消えたグレアム 1

 わたくしとグレアム様は夕食を終え、最上階の部屋に戻ってきました。

 わずかに開いている部屋のバルコニーに続くガラス戸からは、かすかな歌声が聞こえてきます。

 ガイ様がおっしゃるには、この歌声は鳥のものだそうです。

 鳥さんが歌うなんてなんてロマンチックなのでしょうと思うのですが、ガイ様が言うにはこの鳥はただの鳥ではないとのこと。

 なんでも、体は鳥、頭だけは人の姿をした魔物なのだそうです。


 ガイ様によると、この魔物はセイレンと言うそうで、このあたりの海にのみ生息する珍しい魔物なのだとか。

 歌声は美しいですが、その歌声は実は魔力の少ない人間を惑わせるのだそうで、セイレンは船乗りの天敵と言われているそうです。

 わたくしやグレアム様にはまったくききませんが、魔術を使えるほど魔力を持っていないメロディやマーシアはあまり聞かない方がいいのだそうです。とはいえ、ガイ様がメロディとマーシアを歌声から守ってくださると言うので安心ですけどね。


「感じ取れる魔力は強くないんですけどね」


 歌声が聞こえてくる方へ顔を向けてわたくしがつぶやきますと、湯上りのバスローブ姿のグレアム様がわたくしを後ろから抱きしめつつ小さく笑います。わたくしは、赤くなるほど日焼けをしていましたので、本日は水浴びだけですましました。日焼けした直後はお風呂で温めない方がいいのだそうです。


「精神に作用する能力を持つ魔物は、魔力量が少なくても脅威だからな。火竜は、ただあの歌声が気に入らないだけのような気もするが、警戒しておくのに越したことはない」


 グレアム様がわたくしの頭のてっぺんに顎を乗せてしゃべるものですから、少々くすぐったいです。

 ガイ様がおっしゃるには、セイレンにはわたくしやグレアム様を惑わせるほどの魔力はないそうですが、相手は魔物ですから油断していると危ないですからね。


 ……まあ、魔物は自分よりもずっと強い魔力を持つものを恐れるので、グレアム様やガイ様が宿泊しているホテルにはやってこないでしょうけど。


「それよりも、日焼け予防に使える魔術を教えてやると言っただろう? 簡単だから今教えてやろう」


 そういうや否や、グレアム様が水の魔術を発動しました。


「こうして、体の表面に水の膜をまとわせるんだ」

「……ひんやりします」


 グレアム様の魔術で、わたくしとグレアム様の周囲を薄い水の膜のようなものが取り囲んでいます。濡れるのかと思いましたが、膜が取り囲んでいるだけで着ているバスローブはまったく濡れていません。


「これを応用すると、水の中で呼吸ができるぞ」

「応用ですか?」

「こうするんだ」


 わたくしたちを取り囲んでいた水の膜が、風船のように膨らんでいきました。

 まるで巨大な風船の中に入っているみたいで、ちょっと面白いです。


 ……この魔術を使えば、海の中の町にも行けそうですね! 海底の町にどうやって訪問するのでしょうかと思っていたのですが、謎が解けました。


 難しい魔術ではなかったので、グレアム様に教えてもらいながら何度か練習すれば問題なく使えるようになりましたし、これでいつでも海の町に行けますね! あ、違いました。日焼けしなくなるんでした。海底の町については、まだグレアム様にご相談していません。


「グレアム様、海の底にある海の獣人さんたちの町は、危険なところですか?」

「うん? いや、危険ではないと思うが、どうした?」

「その……、せっかくなので行ってみたいのです」


 海底の町なんて、そうそうお目にかかることはありません。きっと、世界でもとても珍しいと思うのですよ。一度でいいので見てみたいのです。


 ……わたくし、ちょっと我儘になってきたかもしれません。以前なら、あそこに行きたい、ここに行きたいなど、口に出すどころか考えたこともございませんでしたから。それなのに今はグレアム様と一緒に行きたいところがすぐに思いつくのです。


 とはいえ、無理を言ってはいけません。グレアム様がダメだとおっしゃったら、ちゃんと諦めますよ。グレアム様がお嫌なら行く意味はありませんからね。


「そういうことなら行ってみるか。俺もまだ行ったことはないしな。……だが」


 グレアム様がわたくしを抱きしめていた腕を離し、ちょっとだけ開いていたバルコニーの戸を開けました。

 外の空気を確かめるように目を閉じ、ふう、と息を吐きます。


「明日は無理だろう。……たぶん、嵐が来るぞ」

「え? 嵐?」


 夜空はとても晴れていて、星がキラキラしているのに?

 驚いていると、グレアム様がニッと口端を持ち上げます。


「これでも水竜の血を引いているからな、水の気配には敏感なんだ。嵐が到着するのはおそらく……明日の昼前くらいか」

「ということは、明日はホテルでゆっくりした方がいいのですね」

「そういうことだ。だからゆっくりしよう」

「はい……え?」


 バルコニーのガラス戸を締めたグレアム様が、わたくしをひょいと抱き上げます。

 ちゅっと額に口づけが落ちて、あっという間にベッドまで運ばれてしまいました。


 ……あれ? ゆっくり……。あの、ゆっくりの意味が、わたくしが思っているのと少し違うような……?


 頭が「?」でいっぱいになっているわたくしを、グレアム様がとさりとベッドに下ろします。

 そしてあっという間に口が塞がれて――


 ……あのっ、これはゆっくりとは違う気がするのですが……!


 わたくし、このままグレアム様の「ゆっくり」に翻弄されてしまう予感がいたします!




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