ハイリンヒ山の噴火 7
本当は、ぎりぎりまでグレアム様のおそばにいたかったのですけど、グレアム様にそろそろ出立するようにと言われて、わたくしはメロディに促されて鳥車に乗り込みました。
鳥車にはわたくしとメロディ、オルグさんが乗り、それからグレアム様の大切な巨大な火の魔石がわたくしの隣に置いてあります。
「コルボーンに避難していろ。いいな?」
わたくしたちはホークヤード国の王都ではなくクウィスロフト国のコルボーンを目指すことになりました。
ロックさんはわたくしたちとともにコルボーンに向かったのち、王都へ飛んで女王陛下に噴火の可能性が極めて高くなったことをお伝えするそうです。もしかしたらその時にはすでに噴火がはじまっていて、すぐに対応策の話し合いに移るかもしれないとグレアム様がおっしゃいました。
女王陛下へは出立前にグレアム様がハイリンヒ山の噴火の可能性を伝えてありましたので、あちらはいつ噴火が起こってもいいように準備を進めているはずだそうです。予定より早まってしまいましたが、噴火によって想定される事態は把握なさっていらっしゃいますので、女王陛下なら慌てず対応なさってくださると思います。
……わたくしは、待つことしかできません。
グレアム様に万が一があったときは、妻としてわたくしがグレアム様の代わりに対応しなければならないことは承知しています。でも……万が一なんて、想像すらしたくありません。
ゆっくりと、わたくしたちを乗せた鳥車がデネーケ村から飛び立ちます。
デネーケ村は光魔法で照らされてはいますが、やはり夜ですので、空に飛び上がればグレアム様がどんどん小さくなって、闇に紛れて見えなくなっていきます。
あっという間に鳥車は上空に上がって、周囲はキラキラとした星空しか見えなくなりました。
鳥車の窓に張り付いて、見えもしないのに下を見下ろして、わたくしはぎゅっと唇をかみます。
……不安で心配ですが、泣いてはいけません。わたくしは大魔術師様の妻なのです。しっかりしなくてはいけないのです。余裕綽々で、夫の帰りを待てるようにならなくてはなりません。わかっているのです。……わかっては、いるのです。でも、わたくしはまだ、そこまで強くなれていませんでした。メロディは強くなったとおっしゃってくださいましたけど、まだまだです。だって、余裕なんで持てません。わたくし、グレアム様がおそばにいてくださらないとだめなんです。大魔術師様の妻失格です。
夜で視界が悪いので、鳥車はいつもよりゆっくりと飛んでいきます。
わたくしは大きく息を吸って、それから肺の中が空っぽになるまで息を吐きました。
……しっかりしなさい、アレクシア。
コルボーンについたら、ブルーノさんに、グレアム様たちの作戦が失敗したときのことを想定して、避難してくるであろう獣人さんの受け入れ態勢がどうなっているのかを確認しなければいけません。ただ待っているだけのわたくしでも、することはゼロではありません。
大丈夫です。グレアム様は大丈夫なんです。だから、グレアム様が帰ってきたときに、よく頑張ったなとほめていただけるように、わたくしも、できることを考えなくてはいけません。
わたくしは一度ぎゅっと目を閉じてから、鳥車の窓から外を見るのをやめました。見えもしないグレアム様を探して泣きそうになっていてはだめなのです。
「メロディ、コルボーンに付いたら、コードウェルのバーグソン様にもお手紙をお送りした方がいいですよね」
ちょっと声が震えてしまいました。でも、涙は堪えることができましたよ。
わたくしが訊ねると、メロディが力強く頷いてくれます。
「ええ。避難民がコルボーンにやってきた場合、救援物資を届ける手はずですし、コードウェルでの避難民の受け入れ態勢がどうなっているのかも確認していただきましょう」
ホークヤード国からの避難民の数を把握した後で、おそらく女王陛下は各地に受け入れを求めるはずです。避難してきた皆様が安心して過ごせる環境が整えられているかを確認しておかねばなりません。
万が一は考えたくありませんが、作戦失敗でグレアム様がお帰りになったときに、少しでも安心していただけるようにしておくのも妻の務めです。
……わたくし、頑張ります。心には全然余裕がありませんが、それでも頑張りますから!
わたくしが膝の上でぐっと拳を握り締めたときでした。
ドオォオオオオオン‼
突如として、耳をつんざく爆発音が響き渡りました。
がたがたと、普段ほとんど揺れることのない鳥車が激しく上下左右に揺れます。
「きゃあっ」
わたくしは座席の隣においてあった炎の魔石に思わず抱き着きました。
メロディもオルグさんも目を白黒させています。
「なんだ?」
オルグさんが鳥車の窓から外を見て、ひゅっと息を呑みました。
鳥車の揺れは納まっておりませんが、わたくしもしがみつくようにして窓外を眺めますと、後方が真っ赤に燃えていました。
「……噴火した、んですか?」
空には夜の帳が降りていて、よくわかりません。
でも、夜の空の下で、巨大な赤い何かが空に向かって吹き出しています。
窓に添えている指先が震えました。
……あんな、あんなの……どうにかできるはずがありません……。
「旦那様です!」
視力の高いオルグさんが後方を見やりながら叫びました。
「どこですか‼」
わたくしも目を凝らしますが、わたくしには見えませんでした。
オルグさんによると、グレアム様はジョエル君たちとともに上空を飛んでいるそうです。
どうやら、これからドウェインさんの作戦を決行するのでしょう。
……でも。
いくらなんでもあれはないです。あんな巨大な自然の脅威を前に、何ができると言うのですか。
ドウェインさんの作戦は素晴らしいのかもしれませんけど、人の力には限界というものがあるのです。あんなのに近づいてはいけません!
「わ、わ、わたくしも行きます‼」
だめです。危険です。グレアム様にもしものことがあったら、わたくし生きていけません!
けれど、鳥車の扉の鍵を開けようとしたわたくしの手を、メロディが飛びつくようにして止めました。
「いけません、奥様!」
「でも、いくらグレアム様でも危険すぎます‼」
「それでもいけません! 旦那様は大丈夫です。大丈夫ですから……!」
わたくしを止めようとするメロディも震えていました。
……わかっています。わたくしが行ったところで、お役に立てないことくらい。わかっていますけど……でも。
大きな音が響きます。
それが噴火の音なのか、グレアム様たちが使う魔術の音なのかはわかりません。
次々に爆発音のようなものが響き渡って、鳥車が揺れます。おそらく、鳥車を爆風が襲っているのでしょう。鳥車の移動速度が速くなったのがわかりました。
逆に、グレアム様がどんどん遠ざかっていきます。
……嫌ですっ。
「お願いしますメロディ! 行かせてください‼」
「いけません! 奥様にもしものことがあれば旦那様が悲しみます‼」
「そんなの、わたくしだって……!」
グレアム様にもしものことがあったら……どうすれば――
わたくしはぎゅっと唇をかんで、鳥車の扉をつかむ代わりに、ぎゅっと力いっぱい胸の前で手を組みました。
……お願いします。お願いします。どうかグレアム様をお守りください。
ハイリンヒ山に火竜様がお眠りになっているのならば、お願いですから目覚めてください。
「お願いします火竜様……! グレアム様を助けて……!」
ドオォオオオオオン‼ と大きな音が何度も響きます。
わたくしが何度目かの祈りをささげた――そのときでした。
「っ」
急に目の前が真っ赤な光に染まって、わたくしは驚いて目を開けました。
……魔石が、光っています。巨大な火の魔石が……。
わたくしは魔石に魔力を注いではいません。グレアム様が以前注がれていましたが、先ほどまではこんなに強く光ったりはしていませんでした。
「なに、が……」
わたくしだけではありません。メロディもオルグさんも茫然と魔石を見つめています。
光が、どんどん強くなっていきます。
目も明けられないほどに強く輝いた魔石から、パリンとガラスが砕けるような音がしました。
音がした直後、輝きは消え、恐る恐る目を開けますと、座席の上には、先ほどまであったはずの魔石が消えていました。
――かわりに。
「がうぁー!」
わたくしと同じくらいの背丈でしょか。
真っ赤な鱗をした、金光彩の入った赤紫色のくりっとした目の、可愛らしい竜が座っていました。
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