ヘリクシオンストーリーズ

Mito

第1話 魔導剣士

 かつて、この広大なヘリクシオン大陸に降臨した神と悪魔の戦争により大陸は割られた。この神魔戦争は星の環境を根本から変え、時には隕石も降り注ぎ、海も山も植物も動物も人間も、その文化と住処と各地の経済基盤を変えられた。それが星の新たな始まりであり、神話と文明の再誕として歴史に語られていった。

 神魔戦争を生き抜いた人間と亜人と獣人は集まり、国家を作り、対立して、度々戦争を起こしては繁栄と衰退を繰り返していった。また、天使の降臨によって罰せられ、悪魔の襲撃によって壊滅し、大いなる竜や神の如き獣によって天災に見舞われた。その度に各地で新たな王を名乗る者が現れ人々を導き、新たな信仰が救いを与え、また国家を作った。

 この物語は、新王歴512年を迎えたヘリクシオン大陸の群雄割拠の時代の記録。神と悪魔の仲介者として大戦を治めた新王の血脈が支配するミッドランドの銀星帝国、帝国は他大陸に侵攻して各種族を脅かし、それに抵抗する神聖軍が各地で軍旗を揚げ、辺境では獣人たちが勢力を取り戻そうと跋扈する混沌の時代。空と山と海では神獣と竜が暴れ狂い、再び神と悪魔が現れると各地で予言されていた。

 星の意思の代弁者とされる魔導剣士はかつての戦い以降、剣を納めて姿を隠してしまったが、大陸の住人たちは新時代の魔導剣士の登場に期待していた……。


 緑の草原は周囲を山に囲まれ、正面の山の麓あたりから一筋の煙が上がっていた。草原の川から海へ流れ出る汽水の淵まで小船を進め、草原の淵に船が着けられそうな岸を見つけたシリウスは、船首に結んだロープの端を片手に持ちながらその岸まで船から跳んだ。生を受けて15年に満たない見習い魔導剣士のシリウスは、空腹に足腰のバランスを崩した。岸の砂に着地したものの、砂に足を取られ革靴は深く砂に沈んだ。靴の中まで砂が入り込む。腹が減るのは、そういう時期だからだと師匠は言っていた。靴の中の砂はひとまずそのままにしておいて、シリウスはロープをたぐり寄せて船の船底を岸の砂に乗り上げさせた。ロープを結べそうな岩を探して、それに大きく輪を作って縛り船を安定させる。シリウスは船の縁に腰掛けてから右足の靴を脱いで逆さまにして、中に入った砂を岸へ戻した。そしてフゥと一息を吐く。春の草の青々とした匂いを吸って、旅の一時の休息にした。

 布の服と布のマント、革靴、アクセサリーが数点という軽装備で、野生の魔物と渡り合いながら大陸を渡って、山を避けて船を漕ぎ、随分遠くまで辿り着いた。といっても、ここは目的地ではなくまだ旅の途中。目的地を定めるための旅。食料も水も残り少ない。シリウスは船に置いた小さな布袋の荷物を確かめてから、草原の先の山の麓に上がる煙を再び見た。草原に漫ろに立つ木立の大きさと目視の感覚から、煙の位置まで1時間強と推察する。煙のあるところには確実に人がいる。あるいは襲撃された村がある。旅を重ねる中で得た初歩的な知識。野生の強い大地に見える。野盗が縄張りにするような資源も無さそうだ。平坦な地面は少ないだろう。実際には沼や回り道で時間を浪費しても2時間とシリウスはイメージした。そこにはおそらく人が生活する小さな村がある。あの静かな煙は料理か焚き火。家屋が焼けて立ち上る煙ではない。そこまで行けば手持ちの金と食料を交換出来るはずだ。風が冷たいのは春とはいえ山から吹き下ろしがあるせいだ。見上げた空の青にゆっくりと白い雲が身を任せている。

 シリウスは野生の生命の動きを察知して右耳から下げた翡翠のイヤリングに右の人差し指を添えた。船のロープを結んだ岩の後ろに群生するやや背の高い葦のような植物に、風のリズムに合わない微かな動きがある。肉食の獣の類か、だが植物の地面は湿地のようだ、彼らは足元が悪い湿地では襲撃して来ない。植物の動きが止まったが気配は消えない。既に仕掛ける態勢に入っているという事だ。シリウスはイヤリングを人差し指で擦り、静かにその指を前方に向けた。イヤリングから尾を引いた白い光は、伸ばした指の先まで帯となって形を成して宙に漂う。シリウスは白い光の帯の端を剣の柄のように右手に掴んで気配に向けて真横に構え防御姿勢を取った。シリウスの眼光は鋭く草むらに向けられている。臨戦態勢だ。

 一凪の風が草原を駆けた刹那、草むらを割って影が突進してきた。牙を剥き出しにして後ろ足と尾で跳躍してきたのはオオトカゲだ。頭の比重が大きい。シリウスの視界いっぱいに牙とその中の蠢く舌が迫る。シリウスが真横に構えた光の帯に喰い付いた。次の瞬間、身を翻したオオトカゲは苦悶に身悶えて岸の砂の上を踊った。すぐ様に戦闘態勢に身構え直したオオトカゲは頭をシリウスに向ける。剥き出しの牙の多くが削ぎ切られていた。ようやくシリウスに対して全身を顕にしたオオトカゲは、肉食のトカゲの中でも特に獰猛な岩食いオオトカゲ、通称ロックリザードだ。前足は小さく発達した後ろ足と尾で獲物に飛び付く湿原のハンター。その割に大きな頭と口、鋭く並ぶ牙で子供なら頭ごと丸呑みする残虐性を持つ。ロックリザードは再びその残虐性を発揮すべく尾を振って後ろ足を砂に埋めつつある。岸に出たロックリザードに対して、シリウスはまた防御姿勢を取って白い光の剣を真横に構え、ロックリザードが敵意を解かない事を確認すると、今度は眼光だけではなく、全身に宿る魔導の力をマントに纏わせて自身の左半身を覆った。マントは薄白く発光してロックリザードにその圧力を見せる。その獲物の威圧的な様子にロックリザードはピクリと体を硬直させた。四つ足の左足が浮く。後退しようと体の重心を下げる。シリウスはそれを見逃さなかった。単純な爬虫類とはいえ、命を持っている事自体が星に選ばれた生命であり魔導の大きな流れの一部。自分の魔導に取り込めれば自由に呼び出して使役する事が出来るという。ただしこちらの呼びかけに応じて意識の同期を許す場合のみ、生命を魔導と化して寄り添ってくれる。シリウスは構えた光の剣を霧散させて敵意を解いた。マントの魔導は最低限の防御手段として纏ったまま。

 生命を使役する方法は様々あるとされているが、この状況、自身の魔導にとって、これで良いのかどうか、シリウスには分からなかった。師から聞いていた知識だけで、まだそれを実践した経験がないのだ。シリウスは、仕方がないのだ、修行はまだ途中だったのだから、と言い聞かせてロックリザードに臨んだ。この爬虫類は怯えている、マントに纏わせている魔導を警戒しているのか。どんな生命でも僅かに帯びて体内を通わせている魔力は、生命たちが心を結ぶ要因として時に大きく広く、時には細く鋭く、形を変えて生命を結んでいく。心の通わせ方はそせぞれだが、感情の感知や共通認識などに作用している事が知られるのが魔力だ。それを操り体外に形を成して武器にも防具にも利用するのが魔導剣士と呼ばれる稀有な存在であり、限られた特質を持つ者だけが修行によって身に付ける一騎当千の能力。魔導剣士が星の意思の代弁者とされるのは、その強さにも由来する。シリウスはその魔導剣士の修行中の身。だが未熟ながらも、その特質と将来性は歴代の高名な魔導剣士に匹敵すると認められた、いわばエリートだ。修行を完成させる前に旅に出たのは訳がある。今は理不尽なその訳について考えている時ではなかった。目の前のロックリザードを調伏し使役する事に集中する。

 生命の魔力を結んで心を通わせるか。魔導剣士だけが生命を使役出来るわけではない。熟練の魔力使いは調停者として他種族間の戦争も治めるという。それは交渉力だけでなく、互いの魔力を繋げる事で相互を理解させ争いの原因を探り、闘争心を抑える作用に使うのだ。魔力にはそういった使い方もあって、魔力における様々な作用を習得していくのは、大陸の学問の1つでもあった。師は事あるごとに、シリウスにもその才覚があるはずだと言った。自身に自覚はないが、あるはずだと。だとしたら、野生のロックリザードの1匹など使役できずにどうする。コツは魔力を結ぶ事。それは知っている。結ぶといっても、やり方は様々ある。強引に魔導の剣を突き刺す、隙を突いて魔導の帯を投げつける、捕まえて魔導の帯で締め上げる、どれも敵対的でシリウスが思う使役のイメージとはかけ離れていた。このまま距離を詰めて、魔獣を魔導のマントで包み込む、考えるほど、それが最良の手段に思えた。警戒するロックリザードとの距離が縮まるほど、それが最良と思えて考え直す余地はなくなった。岸の砂を靴の先で割りながら、これが最良と思考を絞って、そしてまた距離を詰める。シリウスはロックリザードとの距離があと一歩分のところで、両腕を左右に広げてマントをゆっくり開けて見せた。ロックリザードは再び後ろ足と尾を硬直させて、上半身も同様にぴたりと動きを止めた。違うようだ、期待した動きではない、自ら歩みを進めて来ない。ならば、とシリウスは左耳にも付けていた翡翠のイヤリングを指で触れてから左の指の先をロックリザードに向ける。そこに生まれた白い光の線が指先の直線上のロックリザードの頭に触れた。やや強引だが、相手の行動が予測出来ないからには先手を取る。このまま自身の魔力を注いで敵意がない事を分かって貰う、しかし、ロックリザードの意識はシリウスとの間で分断された。ロックリザードは四肢を地面から離して後方へ跳躍し、嫌がった。ロックリザードはそのまま距離を離して走り出し草むらの中へ消えて行った。このやり方は、間違い、おそらく野生の爬虫類には通用しない。

「師匠、俺の力は」

消滅、それがシリウスの白い帯が発揮する能力だった。そのシリウスが誰かに魔力を通わせるという事は、その誰かに消滅を与えるという事。消滅を発揮せずに純粋な魔力だけを通わせるのは難しい。帯に触れた部分を削り取ってしまうし、一歩間違えれば殺してしまう。攻撃のためには便利でもあるが、もちろん無敵ではない。先手を取られれば帯を作る前に殺されてしまうし、相手が魔導剣士の場合でも、魔力の熟練者の場合でも、弾かれて帯を貫き通す事は難しい。

 仲間が欲しい、だからそれがシリウスの本能的とも言って良い欲求だった。生存する事自体も欲求としては強かったが、1人で自分の能力が通用しない場面は多くあるだろう、多くの仲間が必要だ、自身の生存率を上げ、無防備に構えていられるだけの無数の仲間。1人や2人ではない、大陸を旅する内に、結局は仲間の数で生命を脅かされず生存率が上がるのだと認識した。1人が使役出来る生命は数が限られている、しかし1人ずつがそれぞれに使役すれば大軍団を組織出来るはずだ。それにはまず、自分が多数の生命を使役する事。それが出来なければ多くの軍団を率いる事など出来ない。

 シリウスは岸の砂の中に落ちていたロックリザードの牙の欠片を見つけて、それをズボンのポケットにしまった。物々交換の文化の村では、これ1つでも価値を持ち、アクセサリーや鎧の細工、呪術にも用いられる。どうせならロックリザード1匹分の骨や肉や皮が手に入っていたなら先の旅にも困らないほどだったが、使役しようとしていた手前、命を奪ってまで利用しようとする意欲はシリウスにはなかった。シリウスは船に置いていた荷物を引き上げ、岸を離れて草が生い茂る草原へ歩みを始めた。

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