第4話 手荒い歓迎
ミッドランドの大陸のほとんとが銀星帝国領になったとはいえ、帝国があえて占領下に置かない、独自の自治権を許している領域がある。北と東の山脈の稜線の先、西の森林の奥地、南の砂漠の小国、その他に資源のない隣接する島々、それぞれ理由があって帝国は放置している。特に特定の亜人や獣人の棲家となっている端々のそれらの土地には、あえて侵攻しない。亜人や獣人の中には、野蛮で言葉も通じない種族もいれば、温和で争いを嫌い僻地に隠れ棲む種族もいる。言葉が通じない上に好戦的な種族たちの多くは、一度は帝国に挑んで敗れている。そして好戦的ではなくても、信仰や縄張りを侵された事を理由に挑んだ種族たちも、やはり敗れている。戦術を練らない彼らは、臨機応変な帝国軍の戦術の餌食になって、無惨に敗れていった。敗北した種族は、後世に渡っても再び挑んでくる事はない。敗北者として僻地で暮らし、勝者に従って生きていくのだ。帝国はそれを知っているから、あえて侵攻する必要がなかった。また、一部の温和な亜人や獣人、砂漠の小国などは、歴史的に長く続く文明を持ち、その存在自体が神聖であるとされ、帝国はそれを破壊する選択をせずに、あえて同盟を結んだ。それが民との軋轢を生まない手段だと知っていたからだ。こうしてミッドランドは帝国のものとなった。このミッドランドの事実上の制圧が完了した時、銀星帝国の老いた皇帝は、これまでの行いと中央大陸の制圧は、星の意思によるもの、星に選ばれた民が本来の聖地を取り戻した、我らの聖地はまだ残されている、と各国に宣告した。宣戦布告、各大陸の主要な国は、皇帝の宣言に正気を疑いながらも、軍備を強化せざるを得なかった。皇帝の言葉の真意は、今となっては分からない。
皇帝は数年後に息を引き取り、後を継いだ皇帝は数日で病気に倒れ、その後を若干二十歳の若き新皇帝が継いだ。老皇帝の遺言を必ず実行すると、継承式で若き新皇帝は語った。それ以降、新皇帝は公の場に姿を現していない。帝国の将軍たちは、民から寄せられた質問に対して、新皇帝は政策を練るために宮殿に籠っている、と口を揃えて答えた。政策の内容について将軍たちが答える事はなく、侵攻の予告とも捉えられた老皇帝の宣言の真意に触れられる事もなかった。ただ、銀星十二軍は動いた、ミッドランドの外へ侵攻するために。それを食い止めたのは、各国の連合による神聖軍だった。神聖軍の中心的人物であるアルスール将軍は、帝国の大陸外侵攻の初戦において勝利し、帝国を中央大陸へ押し戻す事に成功する。この戦いでアルスールと共に名を上げたのが、獣人の将軍ダイスダインと、亜人の将軍のエアリーエア。この構成はまさに神聖軍の目指す連合国家の未来像で、幾つかの中立国の連合加盟のきっかけにもなった。アルスールはその機を逃さず、中央大陸へ軍を送って沿岸の都市を制圧し、人の大戦の火蓋は開かれた。
戦火を避けて、シリウスはミッドランドの大陸の東の山を南へ迂回して舟で汽水を越えたところにある人気のない草原で、賢者の敷地に足を踏み入れようとしていた。一見何の変哲もない盆地の草原だが、実はそこには賢者が住んでいて、人生の目的に至るための助言をくれるのだと、銀星帝国領の村の老人が教えてくれた。村を離れてから何日もかけて旅をして、ようやくそれらしい場所に辿り着いた。シリウスは老人の話を思い出しながら、今その賢者が住むという屋敷の塀の前にいた。星が導くところはまだ分からない。賢者の助言があれば、悪魔への復讐の方法も、星の導きも分かるかもしれなかった。
屋敷の敷地を取り囲むように途切れなく続く塀、どこかに入り口があるはずだ。シリウスは塀の左右を見渡して、右へ10歩ほど歩いて右の塀の先を眺めて入り口がない事を確認し、今度は左へ戻ってその先にも入り口が見当たらない事を知った。もしかしたらここからは見えない塀の左右どちらかの一番端が入り口かもしれないと思い、左へそのまま歩を進めた。塀の向こう側は物音ひとつない。だが塀と草むらの間は踏み固められて草も生えていないから、誰かが定期的に掃除や草抜きをしているに違いない、誰かは住んでいるのだ。歩みを進めていくが入り口はまだ見つからない。そのうち、塀の端が見えてきた。塀の端は山肌の起伏に合わせてきっちりと高さが調整されており、まるで来訪者を拒んでいるように思えた。
こちらではない、あるいは狼煙を失敗したか、または、隠し扉に気付かなかったか。シリウスは踵を返して反対側の塀の端を目指す事にした。思案しながら数歩を歩き、ふと正面に顔を上げてみると、50メートルほど先の塀の前に、小柄な誰かが立っているのが見えた。こちらを見ている。毛むくじゃらの小柄の獣人、体の大きさと同じくらいの長めの柄の刃の大きい斧を、刃を地面に立てて体重をその斧に預けている。胴に鎧を着ているが頭と足には何も着ていない。よく見る獣人の戦士のスタイルだ。やや首を傾げ、手を腰に当ててこちらの様子を値踏みするように眺めている。見かけに依らず賢者なのだろうか。シリウスは敵意なく話しかけるつもりで、緊張を見せずに歩き進んだ。
獣人は微動だにせず値踏みを続けている。それでいい、来客として相応しいか、確認してくれ。シリウスは獣人まであと5歩程度のところで歩みを止め、どの言語が通じるのか分からないまま星皇帝国領と神聖軍の共通言語で「あの、」とだけ話しかけた。獣人は値踏みも止めず姿勢も変えない。二人の間に風を感じる時間が訪れた。この言語が通用しないとなると、選択肢は無限に広がってしまう、かといってシリウスも使える言語には限りがあった。知っている言語の挨拶を一通り試してみるか。見たところ、狸、小さな熊、そういう種族は原始的な挙動によってコミュニケーションを行うが、言葉を持たない独自の文化の獣人の武装とは異なり、人間や亜人が使う軍備品と同じ斧と鎧を使うようだから、一部の辺境の亜人の言葉で、こんにちわ、と言ってみた。シリウスの顔は気まずさから強張っている。
「わかってるよ、そうじゃないんだな、まず礼」
予想外に流暢な共通言語が獣人の口から発せられた事に面をくらい、シリウスの眉は上がった。えっ、と思わず動揺が漏れる。
「まず礼。こうだよ」
獣人は斧を片手に携えたまま、腰に当てていた手を真っ直ぐに下に下ろし、頭を深く下げてしばらくじっと待ってから、頭を上げて、掌をこちらに上にしてこちらに差し出した。お前もやれ、と。この文化は知っていた。腰から体を折るように深めに頭を下げる、東の島国の礼儀作法だ。シリウスは獣人の仕草を真似て、腰から体を曲げて礼をした。獣人はシリウスが礼を終えて正面に向き直るのを待ってから、
「で、こう」
と言って斧を持ち上げて両手で柄を掴むと、斧の刃先をシリウスに向けた。呆気に取られているシリウスに、獣人は鼻を上に何度か上げて、同じようにするように促した。
「違う、誤解だ、戦いに来たわけじゃない」
シリウスは両の掌を獣人に向けて敵意がない事を示した。獣人は首を横に振る。
「間違いじゃない、俺はここの番人だ、これが俺の仕事」
獣人は斧を大きく振るってまたシリウスに刃先を向けた。身長はシリウスより低いが、斧を振るう様子からその熟達の度合いは十分に理解出来た。
「なぜ、戦う必要がある?」
それは混乱するシリウスの口から自然出た言葉だった。獣人は戦闘態勢のままだ。
「だから俺の仕事。強い奴はあぶねぇからここに入れられない。弱い奴はここで死ぬから、やっぱり入れない、どっちみち、あんたは入れない」
獣人は口元をにやりを歪めてシリウスを煽った。また鼻を上に振る。シリウスは一歩後退して口を一文字に閉じて奥歯を噛み締めた。ふざけているのか、こういう文化なのか、やはり狼煙に失敗したから拒否されているのか。
「あんたは素手のスタイルか? それでも俺は手加減しないけどな」
獣人が一歩前に踏み出し、シリウスはまた一歩後退する。この獣人には戦闘を避ける理屈はないようだ。シリウスは左手を獣人に向けたまま、右手の指で右の耳のイヤリングに触れた。
「なにそれ? お祈りか? どのみち入れないんだぜ、逃げるか?」
逃げるのも手だろう、だがここまで来てもう少しで賢者に会えるのかもしれないのだから、手ぶらで帰るには余りにも悔しい。相手は熟練の戦士のようだが、勝ち目はあるだろうか、この仕草をお祈りと勘違いしているから、魔導の術は知らないだろう、油断している今なら、見込みはあるかもしれない。
「入る方法はある。あなたを殺す事だ、そうすれば無理矢理入れる」
獣人は眉を歪めたが、すぐに口元を歪めて笑った。
「おお、わかってるじゃん、その通り。殺すか殺されるか、やってみようぜ、ほら」
獣人は斧を横にして体の後ろに引いて本気の戦闘態勢を取った。あそこから斧を縦か横に一閃する流儀、まともに受けてはいけない、斜めに受け流すか退いて急接近し次の振り被りの前に勝負を決める。シリウスは口内の渇きを生唾を飲み込んで癒した。獣人の足が半歩近付く。こちらからの急襲も警戒している証拠。こちらが素手だから何か飛び道具が無いか警戒している、それならば斧が振るわれる前に先手を取るか。獣人は肩を僅かに上下させて肺で笑っている。魔導による足力は飛び道具に匹敵する急襲を可能にする、斧が振られる前にその刃に先んじて密着する事は可能、相手が洞察力から後退しながら牽制的に武器を振る事が無ければ。もしそうなれば、あれほどの刃は頭か胴を真っ二つに返り討ちにされる。シリウスは視線を獣人の斧から足へ、そしてまた獣人の眼に戻して、視線が交差した。
「へぇ、何か隠し持ってるな、ダガーか、ダーツか、俺を一発で殺す、何かだな?」
よく喋るのは牽制だ、見透かしているように見せて、先手を封じようとしている。この獣人は体格が不利な相手に対して頭脳で勝ちにくるタイプ、賢い戦士、番人を任せられる理由か。獣人は半歩下がり、斧の刃を盾にするように前面に構え直した。先手を防御しようとする姿勢。斧は重く扱いが難しいとされる武器だが、一度使い方を身に付ければ攻撃にも防御にも大きな効果を発揮する万能の得物だ。だから熟練の戦士は斧を愛用する者が多い。この獣人の実力は認めざるを得ないだろう、これまでの修行や旅の中で出会った戦士の中で、1番の斧の使い手かもしれない。この僻地で番人をしているような器ではないのに、なぜ、そこまでして守るものがここにはあるというのか。
「思い出したぜ、その仕草、あんた魔導なんだろ、さあ、来い、仕舞いにしようぜ」
シリウスは唇を噛んだ。見破られた、時間をかけ過ぎた。しかし獣人の挑発は、まるで自身の死も覚悟しているような言い様、魔導の術の危険性を知っている、かつて魔導剣士と戦った事があるかのような覚悟、無傷で勝てるとは思っていないのだ。それならば。シリウスは指で右耳のイヤリングを擦り、そこから白い光の帯を引いた。帯を剣のように持ち直し、獣人にその刃先を向ける。そして左手の指で左耳のイヤリングに触れ、左手で円を描くように光の帯を巻き、左腕に光の盾を作った。
「あなたの言う通り、魔導剣士だ」
獣人は斧を構えたまま目を大きく上げて、
「ひょぉ、すげぇ、さすが、ここまで来る奴は違うねぇ。これだからアッタの番人はやめられねぇや」
と足を騒がせた。どうやら戦意を失わせる事には失敗したようだ。むしろ戦いたがっているように見える。逆効果、やはりこの戦闘は避けられそうにない。シリウスは駆け引きをしている自分が馬鹿馬鹿しくなった。こういった戦闘狂の戦士とは、真正面で戦い合って勝敗を付けた方が話が早いのだ。勝っても入れないというのはうそだ。勝てば、言うことを聞いてくれる、そういう性分、その確信が持てた。
「では、参る」
シリウスは魔力を集中させた脚力で獣人に急接近し、盾を捩じ込んで斧の間合いの中に入って魔導の剣を横凪に一閃した。斧の柄は真っ二つに分断され、時が止まったような静けさでその先の斧の刃先が地面に落ちた。その間に半歩下がって斧を再度振り被ろうとしていた獣人は、振ろうとしていた刃先が柄から離れていく事に困惑して舌打ちした。シリウスは後退した獣人に光の帯の刃先を向け、獣人は柄だけになった斧を捨てた。対峙するシリウスに一度は両拳を構えて戦意を見せたが、ため息を吐いてすぐにそれを止めた。
「わかった、負け」
そう言って獣人は両の掌を上に向けて降伏の意を示した。シリウスも獣人も、それを合図に鼻で息を吹いて戦闘の気合いを解いた。シリウスは光の帯を消して、獣人は折れた斧の先を拾い上げて切り口を何度も確認した。そしてシリウスを見上げて、
「通ってくれ、入り口はここ」
と戦っていた場所のすぐ脇の塀の木の板の一部を押す。かちりと音がして、塀の一枚の木の板がシリウスたちがいる外に向けて横に回転しながら開いた。
「いいのか?」
隠し扉の正体を確認したシリウスは、腕組みをして見上げている獣人に、勝った奴も入れない、というルールについて解答を求めた。
「それがルールだ。俺はグレン、ここの番人兼、木こり兼、薪割り、肉体労働全般も、色々やる奴ってとこだ。入ってくれ、魔導剣士の兄ちゃん」
シリウスは塀の中の景色を確かめながら、尻を押すグレンに促されて敷居を跨いだ。
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