月夜の歌声 4
くすくすくす、と小さな笑い声が聞こえてきます。
「強いね」
「強い」
「いいね」
「うん、いいね」
「女王様に報告しなくちゃ」
「報告しなくちゃね」
「きっとお喜びだよ」
「だって強いもんね」
くすくすくすくす――
まるで歌うようなその声に、わたくしはぼんやりと瞼を持ち上げます。
「あ、起きちゃった」
「うふふ、逃げないと」
「見つかっちゃう」
「見つかっちゃうね」
……いったい、誰の声なのでしょうか。
ぱちぱちと目をしばたたきながら周囲を確認いたしますが、隣でお眠りになっているグレアム様以外、誰の姿もありません。
ざざん、という波の音に交じって、ぴちゃんと遠くで水が跳ねるような音がしました。
……誰も、いませんよね?
あの声は夢だったのでしょうか。
ぼんやりしながら今度は空を眺めますと、空は薄い茜色に染まっていました。
「あ!」
大変です!
わたくしたち、ずいぶんと長い間お昼寝をしていたみたいですよ!
「グレアム様、起きてください。そろそろ戻りませんと、メロディたちが心配しますよ」
わたくしは慌ててグレアム様の方をゆすりますが、グレアム様は「ん……」と小さくうなってぐっと眉を寄せ――何故かさっきよりもしっかりとわたくしを腕の中に抱き込んでしまわれました。
……これはもしかしなくても寝ぼけていらっしゃいますよ!
グレアム様、時々こういうことがあるのです。
朝も寝ぼけてわたくしを離してくださらなくて、大変なことがあるのですよ。
離してくださらないだけならまだいいのですが、寝ぼけたグレアム様はわたくしの体をやたらと撫でるので、そうなったらとってもとっても大変なのです!
「グレアム様……!」
案の定、グレアム様がもぞもぞとわたくしの腰のあたりを撫でて、胸元に頬ずりをはじめます。
くすぐったくて恥ずかしくて、わたくしはもう大慌てですよ!
「グレアム様、起きてください! もう夕方ですよ!」
起きて起きてとグレアム様の肩を叩いたり、銀色の艶やかな髪を軽く引っ張ったりしますが、グレアム様はまだ夢の中です。
「うぅ……」
無人島とはいえ、ここはお日様の下ですよ。いつ誰に見られるかわかりません。このままだととってもとっても危険な気配がいたします!
「グレアム様っ」
か、かくなる上は、こうです!
わたくしは水の魔術で宙に木桶一つ分くらいの水を生み出すと、ばしゃりとグレアム様めがけて落としました。
わたくしはグレアム様の下になっていますからわたくしも濡れますが、水着を着ているので問題ございません。
突然冷たい水がかかって、グレアム様がぴたりと怪しい手の動きを止めました。
むくりと体を起こして、ぱちぱちと目をしばたたいています。
起きてくださったようです。……よかった!
わたくしがほっと息を吐き出していると、グレアム様がきょとんとした顔をしたまま空の色を確認して、「もう夕方か」と寝起きのかすれた声でつぶやきました。
「はい。夕方です! 戻りませんと」
「ああ、そうだな。……まさかこんなに寝るとは思わなかったな」
「砂浜が気持ちよかったからでしょうね」
「確かにな。寝心地はよかった」
グレアム様がわたくしを起こして、そのまま腕に抱き上げました。
「急ぐから、な」
わたくしの速さに合わせていると時間がかかりますから、帰りはグレアム様が運んでくださるようです。
カペル島から対岸へ戻りますと、案の定、メロディがわたくしたちを探し回っていました。
空を飛んできたわたくしたちを見つけて、ほっとした顔をした後で目を三角にします。
「旦那様! いったいいつまで奥様を連れまわしているんですか! もうすぐ夕食ですよ‼」
「ああ、悪い。昼寝していて、そのまま寝過ごした」
「何をしているんですか、まったく……」
メロディはあきれたように息を吐きます。
さすがに砂まみれの水着姿でレストランへは入れませんから、わたくしたちはホテルの前で水の魔術で砂を洗い流した後で、着替えるために一度部屋へ戻ることにいたしました。
「奥様、日に焼けて赤くなっていますから少し冷やしましょう。魔術で氷とお水をここに出していただけますか?」
痛いほどではありませんが、体が何だかほてるなと思っていたら、肩や背中のあたりが赤くなっていたらしいです。
メロディが差し出した桶に氷と水を出しますと、メロディがタオルを濡らして、丁寧に肩や背中を冷やしてくださいます。
ひやっとして、気持ちがいいです。
「魔術で日焼け予防をしておけばよかったな」
水着姿のまま、メロディに肩や背中を冷やしてもらっていますと、ざっと水浴びを終えてバスルームから出てきたグレアム様がおっしゃいました。
「魔術で日焼け予防ができるんですか?」
「水の魔術でな。体の周りに薄い水の膜を張ればいい」
なんと、それは小器用な。わたくしにもできるでしょうか?
「知りたいなら後で教えてやる」
「はい、ぜひ!」
「奥様、水を浴びて着替えましょう。少し冷やしましたので、ほてりはだいぶ落ち着いていると思います」
「そうですね」
夕食を取りにレストランへ行かなければなりませんし。
グレアム様はご自分で着替えをすませてしまいますが、ドレスは一人で着るのが難しいのでメロディに手伝ってもらわねばなりません。わたくしは着替えだけでいいと思うのですが、メロディが薄くお化粧をして髪も結うと言いますので、支度に少々時間がかかるのです。
支度がすべて終わるころには、日もすっかり落ちてしまっていました。
今日のレストランは昨日とは別のところで、バルコニーにお席を用意してくださっているそうです。
ガイ様と合流してレストランへ向かいますと、海の見えるバルコニーに、真っ白なテーブルクロスのかかった長方形のテーブルが用意してありました。
夜空にはたくさんの星と大きな月が輝いています。
「ガイ様、今日はいかがお過ごしだったんですか?」
ガイ様は一日ホテルにいらっしゃったと思いますが、退屈ではなかったでしょうかと心配になりますと、ガイ様は口端を上げて胸を張りました。
「我は今日、このホテルにあるデザートをすべて制覇してきたのだ」
「デザート?」
どういうことかしらとマーシアを見ますと、どうやらガイ様は、このホテルのレストランで出されるデザートを、片っ端から全種類食べて回っていたそうです。
……ガイ様、そんなにお小さい体なのに、大食漢ですね。
「アレクシアのために、どれがどのように美味かったかをまとめておいたぞ。あとで見せてやろう」
「まあ!」
食べるだけではなく、味の評価までつけていらっしゃったなんて!
ガイ様のデザート評価、気になります!
「暇人……いや、暇竜だな」
「一日寝こけていたそなたに言われたくないわ!」
グレアム様のぼそりとしたつぶやきを拾って、ガイ様がむっと口を曲げました。
そ、そうですよグレアム様。わたくしたちはほぼ丸一日を寝て過ごしたので、それに比べるとガイ様の方が充実した一日を送っていると思いますよ。
「ちなみに、ここのレストランではイチゴのソルベが一番美味しかったのだ。あとで食べてみるといいぞ」
「イチゴのソルベですか? ふふっ、楽しみです!」
ソルベなんて、聞いただけで胸が躍りますね。
コードウェルは寒い地域なので、アイスクリームのような冷たいお菓子はあまり食べませんが、ここは暖かい気候なので、冷たいデザートがさぞ美味しく感じられることでしょう。
「ソルベもいいが、先に食事だぞ、アレクシア」
「はい、そうでした」
わたくしもグレアム様もずっとお昼寝していたので、お昼ご飯を食べていないのです。
目の前にお料理が出されると、途端にお腹が空腹を主張してきます。
……お腹がすいていますからね、わたくし、いつもより食べられる気がしますよ!
前菜のゼリー寄せを口に運んで、つるんとした食感を楽しんでいたときでした。
風に乗って、歌声のようなものがかすかに聞こえてきます。
「歌……?」
わたくしはバルコニーから海岸の方へ視線を向けましたが、夜ですし、距離があるので、暗い海しか見えません。
それにしても、綺麗な声です。どなたかが歌っているのかしらと耳を傾けていますと、ガイ様がスプーンを置いて眉を寄せました。
「『うるさいの』が来た」
……「うるさいの」というと、ガイ様が昨日おっしゃっていた魔物のことでしょうか。いなくなったと思っていたけれど、まだこのあたりにいたと言うことですかね?
ということは、あの歌声は魔物の声?
でも……魔力を探りますが、やはり強い魔力は感じませんが。
「その、『うるさいの』とはなんだ」
ガイ様は海岸の方に視線を向けて、短くこうお答えになりました。
「鳥だ」
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