第2話 失ったもの

 神と悪魔の星の大戦が最古であるならば、人類と悪魔の大戦は数百年ごとに訪れる近代の大陸の大戦と呼べる。神が去った後、悪魔は度々地上に現れて隠して大陸の民を脅かした。時には数体で、時には軍団で、地表に姿を現した。星の大戦ほどの数ではないにしても、悪魔は1体で数千の戦士に匹敵し、それが軍団で現れた時、人類はその土地を諦めざるを得なかった。いつの時代でも悪魔は人類を殲滅する事を目的とし、村を滅ぼし、町を滅ぼし、やがて国を、そして大陸を滅さんとして侵攻を続ける。これに対抗出来る勢力は大陸中でも数少なかった。東の島国アマテルの戦士たち、ミッドランドの新興国である銀星帝国、この2つの勢力の活躍が無ければ、人類は500年間前に滅びていたと言われる。最終的に神と悪魔の大戦を終わらせたのは銀星帝国の初代皇帝とされ、暦は改められ、初代皇帝を大陸の新たなる王として新王歴が制定された。一度は封じられたかに見えた悪魔たちは、その後も異界の口の巣穴から復活し、人類の天敵として度々歴史に登場している。多くの悪魔を倒したのは、魔導剣士と呼ばれる人類の一部の英雄たちだというが、数々の大戦を経て、辺境で修行をしていた魔導剣士たちは、悪魔に修行場を襲撃されて姿を消し、一時は大陸の魔導剣士はもはや全滅したとさえ言われた。鎖国状態を敷いたアマテルの状況は伝えられていないが、魔導剣士は銀星帝国の養成施設によって僅かに生き残った剣士が師匠となり次代の剣士を育てていた。その施設はピスケスと呼ばれ、長年に渡って同施設で剣士の卵を育て、過去にアマテルから供与された魔導具も独自の改良を重ねて、銀星帝国は常に戦場で魔導剣士を欠かす事がなかった。ピスケスには、若き資質のある人材が年々集められ、それが慣例化していく。現在は帝国領の一部に魔導専門学校や魔導学院が開校され、その中で優秀な成績を納めた者のみがピスケスの門を潜る権利を得ている。魔導術に限らず、文武商に広く知識と経験を積む場所として、文化と商売の中心地としても一等地であり、権力者や富のある者は、まず第一に銀星帝国領の住民権を得て資産を帝国紙幣に変えるほど中央大陸に権力が集中していた。特に巨大な権力を誇っているのが、銀星十二宮と呼ばれる12人の大将軍たち。彼らは1人ずつが5万人を越える軍団を持ち、ミッドランド各地の要衝に就いていた。彼らの1つの軍団が動くだけで1つの国を滅ぼすと言われている。大将軍は大戦の英雄であり、憧れの的、その腹心たちも選りすぐりの武将。各軍団は戦争だけでなく、土地の開拓や物資の支援などにも活躍し、慕う国民は数多い。特に都市開発には多くの人員が割かれており、帝国が主導する開発計画により、ミッドランド各地に人間の都市がいまだに拡大を続けている。銀星帝国の全大陸支配は時間の問題とされているのだ。


 シリウスはミッドランドの東部に位置する山脈の間の草原を、西から東へ、向かいの山麓を目指し歩んだが、草原には、野生の獣と昆虫が強い生命力を発揮して生息していた。シリウスの装備は一般的に軽装備と呼ばれる衣服に過ぎない。魔力の扱いに長けた魔導剣士といっても、野生の動物を相手にする事が分かっていれば、盾と長剣と弓、それに加えて革の鎧と脛当てくらいは準備しておくのが常識であった。それらも無く、シリウスは野生の攻撃的な動植物を相手に草原を進んだ。衣服は切れ、マントも刻まれる。魔導の白い光の帯だけを頼りにそれらに対抗していった。

 シリウスが軽装備を強いられたのは訳がある。故郷から旅立つ際にそれだけの装備は得られなかったのだ。装備を揃える余裕もなく一刻も早く故郷から離れる為に走って逃げた。その日、シリウスたち魔導剣士の見習い10人が暮らす集落は、悪魔に襲撃された。1体や2体ではない、30体を越える悪魔の群れが深夜の集落を襲ったのだ。

 魔導剣士の修行の場は概ね人里から離れた僻地と定められており、その技の習得も一般には見られてはならなかった。それが仇となって、不意を突かれ救援もなく見習いたちは悪魔に斬殺されていった。覚えたての魔導で抵抗する者もいたが、多勢の前に為す術もなく殺された。シリウスは師匠ルシウスに助けられて何とか身を隠したが、ルシウスが叫んだ「逃げろ!」という声に振り返るもそこにルシウスの姿は無かった。シリウスは破壊された家屋の合間を縫って走り、割れた鏡台の元に置かれていた幾つかの翡翠の飾り物を手に取って、暗闇の渓谷を走り続けた。30分もしないうちに仲間たちは全滅させられた。共に修行を積み苦難を乗り越えてきた仲間たち。厳しくも優しく導いてくれた師匠。魔導剣士を目指して研鑽した日々と時間。それら全てがその夜の数十分で失った。いや、自分が生きて修行した日々はまだ失われていない、悔しいが、今はまだ奴らに勝てない、だが生きていれば必ず復讐の機会は訪れる。そのためには仲間が必要だ。組織、悪魔をも屈服出来る大きな力が。

 シリウスは最早故郷とも言える集落を振り返らなかった。魔力を足に集中させて自身の最速の力で渓谷を駆けた。山道を上り森の中を疾走して盆地へ下り、人里の畦道に見えた頃には朝日が見えていた。そこまで一度も足を止めなかった。里の門の番人が持つ松明が見えた頃には、シリウスの精神も体力も足の骨も、限界に達していた。番人がシリウスの影に気付いて駆け寄って来た直後、シリウスは意識を失って倒れた。

 この草原まで逃れて来ても、常に悪魔に追われているような危機感と焦燥感が、シリウスの足を早めているのかも知れなかった。鬱憤、魔導剣士は常に冷静でいなくてはならないのに、気が付けば感情的に野生の動物にトドメを刺していた。草原を進みながら物々交換に使えそうな物を収集していくはずが、気が付けばそれも忘れている。そろそろ魔力が限界なのだ。木の上か開けた地面のあるところで休憩しなければ、この草原の敵意は際限がない。視線をあげて目指す東を見渡すと、少し先の草むらが南北に途切れて段差があるように見える。木はいずれも遠いが、草むらに隙間があるという事は、踏み固められた道か、小川なのかも知れない。草を足で掻き分けながらそこまで歩を進める。水、やや深い小川。小魚の影がいくつか見えた。シリウスは肩の力を抜いて水流の匂いを鼻から吸い、深く息を吐いた。清潔で澄んだ水、僅かに魔力さえ帯びている。シリウスは小川の淵まで歩を進めて膝を曲げ、片手で川の水を掬った。もう一度匂いを確かめてから口に含んで口内を洗うように味わった。それから両手で水を掬い今度は豪快に喉へ流し込む。また掬って顔も洗った。マントの端で手と顔を拭いてから、肩に掛けていた荷物袋を下ろして革の水飲み袋を取り出し、蓋を開けて川に沈めて澄んだ部分の水を中に注いだ。これだけで何日か生きられる。水飲み袋の蓋を閉めて荷物袋に戻した時、「わっ」と悲鳴が聞こえて目の前の川の対岸の草むらが揺れた。子供の声、三歩ほどで渡れる距離の川の対岸の人の気配にも気付かないほど自分の生命力を回復する事に集中していた、気が緩んでいたのか。人間の子供なら無害だとは思うが、亜人の中には人間を嫌う種族もいる。他種族を受け入れている文化や戒律の国は多いが、過去に起きた大陸戦争の遺恨から互いに必要以上に憎悪の対象としている国もまだまだ存在し、特に辺境は対立が激しい。この草原も人が寄り付かない辺境である事に間違いはないから、警戒するに越した事はない。シリウスは静かに息を整えながら、ゆっくりと荷物袋を引き寄せて肩に掛けて対岸をじっと見つめた。視力に魔力を集中させて草むらの中の魔力の流れを視る。対岸の草むらの一部が互いに僅かに弧を描くように根本から曲がっているのは、獣道か、誰かが何度もそこへ来ていたという事。魔力をさらに集中させる。こういった魔導はシリウスは苦手であり、苦手な魔導の術は余計に魔力を費やすものだから、この草原では使わなかった。草原の生命力を軽んじていたともいえる。師匠が言っていた王道は、こういった術ほど使いこなすべきだという。戦闘に頼る覇道はいずれ覆されるのだとも教えられた。克服こほが真の実力を上げる唯一の手段なのだという。それに、苦手などと言っていられない、早く力を得なければ、再び悪魔たちと対峙する前に。見えて来た、草原に吹く魔力は埃のように光の粒子となって凪いでいる。風の動きと草の揺れは同期して魔力が揺らめいている。幾つかの、濃く魔力を纏って動く生命がある。一段背の高い生命が足を動かして遠ざかっていく。同時に対岸の草むらに小さな波が起きて川から退いていった。シリウスはそのまましばらく待った。声の主は追い付けないほど遠くまで去って行ったようだ。シリウスはようやく視力の魔導を解いて深呼吸した。立ち上がって対岸の先を見渡す。対岸の草原は特に生命力の敵意が少ないようだ。川を境に環境が違うのだと想像する。まだ山の麓に一筋の煙が上がっている。その煙を辿って視界をやや下げると、麓に蜃気楼のような朧げな歪みがあるのが分かった。春の山の麓に蜃気楼など聞いた事がない。シリウスは再び視力に魔力を集中させてみた。歪んでいた景色の輪郭が定まってきた。細長く横に伸びる壁。木の板を張り巡らせた塀が100メートルほど続いており、外界とその中を隔てているようだ。まるで村落、村にしては小さい。数軒のための広めの敷地のようだ。塀に上に飛び出た建物の三角の屋根が見えた。魔力を緩めると、また蜃気楼のように朧げに映る。守られている。あれが、アッタの隠れ屋敷。

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