第7話 秘密の入り口
星が丸いという事実は、銀星帝国が進めた開拓航海事業によって世に知らされた。銀星領の港町から最新鋭の大型船で星を一周し、元の港町へ帰還したのが新王歴461年の事。それから10年を経て航海の技術は海図と共に飛躍的に進歩し精緻された。しかし初めて星を一周した船の船長は、すべての陸と島と海域を網羅するには、あと100年が必要だと言ったという。初の世界一周はそれだけ未知に富み、目的を優先して深く探索する事も出来ず、危険を避けて、進める海を選んでの航海だった、生きて帰れたのは万に一つの奇跡だと船長は語って正式に記録された。この記録には、人間も亜人も獣人も歓喜した。世界一周の偉業の達成は銀星帝国の経済的な世界支配の達成を意味していたが、帝国の意に反した船長の言葉は、反勢力を活発にした。
初の世界一周から15年後の476年、帝国による再度の世界一周の船旅が実行され、帝国は未開拓の地に自国の旗と開拓拠点を設置し、自国領としたと発表した。この一方的な報せを受けた各国は、領土防衛と未開地の所有に躍起になった。領土紛争は絶えず、各種族を巻き込んだ戦争が再度大陸を覆った。航海を機に発展した大規模な種族闘争に、銀星帝国を非難する連合が天使の加護を受けた神聖軍を名乗って対抗し始めた。その闘争が数十年も各地で繰り広げられているのが現在。神聖軍の名は大陸に知られたが、銀星帝国の資源と軍備には敵わず劣勢を強いられていた。
銀星帝国は各国を名指しして神聖軍との関係性、立場を宣言するよう迫った。それまで神聖軍を後方から支援していた国々は帝国の侵攻を恐れ、表立って支援する事が出来なくなった。帝国は各国への侵攻と共にこの選択を布き、領地を広めつつ次々と神聖軍の戦力を削いで行った。いつ領地を狙われるとも知れないこの帝国の圧政の時代に、国が中立を宣言する事は平和を得る唯一の手段だった。各国の富と土地を持つ権力者たちは、首相や大統領に中立宣言を迫った。しかし中立を宣言するという事は、いわば帝国に屈したのと同じであった。なぜなら、帝国は中立国に対して、神聖軍を支援しないよう求めるのと同時に、帝国への極限までの物資の支援を要請するからだ。その要請に従わなければ軍が派遣され、神聖軍への参加の意思ありとされて国政開放、すなわち帝国への領属、被支配を強制されるからだ。この二者択一の踏み絵は、国単位から個人の単位に降ろされ、各国の権力者も帝国領属とされていった。
ミッドランドの全てが帝国領となってから数年が経ち、神聖軍には新たな英雄と将軍たちが集い、俄に反乱の機運は高まっていた。大陸を追われた各国の王が、イーストランドを中心に神聖軍を集結させ指揮官たちを新たに任命し新生させたのだ。その指揮官の中心人物が英雄アルスール、彼を旗印として統制された神聖軍はミッドランド各地の奪還のために既に軍を動かしていた。
南の島国のパラヤは、シリウスにとっては初めての海外の地と言えた。修行や今回の旅で、川を迂回した事はあったものの、別の大陸にまで足を運んだ事はなかった。別の大陸まで旅をするのは、ミッドランド中を旅した後だと思っていた。それは修行の最後の段階が旅によって達成する必要があったからだ。見習い魔導剣士の修行の最後、正式に魔導剣士になるには、旅によって終結を迎える必要があった。数少ない古の学問を専門とする魔導学者によれば、魔導剣士の修行は長くても15年程度。それを過ぎたら、魔導剣士を諦めて生涯の職を探した方が良いと学者は諭す。シリウスは15才、修行が出来る最後の年である新王歴512年に、見習いの最後の修行の段階に進む事が出来た。師と弟子が同時に地面に手を付け、師が送った魔力を地面を通じて受け取る事で、その最後の修行が始まる。それを無事に行った翌日に悪魔の襲撃に見舞われ、師と導きを失ったのは不幸だ。残された言葉だけが師と導きの代わり。自分だけの星脈の地を探し出し、そこに手を添えて意識を送り込む。星が反応すれば、星の意思と共に地脈の力を得られる。それによって魔導剣士に成り得る。その場所を探るには、地面に手を当てて星に問いかける事。星との相性が良いほど早くその場所を感知出来るという訳だが、シリウスにはまだ、ぼんやりとした方向の感知しか出来ていなかった。幾つもの行く先のイメージが浮かび上がって、何か教えられていない他の条件があるのではないかと疑ってしまう。海には問いかけられないから、船旅中は星の助言を得る事も出来ない。パラヤに着いたら、試してみるか。
グレンは帆に結びつけたロープと舵を操りながら、進む船の前方の視界を常に確認していた。船が陸を離れてから半日は過ぎているだろう。シリウスは船の梁に腰掛けて、グレンと同じように前方に陸が見えないか終始視認しているが、まだ陸はなく、青い海の白い波が次から次へと通り過ぎていくだけだ。数時間ごとに舵取りを代わり、互いに仮眠を取って、船を進めてきた。そのためにじっくりと会話する機会は少なかったが、陸から離れて数時間後、悪魔の脅威が感じられなくなった頃に、緊張が薄れたグレンと話す事が出来ていた。
「あんた、悪魔に追われてるのか?」
「それは、分からない、故郷が悪魔に襲われた」
ふーん、とグレンは海を見ながら唸った。シリウスは言葉に困ったが、
「アッタも襲われたのは、そのせいもあるかも知れない」
と確証のない答えを繋いだ。グレンはまた、ふーん、と鼻を鳴らしてから、しばらくして、
「あんたのせいじゃない、かもな。アマテルは、いつも狙われてるんだ。誰からも。アッタの離宮は大陸の各地にあるけど、アマテルと今でも強く繋がっているのは、あの草原の離宮だ」
と答えた。シリウスはアマテルが東島国の国である事は知っていた。それが大陸と繋がっている、狙われている、というのは初耳だった。自分もそうだが、悪魔にも狙われる理由は全く分からなかった。
「悪魔に狙われるのは、アマテルの皇王の血に宿った、悪魔を葬る魔導を恐れての事だろうな。それはアマテルの民に受け継がれて、一時は悪魔にとってアマテルの国そのものが脅威、天敵になったんだよ。今はそれほどじゃない、でもそういう歴史があるから、また、いつ天敵になるかって、奴らは血筋ごと消そうと企んでるのさ」
「だから、悪魔を鎮める事にしたのか」
「御館様の考えは、俺なんかには分からねぇけど、悪魔を敵と考える魔導剣士のあんたが現れたのは、運命かもよ」
グレンはこちらに顔を向けてまるで、うまく利用されたな、とでも言いたげにヒヒヒと笑った。それとも、運命というロマンチックな言葉を使った自分の照れ隠しなのかもしれない。しかし、
「実は、その、私はまだ魔導剣士として認められていないんだ」
へー、とグレンは眉を歪めた。
「認める認めない、みたいなルールがあるのか。あれだけ強けりゃ、魔導剣士を名乗っていいと思うけど」
「強さは、魔導剣士の最後の試験には関係ないみたいだ。星に導かれて、星と繋がる必要があって、その繋がる場所を探すんだ」
はー、とグレンは先の海を見つめたまま中身のない合いの手を打ち、
「難しい事を考えるモンだね。意地悪だ。目星は付いてるのか? うひひ」
とシリウスの答えに期待を寄せた。
「全然」
「だろーな、思った通り、ひひひ。そんな簡単なわけねーもんな。あんたの目には迷いがあるぜ。魔導剣士って言えば大戦の英雄だ、歴戦の勇者ってやつ。悪魔にびびってるようじゃ、勇者にゃなれん」
見抜いておいて聞いたな、グレンも意地悪だ。だがグレンの言う事は尤もで、シリウスは拳を握ったまま反論の言葉が出なかった。
「悪かったよ、からかって。悪魔にびびってるのは俺も同じ、人の事を言えたもんじゃねえよな。ひひ」
今度のグレンの笑い声は優しかった。
「ふふ」
シリウスもグレンに釣られて笑った。この旅で、初めて笑ったのかも知れなかった。シリウスとグレンは次第に声を上げて笑い合っていた。
シリウスはグレンに波の音に負けないように「見えた!」と叫んだ。そして船の先の海を指差した。グレンは舵を取りながら、シリウスが指差す先に陸があるのを確認した。
「よーし、いい位置だ、灯台だな」
シリウスは目を細めて手で目元への日射を防いで陸を見た。白い灯台がやや東に建っている、西側にも幾つかの白い建物、港町だ。砂浜も見えてきた。グレンの航海の腕は確かなものだ。夜の海を進んで港町の沖へ辿り着けるのは、何度も来ているに違いなかった。
「シリウス! 港から船のまま街の運河に入るか? それとも街から離れた岸に着けるか、決めてくれ!」
シリウスは船尾のグレンに顔を向けて、
「待ってくれ、決める!」
と返事をした。
「早くしろ! 灯台から見張られるからな」
確かに、まだ沖だが、目の良い見張りなら、もう気付かれているかも知れない。問題は、その見張り役が銀星帝国の兵かどうかだ。ミッドランドから離れたとは言え、港町は物資運用の要所、軍港を兼ねる港町も多く、陸の軍事要塞と同じく重要で、敵国の侵攻の標的になりやすい。既に帝国の占領下にある可能性、港を封鎖して検問していた場合、帝国に属する事を証明出来ない船は、何日も足止めされる事もある。ミッドランドでも帝国兵から距離を取るように慎重に宿を選び、場所を選び野宿をしていたのは、そういう理由もあった。街の様子が分からない限り、迂闊なギャンブルをするわけにはいかない、岸から近付いて、結局、何も無ければそれで良い。
「岸だ! 灯台を迂回して、もっと西の岸へ!」
「了解!」
グレンはそう言うと舵を切って急角度に船首で西へ波を切った。シリウスは遠心力で引っ張られたが直ぐに重心を下げて船の縁に足を突っ張って船の傾きに体を合わせた。
シリウスたちは港町から距離を取った西の岸に船を着けて、そこから町まで徒歩で向かった。町からの見張りに見つからないように、西に広がっていた砂丘の山々に身を隠しながら人影がない道を選んで砂の大地を進んだ。
「こりゃ、違うな」
グレンの言葉の意味は、帝国領ではない、という事だった。これまで砂丘の南に通された舗装された砂の道を行き来したのは、馬車、大きな荷物を背負った青年、見張りの騎兵だけ。検問に向かう準備をする様子もなく、騎兵に至っては周囲を見回す素振りも警戒感もなく、町の民兵のレベルの装備だった。帝国領ならば、見張りは帝国の徽章を付けた鎧のはずだった。町の外壁が見える頃には、その外壁の門の門番も同様の民兵の装備である事が確認出来て、門が常に半開きなのも分かった。
「確かに、帝国は来ていない」
シリウスの同意に、グレンは背筋を伸ばして緊張を解き、はわぁ、と欠伸をした。
「いこうぜ」
シリウスも緊張で強張った背中を伸ばして、マントの裾をたくし上げて肩を出した。そして先を行くグレンを追うように町から伸びる砂の道へ歩みを進めた。
町の門を潜った2人は、外壁の外まで聞こえていた活気のある民衆の声の正体を知った。門から真っ直ぐに市場を形成する露天が並び、その先に川を跨いで橋のある十字路、さらにその先に露天の道が伸びている。十字路を起点に商人や荷車や民衆が行き交い、日々の生活と稼ぎに皆が旺盛に市場を利用している。市場の先には丘陵に続く白い街並みと尖塔を複数持つ一段高い白の外壁の建物、おそらくこの町の権力者の家だ。その建物の道に至るまで子供や女性が行き来して、自然と和やかな場を作っている。往来をしている種族も亜人と獣人と人間が同程度の比率で存在して会話をしながら賑やかさに花を添えている。パラヤという国の一端の港町に過ぎないが、この町を見るだけで国が栄える理由が分かった。帝国領にこの活気はない。
「ここはメグ・パラヤ。数年ぶりだぜ。じゃ、まず宿を取るか」
グレンの提案にシリウスは頷き、表通りの市場から小道へ外れて裏通りの宿の看板を探した。
「あれか、あれか、あれでいいか」
グレンは目に付いた看板を視線で追って、シリウスに同意を求めた。シリウスは裏通りの町の外壁に近い路地の看板の幾つかを確認すると、「そ、そうだな」と返事をした。宿には違いないが、グレンが示したのはどこも金色の装飾の看板や柱を装飾した、いかにも高級で値の張る、不要なサービスで旅人たちから金を巻き上げようとする訝しげな宿だった。そのひとつにグレンは入って行き、シリウスは後に続いて宿の敷居を跨いだ。グレンはロビーのカウンターにいた受付役の女性に話し掛けて空き部屋の確認と値段の交渉を始めた。
「高いなぁ、ま、値段は後で話すとして、そう、2人だけど部屋は別々、その値段て事は、サービス満点なんだろ? 宣伝込みでさ、半額にならないかなぁ」
グレンは受付とサービスの内容と値段の設定について話し込んでいる。外見に金を使うこういった店は、値引きする事はまず無い。値引きするとしても店側に不備があった時に1割程度。稼げていて、放っておいても客が来るから、基本的に値引きをする理由がない。グレンが示した他の宿の候補も同じ対応だろう。受付は明らかにグレンを厄介な客と見て追い払おうとしている。シリウスは見るに耐えず、グレンの腕を掴んで外へ連れ戻した。その間もグレンは「サービス満点、半額!」と繰り返し叫んだ。シリウスは恥ずかしさを我慢してグレンの口を手で塞いでから、路地の周囲を見回した。メグ・パラヤの路地を行き交う民衆がシリウスとグレンを避けるように見て見ぬ振りをして通り過ぎていく。グレンはシリウスの手を振り払って、
「予算は?」
と聞いてきた。シリウスは肩に掛けていた荷物袋から小さな革の巾着袋を取り出して、軽く上下させた。幾つかの金属が袋の中を跳ねた。グレンはその中身のない袋と金属の音から推察してシリウスに言った。
「貧乏なのね」
シリウスは頷いて巾着袋を荷物に戻す。シリウスは外壁のある街中なら、外に比べて遥かに安全だから、マントを被って野宿でも良いと思っていた。だからグレンが宿を選んだ時には、グレンは懐に余裕があるのだと思ったのだ。結局、人の金に頼ろうとしていたとは、なんと図太い神経なのか。
「まぁ、いいさ。あと2軒、回ってみようぜ」
グレンが向かったのは、先ほど候補に挙げた残り2軒のひとつ。ついさっき見た光景がまた繰り返される。グレンは宿から出てくるとチッと舌打ちをして、最後の1軒で再び事をして、やはり追い返されるように宿を出てくる。そして不機嫌な様子でこちらに戻ってきた。
「半額サービス満点はどこもダメだってさ、でも、一応これで、やる事はやった。少し待ってみるか」
裏通りの路地でただ待っていても、何も解決しないのではないか、交渉を頑張ってくれたグレンには悪いが、金がない者は野宿をするのが当たり前だ。
「グレン、ありがとう、でも、野宿で十分だよ。それより、今日は表通りで助っ人を探さないか?」
「ん? いや、もう少し待て」
グレンは頑なに3軒の宿の前を動こうとしない。余程、宿屋の対応が癇に障ったのだろうか。確かに船旅で疲れているところに冷たい対応は堪えるものがある、そういう旅人に対するサービスが少しくらいはあっても良いところだが。
「お、アレかな」
グレンが顔を向けた先の小道から、こちらに走ってくる子供の鹿のような獣人が時折グレンに手を振って近付いてくる。グレンの知り合いだろうか。グレンの前まで駆けて来た子鹿の獣人は、コッパと似たような衣服を身に付けていた。
「あなたが、アッタから来られた方ですね」
子鹿の獣人は頭を下げてグレンとシリウスに挨拶をした。
「おう、新入りか?」
グレンの問いに鹿の子は答えた。
「はい、今年から。ランと申します」
「へー、女の子だったか。コッパと同い年くらいだな。で、俺たちはどこへ行けばいい?」
「こちらへ、着いてきて下さい」
そう言ってランは、裏通りの路地を町の外壁沿いに先へ進んで行った。グレンはシリウスに視線を合わせて、な、というように肩を竦めてから、ランの後ろに従った。これは、グレンがアッタの支援を受けるために行なった暗号のようなもの、決まった3軒で、おそらく決まった順に、同じ無茶な注文を付けて追い出される、そういう合図。それをどこかで見ている者がいて、その通りに行なった者に使者を出す、それがラン。シリウスは裏通りを進むランの後を追うグレンの後ろに続いて、まさに町の裏側へ歩みを進めた。
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