月夜の歌声 2

 薄く開いたバルコニーへ向かうガラス戸からは、そよそよと心地のいい風が入り込んでいます。

 先にお風呂を頂いたわたくしは、その心地よい風に誘われるままにバルコニーへ向かいました。


 わたくしと入れ違いで、グレアム様は入浴中です。

 グレアム様は揶揄い交じりに一緒に入るかと訊ねられましたけど、また絶対にのぼせることになりそうな予感がいたしましたので、またいつかにしてくださいとお断りいたしました。


 ……すっごくすっごく恥ずかしいですが、嫌ではないのですよ嫌では。でも、お風呂でいろいろ意地悪されちゃうので、心の準備というものが必要なのです!


 グレアム様は面白そうな顔をして笑いながら「じゃあ次の機会に」とおっしゃいました。

 次の機会……。それがいつ来るのか、できれば一か月くらい前に予告していただきたいです。一か月あればさすがに心の準備ができると思いますから。


「気持ちいい風です……」


 バルコニーからは海が見えます。

 夜の海は真っ黒で、でも奥のあたりが月影を反射してキラキラしていました。

 潮の香りを含んだ風が湯上りでほてった体に心地いいです。

 デネーケ村にいた時も思いましたが、ホークヤード国は、クウィスロフト国のように金色の目や金光彩の入った目に対しての偏見がありません。今日の昼に海岸で遊んでいても、誰も奇異の目を向けてきませんでした。

 だから、今日からの一週間、誰の目も気にせず純粋に旅行を楽しむことできそうです。


「明日は何をしましょう……」


 目の前には綺麗な海。そしてホテルの周りには、お店がたくさんあって、買い物を楽しむこともできます。船遊びもできるそうですし、海岸から見える小島で遊ぶこともできます。

 そして、どこへ行くにもグレアム様と一緒です。


 ……一緒、嬉しいです。


 コードウェルでもずっと一緒ですが、グレアム様は領主様ですので、一日中ずっと一緒というわけではありません。お忙しいので。でも、旅行中は、朝も昼も夜もずっと一緒にいてくださいます。幸せです。こんなに幸せでいいのかしらと思うくらい。


 ……あ、耳をすませば、ここまで波の音が聞こえてきますよ。


 不思議です。海にははじめて来たのに、波の音ってどこか懐かしい響きがします。聞いていると心が落ち着いて、優しい気持ちになれるのです。


「アレクシア、湯冷めするぞ」


 グレアム様の声がして、わたくしはハッと振り返りました。

 波の音が心地よかったからか、ぼんやりしてしまっていたようです。いつの間にか、グレアム様がお風呂から上がっていらっしゃいました。


「ほら、おいで」


 手招きされたので、わたくしはバルコニーを後にして、グレアム様のお側に向かいます。

 グレアム様がルームサービスを頼んだのでしょう。ソファの前のテーブルには、数種類のフルーツと美味しそうなジュースが置いてありました。

 どちらも同じジュースに見えますが、グレアム様のだけアルコールが入っているそうです。わたくしはグレアム様のようにアルコールに強くありませんから、アルコールの入っていないジュースを頼んでくださったのでしょう。


「同じに見えますが、味が違うのでしょうか?」


 ちょっとだけグレアム様の手元にあるアルコール入りのジュースが気になって訊ねると、グレアム様が笑いながらグラスを渡してくださいました。


「一口飲んでみるか? 度数はあまり高くないから、一口くらいなら問題ないだろう」

「ありがとうございます。……ん。ちょっと……だけ苦い? です」


 わたくしのジュースはとても甘いのですけど、グレアム様のお酒入りの方は後味が少し苦くて、でもさっぱりしていました。同じに見えるのにやっぱり違います。


「苦い酒じゃないんだがな。飲み慣れていないとそう感じるのか」


 グレアム様は笑いながらグラスを傾けつつ、テーブルの上のブドウを手に取りました。


「ほら、アレクシア」


 ブドウを一粒つまんで目の前に差し出されて、わたくしはきょとんとしてしまいます。

 受け取れと言うことでしょうか?

 けれど、ジュースのグラスを置いて手を差し出しましたが、グレアム様は笑顔のまま首を横に振ります。

 そしてブドウをわたくしの口に押し当てました。


「ほら、アレクシア。あーん、だ」

「え⁉」


 驚いて口が半開きになった隙に、グレアム様がわたくしの口の中にブドウを押し込みます。

 ぱちぱちと目をしばたたきながら口の中に押し込まれたブドウをかじると、薄い皮が破けてかしゅっと中から果汁があふれ出しました。


 ……甘いです。美味しい……。


「ほら、アレクシア。もう一つ」

「わ、わたくし、自分で食べられますよ?」


 そう言ったのに、グレアム様は幼子にするように、わたくしに二つ目のブドウを差し出しました。

 そのままわたくしが口を開けるのをじっと待っていらっしゃいます。


 ……これはちょっと恥ずかしいです。自分で食べられますのに……。


 でも、口を開けるまでグレアム様は許してくださいそうもありません。

 何故急にこのようなことをなさるのかわかりませんが、グレアム様がお望みならばと口を開けますと、二つ目のブドウが口の中に押し込まれました。

 そのあともいくつかブドウを口の中に入れられて、ジュースがなくなると、少し早いですがわたくしたちは就寝することにいたしました。

 ベッドにもぐりこむと、グレアム様がわたくしを抱きしめてくださいます。


「海で遊んで疲れただろうからな」


 確かに、ふくらはぎが少し重たいような気がしました。

 髪を梳くように頭を撫でられますと、途端に瞼が重たくなってきます。

 開けたままのバルコニーの窓からは、ザザン、ザザンと波の音が、まるで子守歌のように聞こえてきて――


 ……あ、波とは違う、別の音が…………。


 それは夢だったのか現だったのか。

 まどろむわたくしの耳に、波の音に交じって、透明感のある綺麗な歌声が聞こえたような、そんな気がいたしました。





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