第17話 望まぬ戦い

 あれは昨日、アギトと別れて下位部屋に入った時だった。最下位の部屋でまともに寝られるだろうかと不安に思いながら下位部屋の扉を開けると、ソファに座っていた茶髪の女が待ってたと言わんばかりにこちらを見て立ち上がった。


「おかえり、ユエリア。そしてようこそ赤髪ヤンキークン」

「ディーゼルだ。お前は?」

「ユイだヨ。そんなことヨリ私はユエリアに用事があるネ」

「え、わたし?」


 まさか自分に用事があるとは思っていなかったらしく、ユエリアは少し間が抜けた顔をしていた。ユイは俺をどけてユエリアと対面すると、ニコニコとあからさまに腹の底で何かを企んでいる笑顔を向けた。


「こんな時間に何のお話?」


 その悪意にユエリアは気が付いていないようだ。この能天気さというか、純粋さっていうか……あのヒーロー野郎が気にかけるのもわかる気がする。お人好しのあいつは目が離せないだろうな。


「チョット相談なんだケド、入れ替え戦してくれナイ?」

「え、その、いやです。ごめんなさい」


 単刀直入に切り込んだユイをユエリアはすぐに切って落とした。ユエリアの温厚な性格を考えれば入れ替え戦なんて到底成立するとは考えられない。しかし、ユイの表情を見るととても考えなしに仕掛けたわけではないだろう。


「……あー、やっぱやりたくナイ?」

「は、はい。やっぱり戦いは……」

「また非力なヒロインのふり?」


 どこかひょうきんな雰囲気があった片言ではない、すらすらとはっきり言ったユイの言葉には威圧感があった。笑顔とは本来なんとやら。こんなに怖いと感じた笑みは初めてだ。ユエリアにはかなり効いているようで、完全に委縮してしまっている。


「な、なにを……」

「ヤンキー君も味方につけたみたいじゃん。ほんと、魔性の女って怖いわー」

「わ、私はそんなのじゃ」

「今勝負をしないのだって、どうせ自分が得するからでしょ?」


 ユエリアの戸惑い方の既視感……俺が無茶苦茶言った時と同じか。こんな酷いことしてたのかちょっと前までの俺。なんか余計心苦しくなるな。というか、メンタルの弱いユエリアにはこの手が有効だってこの性悪女に気づかせたのってもしかして俺か?


「ちょっと、言いすぎだぞ」

「え? ヤンキー君よりはましだと思うよ?」

「……はい」


 ぐうの音も出ない正論である。あまりにも正論過ぎて泣けてくる。というか、この物言いはやっぱ俺の騒ぎを参考にしてるみたいだ。いろいろと迷惑をかけてばかりで申し訳ない。


「た、戦わなかったら私が得をするってどういうことですか」

「え? まだシラを切るつもりなの?」


 うつむきながらなんとか反論しようとしたユエリアだが、それは悪手だった。俺にでもわかるあの事実を彼女に突きつけるつもりだ。ユイは待ってましたと言わんばかりに振り返り、彼女の顎を掴んで無理矢理目を合わせた。


「このまま戦わなかったら、君を助けてくれたヒーロー君が負けて、何もせずに上位に上がれるって作戦だよね?」


 嫌味な言い方するなこの性悪女。そう、正直言って明日アギトがゼノンに勝てる確率は低い。そして、アギトが負けて最も得をするのはその一つ下の順位にいるユエリアだ。エリィさんが負けて繰り上がりで南雲さんが2位なったように、ユエリアが繰り上がりで5位になれる。


 アギトがゼノンに勝負を挑んだのはあいつの独断で、ユエリアの作戦なわけがない。だが、この状況をうまいこと利用してユエリアを勝負に乗せるつもりらしい。


「ひどいなぁ、自分を救ってくれた人の敗北を勘定に入れるなんて」

「ち、ちがう! 私はアギト君が勝つって信じてる!」

「へー、なら勝負してくれるよね? 本当に信じてるって言うならさ」


 やばいぞこの女。このままだとユエリアが乗せられてしまう。


「こんな奴の言葉を本気にすんな。お前が本気でアギトを信じてるってのは、お前が一番よくわかってるだろ。俺もユエリアがこいつの言うような奴じゃないって信じてる」


 ユエリアはあんなひどいことを言った俺をあっさり許してくれた。試験に落ちてから曇っていた俺の心を晴らしてくれたアギトもユエリアを大切に思ってるようだし、恩返しとして庇うのが人として当たり前の行動だ。


「……ありがとうディーゼルくん。でも、この勝負は受けるって決めたんだ」

「えっ? な、なんでだよ」


 ユエリアにとってこの勝負にメリットなんてない。それなのに無理してまでこの勝負に乗る理由が分からない。


 ユエリアはゆっくりと俺の方を向いて、真剣な表情でこう告げた。


「私がアギト君を信じる心は、誰にも疑われたくない。だからこの勝負を受けて、私の心をユイさんに証明する」

「でも」

「心配しないで。負ける気はないから」


 その言葉に嘘はなかった。でも俺は、その言葉に闘志が宿っていないと感じた。戦いを知らない純粋な少女の言葉。それがこの場においてどんなに危ういか。


「勝負成立ネ。ムジクさんも聞いてたヨネ」

「あぁ、もちろんだ」


 無理矢理にでもユエリアに勝負をやめさせようとしたが、もう遅かった。いつの間にかユイの隣に立っていたムジクさんが勝負の成立を認めた。


 これでもう止めることはできなくなった。


「それでは明日、ゼノンとアギトの後に入れ替え戦を開始しよう。もう夜も遅い。戦いを求めるのはいいが、しっかり休むように」


 伝えるべきことだけを伝え、ムジクさんは一瞬で影の中に消えてしまった。


「それじゃ、また明日ネ」


 全てが自分の作戦通りに運び、ユイはご満悦顔で自室に戻っていった。そして取り残された俺は、その場で立ったまま動かないユエリアの方を見た。


「……俺は忠告したからな」

「うん、心配してくれてありがとう。これは全部私が決めたことだから」


 この学園では手を取り合って仲良しこよしとはいかない。自分の立場は自分の決断で決めなければならない。最下位という俺の今の立場も、アギトを見下していた俺の間違った認識のせいだ。


 だから、俺はここでユエリアが負けようと同情はしない。


「明日に備えて早く寝ないと。それじゃあディーゼルくん、また明日。応援よろしくね」

「おう、頑張れよ」


 でも、せめて安心して送り出せる背中を見せてくれよ。俺を許してくれた優しい人間が間違った道に進もうとしてる。それを止められなかったって罪悪感を抱かせないでくれ。


 初期順位はユエリアの方が上だ。普通ならユエリアが勝つって思えるはずなのに、そんな頼りない背中じゃ信じられねぇよ。


 ただ一人共有スペースに取り残された俺は、心の澱みを誤魔化すように壁を殴った。


 ゴンという音が暗い空間で虚しく響いた。

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