第15話 ゼノンの原点
この世界には古くからの因習だとかで忌み嫌われているものがある。そしてそれは時に理不尽に人の可能性を潰すのだ。
俺の適性属性は火属性と闇属性の二つ。魔力は15歳になるまで成長するが、生まれた時点で俺の魔力量は
俺の両親はどちらも大企業の重役で、幼い俺の世話をその企業が運営する託児所に任せていた。ある日、友達とお互いの魔法を見せ合おうということになった。先生が見守る中、他の子供たちが元気に走り回って遊ぶグラウンドで、俺は友達に闇属性魔法を見せた。
『やめなさい!』
先生の怒号を聞いたのは、後にも先にもこの時だけだった。彼女は黒い魔方陣を出す俺の手を叩き、すぐに魔法を解除した。なぜそんなに怒るのか分からなかった俺は先生の顔を見た。
大きく見開かれた目はゆらゆらと揺れていて、ほんの少ししか走っていないはずなのに呼吸は荒く、俺の手を叩いた手は小刻みに震えていた。やってはいけないことをした子供を叱る顔じゃない、まるで人殺しでも見るようなその顔が今でも忘れられない。
託児所にいた先生は笑顔を絶やさない優しい女性だった。子供が怪我しないように優しい目で見守り、ケンカが起きた時もすぐに間に入って優しく諭す理想的な先生だった。彼女はいい人だ。それは確かな事実のはずで、彼女の言ってることは正しいはずだ。だから俺はそれ以来、闇属性を使うことをやめた。
俺が5歳の時、弟が生まれた。名前はエル。エルの適性属性は闇属性ただ一つだった。その時、俺はある疑問を抱いた。闇属性を使ってはいけないこの世界では、闇属性の適性しかないエルは
疑問を抱いた俺は改めて闇属性魔法について考えた。皆が使ってはいけないというのだから、闇属性には他の属性と違うところがあるはずだ。例えば、使ったら体調を崩したり、他の魔法が使えなくなったり、そんな危険な特性があるとか。
それを探るために俺は一人隠れて闇属性の魔法を使った。そして至った結論は、俺の疑問をさらに深くした。
闇属性の使用に危険性はない。
そんなはずはない。皆がダメだというのなら何か理由があるはずだ。そう思った俺は別の可能性を探った。
『ねぇ母さん、なんで闇属性の魔法を使っちゃダメなの?』
『……それはね、闇属性は災いを呼ぶからよ』
母さんは一瞬真顔になったが、すぐに子供に向けるため笑顔のなって答えてくれた。災い、なんだそれは。自然災害? 疫病? 犯罪? それと闇属性の魔法に何の因果があるというのだろうか。そうだとすればもっと規制があるはずだ。しかし、闇属性の魔法を制限するルールなんて魔法界に存在しない。闇属性の魔法を使ったところで警察に捕まることも、罰金を払うこともない。
そして俺はようやく理解した。闇属性の魔法の使用を禁止する論理的な理由なんてない。この世界がおかしいのだと。
『エルはさ、大人になったら何になりたいんだ?』
俺が8歳になったころ、テレビで一緒に魔法遊戯を見ていたエルにそんな質問をした。俺の膝の上に座って腕の中にすっぽりと収まっていたエルは俺に顔を向けると、屈託のない笑顔でテレビを指さしながらこう答えた。
『このひとたちみたいなすごいまほうつかいになる!』
俺の可愛い弟は舌足らずながら、一切の迷いなく純粋な目をして夢を答えた。その想いを聞いた瞬間、俺はエルを強く抱きしめた。こんなにも魔法を愛しているのに、人間が勝手に決めた理不尽なルールのせいでエルの純粋な夢はかなうことはない。その事実が悲しくて、この状況をどうにもできないのが悔しくて、自然と涙が流れてきた。
『おにーちゃん、どーしたの?』
突然泣き始めた俺を心配そうに見つめながら、エルは俺の涙を拭ってくれた。エルはこんなにも優しいのに、どうしてこの世界は誰もが持っている当たり前の権利を奪うのだろうか。
『……なんでもないよ。ほら、テレビ見よ』
抱きしめていた腕を解いて自由になったエルは、俺の言うとおりにテレビに視線を移した。観戦を再開したエルは目を輝かせて本当に楽しそうに試合を見ていた。もし叶うのなら俺の
それから更に時が経ち、エルは小学校に通い始めた。そこで俺が恐れていた事態が起きた。
『エル』
電気がついていない暗い部屋で、エルはじっとテレビを見ていた。それに映っていたのは魔法遊戯の試合。美しい魔法が炸裂する音と人々の歓声だけが部屋に響いている。
『電気くらいつけろ』
『お兄ちゃん』
電気のスイッチに手を伸ばした俺を、膝を抱えて座るエルが呼び止めた。エルはテレビをじっと見つめたまま、俺に背を向けて話し始めた。
『学校で先生に闇属性魔法は使うなって言われたんだ』
『……そうか』
『僕、闇属性しか使えないのにね』
『……そうだな』
『ねぇ、なんで闇属性魔法は使っちゃダメなのかな』
俺はエルの質問にはいつも答えてきた。わからなかったら調べたりもした。でも、その質問には答えられなかった。だってその質問にエルが納得してくれるような正しい答えなんてないから。
『僕、なんにも悪いことしてないよ』
『そうだな』
『僕はただ、魔法使いになりたかっただけなのに。なんで僕だけダメって言われなきゃダメなの』
エルが膝をグッと引き寄せる。最初は平静を装っていた声も、震えが隠し切れなくなっていた。
『……僕はこの世界にいちゃダメなのかな」
『そんなわけない』
『じゃあなんで、僕は魔法使いになっちゃだめだって決められなきゃいけないの……?』
ようやく振り返ってくれたエルの瞳には、今にも溢れてきそうなほど涙がたまっていた。エルは強い魔法使いになるために、小学校に入る前から術式の勉強をしていた。エルは呑み込みが早く、夢のために必死に勉強をしていたから、俺なんかよりよっぽど魔法に精通していた。魔力だって俺に負けないくらい多い。
エルには間違いなく才能があって、夢を叶える熱意もある。きっと魔法に愛されているんだ。だが、それをこの世界が否定する。人間が勝手に作り出した価値観という理不尽が、魔法に愛された少年の可能性を潰したのだ。
『僕も、あの世界に行きたかった……』
いつまでたっても無言のままの俺を前に、エルは感情が決壊して大粒の涙を流し始めた。何よりも大切な俺の可愛い弟の泣き顔を見て俺が抱いた感情は、この世界への怒りだった。
『……させない』
『え?』
『こんなふざけた世界にお前の可能性を決めさせない!』
エルは何も悪くない。悪いのはこの世界だ。だから俺はこの世界を変える。
『俺が世界にエルを認めさせる。エルが魔法使いになれる世界に変えて見せる。だから、夢を諦めないでくれ』
エルは俺なんかよりもすごい奴だ。夢に向かって全力で頑張れる純粋さと、憧れの存在に向ける瞳の輝きは俺に元気を与えてくれた。そんな自慢の弟を泣かせるのなら、たとえ世界が相手だろうと許さない。
『……本当にそんなことできるの?』
『あぁ、お兄ちゃんに任せとけ』
世界への怒りを隠して、涙を流すエルが安心できるように優しく笑って手を差し伸べる。エルはその手を取って、勢いよく俺の胸に飛び込んできた。魔法遊戯の選手になるために鍛えていたエルの体は少し重かったが、なんとか受け止めて優しく抱きしめる。
『約束だよ』
『あぁ、約束だ』
きっと簡単なことじゃない。でも、エルの苦しみをなくすために絶対に成し遂げて見せる。それが、大した熱意もないくせに弟が望んだ才能を持ってしまった兄としての使命だ。
俺は闇属性の魔法を世界に認めさせるために、まずは闇属性に何も危険なところはないと証明する必要があると考えた。そのために俺は、魔法界最高峰の学園であるエルディライト学園で論文を書こうと考えた。もともと論理性なんてない考えなのだ。エルディライト学園の学生の研究なら世界に見てもらえるだろうし、きっと影響を与えられるはずだ。
俺は必死に勉強をし、魔力量のおかげもあってか無事に合格することができた。規格外の魔力量のせいで何度か魔法遊戯部に勧誘されたが、エルのために研究をする必要があるので断った。
そして俺が18歳になったころ、ようやく論文が完成した。俺自身を被験体とした闇属性の使用における安全性の証明。魔法界の事故率や犯罪率、そして自然災害について調べ上げ、それと闇属性には因果関係がないことの証明。そのほか様々な視点から「闇属性は災いを呼ぶ」という考えを否定する論文は、きっと少なくない影響を与えられるはずだ。
そう考えながら、完成した論文を学会で発表するために教授に見せた。しかし、教授は俺に論文を軽く見ただけで突き返してきた。何か問題があったのかと質問すると、教授は深いため息をついた。
『闇属性に関する論文の発表は許可できん』
『な、なぜですか!』
『そのくらい、少し考えればわかるだろう』
『理解できません! 研究のテーマだけで発表が許可されないなんておかしいですよ!』
説明を求める俺を無視して、教授は自分の机に体を向けた。
『君は優秀な人間だと思っていたのだがね』
『なっ……!?』
『ともかく時間の無駄だ。出て行ってくれ』
教授は何一つ納得のいく説明をせず、俺との対話を拒否した。もうすでに俺との対話を打ち切った教授は、俺を居ないものだとして扱い、机に広げられている文献に目を通し始めた。
この教授がおかしいのだ。魔法界の最高峰であるエルディライト学園の教授が、闇属性の魔法の使用禁止に論理性なんてないと気付いていないはずがない。子供のころの俺ですら抱いたこの世界に歪みに疑念を持っていないはずがない。そう思って他の教授にもあたったが、結果は同じだった。
再び味わったこの世界の理不尽。この業界には闇属性の魔法を研究してはいけないという暗黙の了解があったのだ。対話の場にすら立たせてもらえない。言葉で世界は変えられない。俺はエルを救えない。この現実に打ちのめされた俺は、暴走しそうになる感情を魔法遊戯で発散させた。
そして今年の春、俺の前にムジクさんが現れた。エルを救う手段を失った俺は、適当に魔法遊戯で意味もなく暴れるくらい自暴自棄になっていた。それがたまたまムジクさんの目に留まったのだ。
『君の悩みを解決する手段を教えよう』
見たことがない中年男は、木陰で座り込んでいた俺にそう言った。何もわからなくなっていた俺は特に期待もしていなかったが、ゆったりと顔をあげた。
『歪んだ世界では対話なんて不可能だ。だから、力で示すんだ。君の闇属性魔法で魔法遊戯の頂点に立つことで、その価値を世界に証明するのさ』
『……本当にそんなことできるのか』
『もちろんさ。魔法遊戯に闇属性魔法を禁止するルールはない。凄まじい批判にさらされるだろうが、凝り固まった思想を持つ連中に闇属性魔法を見せることができる唯一の場だ。そんな場で結果を出せば、何かが変わる気がしないかい?』
『……でも、この学園の監督は許してくれない。以前論文の件でいろんなとこまわったせいで噂になったのか、入部した時に釘を刺されたよ』
ムジクさんはその言葉を待っていたといわんばかりに俺の肩を掴んで顔を近づけてきた。
『俺の学園でならできる』
彼の瞳には狂気が宿っていた。彼の言葉は決してかわいそうな学生を助けるためにかけた物じゃない。彼が抱く狂気を満たすためのものだ。だが、その狂気は俺が抱く世界への怒りと酷似していた。エルを救う手段がないこの学園に未練はない。俺は迷いなく彼の提案を受け入れた。
○○○
ボロボロの少年の叱責が俺がどんな思いでここに来たか思い出させた。俺は強さを証明し続けることで、世界に闇属性の魔法を認めさせると決意したはずだ。それなのに闇属性魔法を使うことをためらってしまうなんて。
闇属性魔法を使おうとするたびに体が動かなくなる。その理由は過去を振り返っていく中で理解できた。無意識に恐れていたのだ、闇属性であるというだけで自分を否定されるあの感覚を。
歪んだこの世界で理不尽に否定される痛みは俺の心の深く突き刺さり、無意識に恐怖を植え付けていたのだ。本当に情けない姿を晒してしまった。俺を信じて辛い中でも努力を続けているエルに失望されてしまう。それは我慢ならない。
エルを助けるんだろ。この歪んだ世界を変えるんだろ。だったら恐れるな。変革者になるのなら、
「後悔すんなよ」
俺はもう世界を恐れない。
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