディーゼルの心ない言葉で平静を保てない繊細な心。俺に食事を分け与え、酷いことを言ったディーゼルを簡単に許してしまえる極端なまでの優しさ。


 その全てがユエリアが戦い向きなメンタルをしていないと分析するに十分だった。


「そうも言えないんだよ。一緒に過ごしたのは数日程度だけど、ユエリアは戦闘向きじゃない。そもそも魔法遊戯の経験があるのかすら疑わしいんだ」

「なんだそれ。なんでそんな奴がここに居るんだよ」

「それは……わからない。でも、ユエリアが何か抱えてるっていうのは確かだ」


 会話の中で時折見せた不穏な空気。それがユエリアの抱えているものだとしたら、この戦いがきっかけで噴出するかもしれない。


「別にいいんじゃない? ここで負けたとしても死ぬわけじゃない。そもそもこの学園でそんな甘いことを言ってるのが間違いなのよ」


 そうやって背後から話しかけてきたのは、優雅にミルクティーを飲んでいるエリィさんだった。


「……友達を心配して何が悪いんだよ」

「その友達を本当に想ってるんなら、蝶よ花よと丁重に扱うんじゃなく、戦いに慣れさせた方がいいんじゃない? 南雲さんもそう思うわよね」


 エリィさんはクッキーを摘みながら、スポーツドリンクが注がれたコップを持ったまま立ち尽くしている南雲さんに話を振った。


 あっ、あのスポドリを完全に忘れていた。俺とゼノンを気遣って出してくれたのに。南雲さんは二つのコップをテーブルの上に置くと、天井を見上げて少し考えてから首を縦に振った。


「ここが通常の教育機関としての学園なら、君たちの気遣いは正しいと思うよ。でも、ここはあの狂人が世界をひっくり返すために創った学園だ。強さを求められるこの場所で生き抜くには、彼女自身が強くなくちゃいけない」

「それは……そうだけど……」


 南雲さんが言っていることは正しい。でも、ユエリアをこのまま戦わせてしまったら何がまずい事が起きる気がする。


「そもそも、この学園に来たのも、この勝負を受けたのも彼女の選択だ。君たちがとやかく言うべきじゃないよ」

「でも、嫌な予感が……」

「あ! はじまったよ!」


 パームの呼びかけで俺たちは勝負が始まったことに気がついた。悠長に話している場合ではなかった。俺はすぐにモニターに詰め寄って勝負の様子を見た。


 ○○○


 ユエリア・クラウトには魔法遊戯の経験がなかった。しかし、彼女の初期順位は第6位。戦いの経験がない彼女にとっては、その指標のみが自信を支える材料であった。


「大丈夫……私ならできる……」


 初めての戦闘を前に、彼女は自分を勇気づける言葉を言い聞かせる。しかし、体の強張りは決して和らぐことはなかった。


「ドーシタ? 体が震えてるヨ」


 対してユイは完璧なリラックス状態。順位は8位とユエリアより下だが、絶対に勝てるという自信が見て取れる。その余裕はビギナーのユエリアには決して持ち得ないものだった。


「別に、問題ないです」

「ソッカ、それじゃあサッサと始めヨカ」


 ユエリアの言葉が強がりだとわかっている。だがユイは彼女が落ち着くのを待つつもりなんてさらさらない。すぐに構えをとって審判のムジクに目を向けた。


「ユエリアくん、始めても問題ないかい」


 ムジクの呼びかけにユエリアは言い淀む。当然だ。彼女は全く心の準備ができていない。アギトへの信頼を証明するという決意があっても、メンタルが戦いに向いていない彼女は冷静になれないのだ。


「だ、大丈夫です」


 しかし、いつまでも開始を先延ばしにすることなんてできない。ユエリアは強がりに他ならないが、勝負の開始を受諾した。


「それでは……はじめ!」


 ムジクの合図で勝負が始まった。ユエリアが魔法を放つために両手を前に向けて構えた、ように見えた。構えればすぐに魔法陣を展開することはできるはずだ。


 しかし、ユエリアは魔法を使わなかった。それがどういう意図かはわからなかったが、このチャンスをユイが逃すわけがなかった。


 ユイは典型的な近接格闘タイプ。東部に伝わる魔法と格闘を融合させた拳法を扱う。


華焔かえん流、天華てんか!」


 ユイの拳を魔法で発生させた炎が覆う。そして爆発的な加速でユエリアに接近し、その凶悪な拳を放った。


 そしてユエリアはユイの動きを全く追えていなかった。ユイが懐まで侵入して彼女の拳の熱を感じてようやく敵の接近に気がついた。


 そしてユエリアは防御することもできず、ユイの炎の拳をまともにくらった。メキメキと嫌な音がし、ユエリアの分身の腹部に大きな黒い亀裂が走った。


「華焔流、桜火おうか!」


 続けざまにユイは炎を纏った蹴りをユエリアにくらわせた。灼熱の蹴りはユエリアの横腹を捉え、腹部の亀裂が体全体まで広がった。


 これはユエリアの分身が限界を迎えかけていることを意味する。次の一撃、どんな軽い攻撃でもユエリアは負けるだろう。


 しかし、それで油断せずとどめを刺すのが闘技者の心掛けだ。


「華焔流、散華さんげ


 畳み掛ける連撃の最後の一発。ユイの魔力と闘気を込めた掌底をボロボロのユエリアに放った。


 それは見事にクリーンヒットし、ユエリアを壁に吹き飛ばした。掌底を受けた時点で分身は四散し、ユエリアが生身になる。


 限界を迎えた瞬間に分身は破壊される。その仕組みが、抵抗もできないまま敗北したユエリアに不幸をもたらした。


 吹き飛ばされたユエリアは、生身のまま勢いよく壁に激突してしまったのだ。安全に配慮された魔法遊戯だが、激しい戦いということに変わりはなく、プロの世界であってもこういった事故は度々起こる。


「あ、ちょっとやりすぎたネ。ごめんネ」


 ユイは起こってしまった事故の対応として、倒れているユエリアに駆け寄る。ユイは別にユエリアに怪我をさせるつもりはなかった。


 例えるなら、サッカーでボールに当てるつもりだったスライディングが誤って相手の足に当たってしまうような、そんなアクシデントだった。


 それ相応の覚悟はしているだろう。しかし、今回は違う。ユエリアは戦う魔法使いではなく、純粋な少女であった。


「伏せろ! ユイ・リーファン!」

「え?」


 ムジクの忠告も虚しく、さらなるアクシデントが起こってしまった。


 ユエリアから放たれた、いや、無数の魔力の刃がユイの体を切り裂いた。

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