「姫」と呼ぶもの 3

「本当に、もうコードウェルに帰ってしまうのですか?」


 正式にクレヴァリー公爵の名を継いだエルマンが、名残惜しそうな顔をしてグレアムを見上げる。

 その顔が、もっと魔術具について語り合いたかったと言っているように見えて、グレアムは思わず苦笑した。


 公爵家を継いだエルマンはこれから忙しくなる。

 クレヴァリー公爵家は領地も広く、また、コルボーンの騒ぎのあとで得た王都に近い伯爵領もある。さらにコルボーンにも配慮が必要だし、父であるデイヴィソン伯爵とともに、ブルーノの嫁問題を片付けなくてはならない。


(呑気に魔術具研究なんてしている暇はないだろうに)


 グレアムも、十五歳でコードウェルに移り住んで一、二年は魔術具研究に時間を割く時間はなかった。バーグソンが補佐としてついていてそれだったのだ、エルマンにもデイヴィソン伯爵がついているとはいえ、公爵領すべてを管理していた公爵の仕事と、その領地の一部を管理していた代官の仕事ではまったく違う。


 グレアムも、王族としての名誉的な爵位でクロックフィールド公爵の名を持ってはいるが、こちらは領地のないただの冠のようなものだ。コードウェルもそこそこ広い領地ではあるが、これから獣人たちとの関係性を改善し、変えていかなければならないクレヴァリー公爵領を治めるのは、なかなか骨が折れる仕事になるだろう。


 クレヴァリー公爵領など不要だと半ば押し付ける形でエルマンに渡してしまったので、もちろんグレアムもできる限りの助力はするつもりだが、グレアムはグレアムで、ダリーンに協力したドウェインという魔術師を見つけ出し捕らえるという、これまた手のかかりそうな仕事があるのだ。こちらが片付かないことには、さほど手助けはしてやれないかもしれない。


(まあ、アイヴァンも気にしてくれるらしいからな。大丈夫だとは思うが)


 クレヴァリー公爵領は南の国境にある。しかも、ハズウェロ国、ケルハー国、ホークヤード国の三つの国と国境でつながっているのだ。国防を考えると無視できない場所で、宰相としても問題を起こされると困る領地なのである。エルマンが継いだばかりの公爵領で問題が起きないかどうか、アイヴァンも目を光らせているはずだ。


「王都での仕事は残っているからな。コードウェルに戻っても、何度もこちらに足を運ぶことにはなるだろう」


 ドウェインが今どこにいるのかはわからない。すでに王都から出ているかもしれないし、まだ潜伏しているかもしれない。情報は諜報隊に集めさせているが思わしくなく、グレアムが怪しいと思われる場所に直接出向くことになる可能性が高い。

 ドウェインが王都に来たのは間違いないので、しばらくは王都で彼の足取りを追うことになるだろう。気は進まないが、コードウェルと王都を往復する日々になりそうだ。


「そうですか。では……」

「だが、魔術具の研究は落ち着いてからだ。……いや、しかし光源の魔術具は一度見てみたいな。そのくらいなら時間も……」

「いけませんよ。旦那様が魔術具を触りだすと長いですからね」


 少しくらいなら時間もさけるのではとグレアムが言いかけたところで、すかさずマーシアが却下した。興味はあるし、できれば完成前に見ておきたかったが仕方がない。


「エルマンもだぞ。魔石をいただいても、魔術具を触るのは領地の問題が落ち着いてからだ」


 エルマンにも、デイヴィソン伯爵から特大の釘が刺される。

 エルマンは不満そうだったが、領主としての自覚はあるのか、肩をすくめて頷いていた。


「マーシア、アレクシアを呼んできてくれ。そろそろ邸に戻って、帰り支度を――、っ!」


 そこでグレアムは言葉を切って、振り向きざまに走り出した。


「アレクシア‼」


 突然、離れたところに強大な魔力が現れたのだ。

 アレクシアがいる方角である。

 走り出したグレアムの視線の先で、音もなくメロディとオルグが倒れるのが見えた。

マーシアが悲鳴を上げて、グレアムを追ってくる。

 アレクシアは驚いたように目を丸くしていた。

 しかしそれも長くは続かない。

 ぐらりと傾いだアレクシアの体を、風に金色の髪をなびかせた男が片手で支えた。


「あいつは……‼」


 ダリーンの記憶で見たドウェインという男だとわかった途端に魔術を練っていた。

 アレクシアに当たる可能性もあるので攻撃魔術は使えない。だが、結界で取り込んでしまえば逃げられまい。

 グレアムが放った結界魔術が、ドウェインとアレクシアを取り囲む。――が。


「な……!」


 グレアムが作り出した結界が、はじけ飛んだ。

 ドウェインがグレアムを見て、薄く口端を持ち上げる。


(この男……!)


 いとも簡単にグレアムの結界を弾き飛ばすなんて、並みの魔術師ではない。魔術師団長よりも上。下手をすればグレアムと並ぶ魔術師だ。


 まずい、とグレアムの中で警鐘が響く。

 ここまで強大な相手を想像していなかった。

 魔力量を見ればおそらくグレアムの方が多少上だ。だが、多少なのだ。アレクシアがドウェインの手の中にいる以上、グレアムは攻撃できない。


「『姫』は返していただきますよ」

「姫……? 待て! 逃がすと……!」

「残念。もう遅い。……召喚魔術が完成しました」

「召喚だと? っ⁉」


 グレアムの目の前で、赤青緑白黒金の全属性の色の光があふれた。

 あまりの眩しさにグレアムが目を閉じた一瞬後、目の前に六体の魔物が現れる。


「魔物⁉」


 いったい何がどうなっているのかと息を呑んだグレアムに向かって、魔物の一体が襲い掛かってきた。


「マーシアは下がれ!」


 叫んで、グレアムは火の攻撃魔術を魔物に向かって放った。


「アレクシア!」


 アレクシアの名を呼ぶが、意識がないのか、男の腕に抱えられたままぐったりしている。


「アレクシア‼」

「では、私はこれで」


 ドウェインが腹が立つほど優雅に一礼をして、踵を返した。


「待て‼ くそっ」


 特大魔術を発動すれば、この程度の魔物なら一瞬で灰と化せるが、そうなるとこのあたり一帯にもかなりの被害が出る。ましてやアレクシアを巻き込む可能性があっては発動できない。


「加勢します!」


 エルマンがグレアムの隣に追いついて、風の魔術で魔物の一体を撃退した。

 ロックは倒れたままのメロディとオルグを回収している。

 ほかの獣人たちも加勢しに来たが、……もう遅かった。


「くそっ! アレクシア‼」


 最愛の妻は、正体不明のドウェインという魔術師によって、目の前からみすみす連れ去られてしまったのだ。


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