月夜の歌声 1

「ガイ様はずっとハイリンヒ山の近くにお住まいだったと聞きましたが、このあたりにも来たことがおありなんですか?」


 ハイリンヒ山とアーレ地方は距離がありますが、火竜様であるガイ様ならこのくらいの距離であれば移動もすぐのはずです。

 リゾート地になるだけあってこのあたりはとても美しいところですし、もしかしたら遊びに来られたこともあるのではと訊ねますと、ガイ様は魚介のスープを飲みほした後で首を横に振りました。


「ないな。我は水が好きではないし、第一このあたりはうるさいのがいたからな」

「うるさいの?」

「まあ昔のことだから、今はもういないかもしれないが」


 はて、何のことでしょう。

 ガイ様のおっしゃる「うるさいの」がわたくしにはよくわかりませんでしたので首をひねっておりますと、隣にお座りになっているグレアム様が「魔物だろう」とおっしゃいました。


「強い魔物でも生息していたのではないか? ……周囲からは、それほど強い魔力を感じないから、火竜が眠っている間に異動したか死んだかしたんだろう」


 グレアム様がおっしゃる通り、周囲からは強い魔力は感じません。人や獣人が持つものとは別の弱い魔力ならいくつも感じるので、魔物が生息しているのは間違いないようですが、もともとなのか、それともグレアム様やガイ様の強い魔力を感じ取ってなのか、遠く離れたところから動きませんので、人を襲うことはない気がいたします。

 ロックさんは、念には念をとおっしゃって、オルグさんを連れて危険がないかを探りに行きましたが、魔力量で言えば、感じ取れる魔力よりもロックさんやオルグさんの方がはるかに強いため、見回り中に魔物に襲われることはないでしょう。


「奥様、お手が止まっておりますよ」


 マーシアに言われて、わたくしはハッとカトラリーを握りなおしました。

 いけません、今は夕食中でしたね。魔力を探るのに没頭するあまり、お食事がおろそかになっておりました。


 わたくしたちは今日から一週間お世話になるホテルのレストランの個室で夕食中です。

 このホテルはクウィスロフト国でも見ないほど大きくて豪華なホテルで、なんと、建物内にレストランが八つもあるのです。レストランによって出されるお料理が違うため、このあたりのお料理から他国のお料理までたくさん楽しめるのですよ。

 そしてなんと、グレアム様はこのホテルの最上階の部屋を全部取ってしまったのです。

この時期、旅行シーズンからは少し外れているので、旅行客はそれほどたくさんいらっしゃいませんから、ホテルの部屋が余り気味だったのでできたことでしょうけど……全部。最上階は一番高い部屋なのに……。メロディは豪華な部屋に泊まれると喜んでいましたけど、お金に疎いわたくしでも、とんでもない金額を使ったのはわかりますよ。


 ……グレアム様は王弟でコードウェルの領主様で、名ばかりのものですがクロックフィールド公爵の名も持っているため、いろんなところからお金が入ってくる大金持ちなのだそうですが、わたくしは贅沢に慣れておりませので、なんだか申し訳ない気持ちになってしまいます。


 ここの料理もとっても美味しいのですよ。

 このレストランはこのあたりのお料理を出してくれるのですけど、魚介をふんだんに使ったお料理ばかりで、いつも食べるお料理とは風味が違ってどれも美味しくて楽しいです。


「このお米料理はおいしいですね」

「クウィスロフトでは米はあまり食べないからな」


 魚介のスープの味がするお米は、バターで炒めているのでしょうか、バターの風味もします。しっおりしているのにパラパラもしていて面白いです。「ピラフ」というのだとグレアム様が教えてくださいました。ご飯と一緒に食べるぷりぷりのエビが美味しい!


「だが食べにくい」


 見れば、ガイ様がピラフ相手に苦戦していました。


「ガイ様、フォークだと食べにくいですから……はい、あーん」


 スプーンでピラフをすくって、左隣のガイ様のお口に運んで差し上げます。

 テーブルは長方形ですのに、お二人ともわたくしの隣にいるのですよ。グレアム様が右隣、ガイ様が左隣です。メロディとマーシアは一緒に食事を摂りませんので、対面の席は全部あいています。


 ガイ様はメロディともマーシアとも仲良しで、わたくし以外にもこの二人にはご自身のお世話を許していらっしゃいますが、お食事の時はわたくしの隣に座ることを好まれます。

食べにくいお料理などはわたくしがお口に運んで差し上げますと、とっても可愛らしい笑顔で「くるしゅうない」と頷かれるのです。

 ただ、あまりガイ様のお世話を焼いていますと、どうしてかグレアム様が不機嫌になられるということを最近知ったので、加減が必要なのですが。


 ガイ様はピラフが気に入ったようです。ぷくぷくのほっぺたを膨らませて、むぐむぐと夢中になって咀嚼しています。こんなに愛らしい方がとんでもない力を持った火竜様なんて、わたくし、今でも信じられないときがございますよ。


「ガイ様、夜の海も綺麗だと聞きました。後でお散歩に行きますか?」


 ガイ様のお口にピラフを運びながら訊ねますと、ガイ様が考えるように視線を落として、首を横に振りました。


「いや、やめておく。アレクシアも夜は出ない方がいい。魔力は感じないが、あれでももしかしたらどこかに潜んでいるかもしれないからな」


 先ほどガイ様がおっしゃった「うるさいの」とおっしゃった魔物のことでしょうか。

 あ、でも、ロックさんとオルグさんは見回りに行ってしまいましたよ?


「グレアム様、ロックさんとオルグさんは大丈夫でしょうか?」


 ガイ様が忠告するくらいです。「うるさいの」という魔物は厄介な存在なのかもしれません。

 グレアム様が周囲の魔力を探るように目を閉じて、一つ頷きました。


「大丈夫だとは思うが、念のため戻らせよう。メロディ、ホテルの玄関にいる諜報隊のやつらに、ロックとオルグを戻らせろと言って来てくれ。そして夜は外に出るなと釘を刺しておけ」

「わかりました」


 グレアム様とガイ様は、わたくしが思うにあまり仲がよろしくないようなのですが、それでもグレアム様はガイ様のお力を疑ってはいません。実際にハイリンヒ山の噴火を一瞬にして止めたそのお力を目にしましたし、ガイ様の小さな体からはとてつもない魔力を感じますからね。


「アレクシア、火竜はマーシアに任せて食べろ。まだほとんど食べていないだろう?」


 わたくしは食が細い方なので、グレアム様はわたくしの食べる量をいつも監視していらっしゃいます。食べられない量を無理に食べさせられることはないですが、食べられるのに手を止めると注意なさるのです。


 ……これでも、コードウェルに来た時に比べると食べられるようになったのですけどね。


「アレクシア、ピラフは終わった。後は食べられるぞ」


 ガイ様もそうおっしゃるので、わたくしは自分の食事を再開いたします。


「ホタテのソテーだ。ソースにレモンが使ってあって、あっさりして食べやすい」


 グレアム様が言いながらわたくしのお皿にどんどん料理を並べていきます。ここのお料理は大皿で出てきますので、自分たちで手元の取り皿に取りながら食べるのです。


「旦那様、奥様はそんなに食べられませんよ」


 どんどん料理が並んでいくお皿を見て、マーシアが苦笑しました。


「この後デザートもあるようですから、ほどほどになさいませんと」

「だが、ほとんど食べていないだろう。二口三口しか口に入れていない」

「もうちょっと食べていますが……」


 これでもお腹は半分くらい膨れているのです。


「……なかなか食べられるようにならないな」


 グレアム様がわたくしのお腹のあたりに手を当てて「ぺったんこだが」とおっしゃいますが、わたくしは食事を摂ってもお腹はぽっこりしませんので、見た目ではわからないと思いますよ。ぽっこりするほど、胃が大きくないのです。


 ……でも、心配してくださっているのはわかるので、とても嬉しいのですけどね。


 わたくしのお皿に盛られたお料理は到底食べきれないほどでしたので、グレアム様が半分ほど食べてくださいます。


 食事を終えると、デザートが運ばれてきました。

 海の色をした、ぷるるんと軽やかに揺れるゼリーです!

 食べてみると、ミントとそれからリンゴの味がしました。さわやかで美味しいです。


 デザートが終わるころにはガイ様が眠たそうにしていらっしゃいましたので、わたくしたちも食後のお茶を飲んでからレストランを後にすることにいたしました。

 わたくしたちの後にマーシアとメロディが食事を摂るので、ガイ様はわたくしがお部屋までお運びいたします。

 最上階はとても高いところにありますが、このホテルには魔術具の移動装置があって、行きたい回に転送してくださるのです。


 グレアム様も知らない魔術具だったらしく、興味津々で構造を探っていらっしゃいました。ただ、魔術具は製作者に権利がありますから、無断で同じものを作ることは禁止されています。移動装置は作れないがこの技術を応用して別のものが作れないだろうかと、グレアム様は真剣にお悩みです。


 ……ふふ、コードウェルに帰ったらしばらく魔術具研究に夢中になられるのでしょうね。


 ガイ様はお部屋にお連れする前に、わたくしの腕の中で眠ってしまわれました。

 ガイ様のお部屋はわたくしとグレアム様のお部屋のお隣です。

 てっきり同じ部屋がいいとおっしゃるかと思ったのですけど、ガイ様は見た目が五歳の子供でも何千年という時を生きる偉大なる火竜様ですからね。「新婚夫婦の邪魔はせぬ」と可愛らしい笑顔でおっしゃったのです。


「おやすみなさいませ、ガイ様」


 すやすやとお眠りになるガイ様をベッドの上に下して、夏用の薄いお布団をかけたあと、わたくしは部屋の外にいる見張りの諜報隊の方に何かあれば教えてくださいとお願いして、グレアム様と自分たちの部屋に向かいました。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る