サンゴキノコの使い方 2

 ブレーメの町から海上に出た直後でした。


「っ!」


 突然、強い水の礫が空から降ってきました。

 ブレーメの町から外に出る際に結界を張っていたので、水の礫は結界に阻まれましたが、急にバタバタバタと激しい音がしたので驚いてしまいましたよ。

 グレアム様やドウェインさんは平然としていますが、ファシーナ様もびっくりして目を見開いていらっしゃいます。

 このまま風の魔術で空を飛んでいくにしても、結界を解くわけにはいかないみたいですね。

 見れば、体は鳥の姿ですが頭は人の姿をした魔物、セイレンの大群が空を覆いつくしていました。


 ……す、すごい数ですよ。さすがにこれにはゾッとします。


 セイレンの魔力がそれほど強くないとはいえ、これだけの大群が相手ですから、ファシーナ様がブレーメの町の兵士だけでは心もとないとおっしゃるはずです。

 セイレンの翼は鳶色をしているのですが、数が多すぎて真っ黒い集団に見えます。海面にも、セイレンの翼でしょう、鳥の羽がたくさん落ちていました。


 ……それにしても、顔だけ人の形をしている鳥ということは、しゃべることができるのでしょうか。言葉が通じれば話し合いにも応じてくださらないかと、ちょっとだけ思ってしまいます。ですが相手は魔物ですから、甘く見ているとこちらが痛い目を見るのです。


 セイレンの歌詞のない綺麗な歌声も響いています。

 海を見るに、船が一艘もいませんから、セイレンを警戒して漁を控えているのかもしれません。


 ……ブレーメの町の方々にとっても、アーレ地方に住む方にとっても、セイレンをどうにかしないと死活問題でしょうね。


 ファシーナ様は水の属性の魔力しかお持ちでないそうですが、風の初級魔術までなら使えるそうなので自力で空を飛ぶことができます。けれど結界を維持したまま飛ぶのは難しいので、グレアム様がわたくしたち全員に結界を張りました。

 ドウェインさんが空から槍のようにこちらめがけて落ちてくるセイレンを、魔術で蹴散らしているのが見えました。

 一見、容赦なく海に叩き落しているように見えますが、あれでもセイレンが死なないように手加減をしているみたいですね。


「あれじゃ!」


 前方に見えてきた島を指して、ファシーナ様が叫びます。

 確かに、岩でできた塔の形をした島です。

 島の周囲に砂浜も植物も生えていませんので、島と言われなければただの岩と認識しそうなものですが、空からなら岩でできた塔のてっぺんに上陸できそうですね。

 島のてっぺんに上陸すると、そこは真円の形をしていました。ごつごつした岩肌には何か模様のようなものも書かれています。


「これは……魔術具か?」


 グレアム様が岩肌を撫でながらおっしゃいました。


「そうじゃ。この島は数百年前の女王が作ったもの。島全体が魔術の一種なのじゃ。特殊な、な。この魔術具が作動しておれば、セイレンをこのあたりから遠ざけることができる。常人には聞こえぬが、セイレンにだけ聞こえる特殊な音波が発生する魔術具なのじゃ」

「……確かに普通の魔術具ではないようだ。どうなっているのかは、分解してみなければ詳しいことはわからんが」

「冗談はよせ!」


 グレアム様から半ば本気で分解したそうな雰囲気を察したのか、ファシーナ様が頬を引きつらせました。

 もし許可が得られれば、グレアム様なら即座に分解しそうです。ダメと言われるのはわかっていたはずなのに、残念そうな顔をなさっていますし。


「この魔術具を作動させるには少し時間がかかるのじゃ。それまでセイレンの相手をしてほしい」

「……まさか、その奇妙なキノコを使うのか?」


 ファシーナ様の手にはサンゴキノコが握りしめられています。


 ……いやいや。まさか。キノコで魔術具が作動するなんてあるはずが――


「そうじゃ」


 ……ありましたよ。


 特殊なキノコだと思いましたが、まさか魔術具の作動に使うキノコだったんですか⁉

 グレアム様をかけた勝負にいきなりサンゴキノコが登場したから何故かとは思っていたのですが、なるほど……そういうことでしたか。


「……わらわには、サンゴキノコを作るだけの魔力がない。歴代の女王の中でも最弱と言ってよいじゃろう。ゆえに、この魔術具が動作を止めたあと、起動することができなんだ」

「つまり……はじめから、あの勝負はわたくしの勝ちが決まっていたのですか?」

「そうじゃ。利用した形になりすまなかったとは思うておる。じゃが、そなたが夫を貸さぬと言うたのだ、これ以外に方法はなかった」


 ファシーナ様の中での最善は、グレアム様の血を引いた魔力の強い子を産むことだったようですが、それが不可能になったのでせめてサンゴキノコだけでもということでしょうか。


「一度起動すれば十年は持つ。問題を先送りにしただけにはなるが、その間に魔力の強い男が見つかるかもしれぬ。……そこの男が火竜の一族ではなく、そしてもっとまともなら、伴侶に考えてもよかったが、さすがにあれはちょっとな……」


 ファシーナ様がドウェインさんを見ておっしゃいました。

 魔力量だけではドウェインさんも子供の父親候補に上がっていたみたいですが、水竜様と仲の悪い火竜様の血を引いていることと、それから変人すぎるその性格から、ファシーナ様の方が受け付けなかったようです。


 ……わかります。わかりますよ。我が子がドウェインさんと同じように毒キノコオタクだったらどうしようって思ってしまいますよね。


 ドウェインさんは「失礼ですね、私はまともですよ」なんて言っていますが、どこからどう見ても普通じゃないですからね。普通の人は毒キノコを好んで口にしたりしません。

 魔術具の起動に時間がかかるそうなので、グレアム様とドウェインさんは手分けしてセイレンの対応に回りました。


「アレクシア、任せていいか?」

「もちろんです!」


 わたくしはファシーナ様の周囲に結界を張ります。わたくしだって大魔術師様の妻ですから。お役に立って見せますよ!


 わたくし、火の魔力が一番強いので、いろいろな魔術を覚えた今では火の魔術が一番使いやすいのですけど、火の魔術で作った結界だと、セイレンが飛び込んできたときに燃やしてしまいますからね。風の結界で対応です。

 ファシーナ様は中央にある土台のようなところにサンゴキノコを置いて、何やら集中しておいでですから、万が一セイレンが入り込んだりしたら気が散ってしまうでしょう。ほころびなく、セイレンに破られない強度の結界を展開し続けねばなりません。


 結界の外では、グレアム様とドウェインさんが二手に分かれ、襲い掛かってくるセイレンたちを打ち落としています。

 魔物は、寿命が来ればその身に流れる血が時間をかけて凝固し魔石に変質しますが、寿命より先に死んでしまうと魔石になりません。

 セイレンの魔石は海が荒れないために必要なので、グレアム様もドウェインさんも決してセイレンの命を奪わないように手加減していて、そのせいで一向に数が減りませんので、なかなか苦戦していらっしゃいます。


 ……怪我をなさることはないと思うのですけど、集団で襲い掛かるセイレンの様子を見ていると不安になってきますね。


 グレアム様やドウェインさんの攻撃をすり抜けて、わたくしの張っている結界に突撃するセイレンもいます。

 ファシーナ様が魔術具を起動させるのにどのくらい時間がかかるのかはわかりませんが、数が数ですので長期戦になると苦しくなりそうです。


 ……閉じ込められないでしょうか。


 屠ることができないのであれば、せめて襲ってくるセイレンの数だけでも減らしたいです。

 以前グレアム様から教わって、相手を閉じ込める檻の魔術を使って、セイレンをまとめて閉じ込められないですかね?


 わたくしは自分の手を見つめます。

 結界を張っていても、まだ余力は充分ありそうです。グレアム様に魔術を教わりはじめておよそ一年。わたくしも魔力の扱いに慣れましたし、上達もしましたからね!


 わたくしは結界の上から加速度をつけて落下してくるセイレンを見上げます。


「……風よ」


 最近は、あまり口にしなくても魔術を使えるようになっているのですけど、今は別に結界の魔術も使っていますからね。二つ以上の魔術を同時に使うときは口に出したほうがイメージが固めやすいのです。

 檻の魔術は、最近は三十秒くらいで発動できるようになっているのですよ。

 目標を定めて集中します。


 ……今です‼


 わたくしの放った風の檻が、セイレン二体を閉じ込めました。

 たった二体ですが、うまくいったみたいです。

 鳥かごのような風の檻に閉じ込められたセイレンは、何が起こったのかわからなかったのでしょう、戸惑ったようにせわしなく檻の中を飛び回り、そして怒ったようにバタバタと羽ばたきました。


「なるほど、その手がありましたね」

「アレクシア、よくやった」


 わたくしがセイレンを閉じ込めたのを見ていたドウェインさんとグレアム様が、目の前のセイレンの大群に向き直りました。

 そして、グレアム様が軽く手を振り、ドウェインさんが前に手を突き出したその直後、セイレンの大群を巨大な檻が閉じ込めます。


 ……ふ、二人ともさすがです。早すぎます。一秒くらいであんなに巨大な檻を作るなんて、次元が違いすぎて言葉も出ません。


 これでセイレンの大群の半数以上が閉じ込められました。

 引き続き、グレアム様とドウェインさんが次々に檻を作ってはセイレンを閉じ込めていきます。


「アレクシア」


 ぽかんと空を見上げていますと、ファシーナ様に呼ばれました。


「はい、どうなさいました?」


 見れば、ファシーナ様は額に脂汗を浮かべていらっしゃいます。


「手伝ってくれぬか。わらわ一人では、魔力が足りぬようじゃ」

「わ、わかりました!」


 体調が悪そうなのは、魔力を極限まで使ったからのようです。

 これ以上は倒れてしまいますよ!


「どうすればいいんですか?」

「この台座に魔力を注ぐのじゃ。属性は何でもいい。サンゴキノコが媒介をするゆえ、何も考えず大量の魔力を叩きつけるのじゃ」

「わかりました」


 細かい操作をしなくていいのならばまったく問題ございません!

 わたくしはサンゴキノコがおいてある台座に手をかざして、何も考えずに魔力を叩きつけます。

 すると、台座に置かれていたサンゴキノコが液状に溶け始めて、台座に吸い込まれていきました。


「と、溶けちゃいましたよ⁉」

「それでよいのじゃ。先の女王が魔術具を稼働させるのを見たことがあるが、そのときも同じように溶けておった。そのまま続ければ、この塔の島全体が桃色に光り出す。それまで魔力を注ぎ続けてくれぬか」

「はい」


 しかし、この魔術具はいったいどうなっているのでしょうか。グレアム様も興味津々ですから、簡単なことでもわかれば嬉しいのですけど。

 魔力を注ぎ続けていると、ファシーナ様がおっしゃるように塔が桃色に光りはじめました。

 ファシーナ様はほとんどのセイレンを閉じ込め終えたグレアム様たちを見上げて叫びます。


「セイレンを解放するのじゃ! 魔術具が作動したらセイレンがパニックになる。檻に閉じ込めたままでは、逃げ場がなく、互いに衝突しあって死んでしまうぞ!」


 そ、それは困ります!


 わたくしは慌てて自分が閉じ込めた二羽のセイレンを解放します。

 グレアム様もドウェインさんも檻の魔術を解きました。


「アレクシア、最後はわらわも共にやるぞ」

「いいのですか? だってもう魔力が……」

「そんなものは絞り出す。わらわは女王じゃ。情けなくも他の人間に助けられねば任務をまっとうできぬ力なき女王じゃが、それでも矜持と言うものがあるのでな」


 ファシーナ様が厳しい顔で台座に手をかざします。

 わたくしは、できるだけファシーナ様に負担がかからないように、先ほどよりも勢いよく魔力を流しました。


 キイィイイイイン


 金属の細い弦をはじいたような甲高い音がします。

 桃色の輝きがさらに強くなり、塔の島を中心に、海全体に広がっていきます。

 それは一瞬だけのことでした。

 見渡す限りの海が桃色に染まったと思った瞬間、まるで突風にあおれらるかのような勢いでセイレンが散り散りに逃げていきました。

 わたくしには、音はもう聞こえませんが、ファシーナ様によると塔からは常人には聞こえないセイレンが嫌う音が発せられ続けているのだと言います。


 セイレンの羽音も歌声も聞こえなくなり、あたりには潮騒だけが響いていました。


「終わった……」


 ファシーナ様が、ほっとしたようなつぶやきを落とされて。


 ――そして、倒れました。





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