エピローグ

 頭の中が真っ白になりました。


 見開いた目に、グレアム様の艶やかな銀髪が映ります。

 唇が熱くて、ドキドキしすぎて胸が苦しくて、何も考えられません。

 時間にして、わずか数秒のことだったはずです。

 わたくしには永遠に感じられた数秒が終わり、グレアム様がそっと唇を離しました。


 けれどまだ顔と顔の距離は近くて、ちょっと熱いグレアム様の吐息が唇に触れます。

 こつん、と額同士が合わさって、グレアム様の綺麗な金色の目が、わたくしの目を覗き込みました。


「……悪い」


 唇がふさがれる前と同じ言葉を、グレアム様がおっしゃいます。

 何が「悪い」のかはまだわかりません。

 でも、どうしてでしょう、さっきまで不安で不安で仕方がなかったのに、わたくしの頭の中からはその「不安」がいなくなってしまったように思えます。


 かわりにドキドキして、そわそわして、意味もわからず叫びだしたいようなよくわからない混乱が頭の中を占めているのです。


「アレクシア」


 額同士をつけて、近い距離で名前を呼ばれるのがくすぐったいです。


「なあ、アレクシア。お前は、初対面の時に面と向かって失礼なことを言った俺のそばにいたいと、本当にそう思っているのか?」


 ささやくように、優しい声です。

 失礼なこととは何でしょう。

 思い出そうとしましたが、初対面の時にグレアム様に失礼なことを言われた記憶はございません。

 困っていますと、グレアム様がもっと困った顔をしました。


「その、つまみ出せと、そう言っただろう?」


 それならば聞きました。

 ですが、それは失礼なことではないでしょう?

 わたくしが嫁いで来たのはグレアム様のご意思ではありません。

 いきなりみすぼらしい女が現れて、その女を妻にしろと命じられたグレアム様が苛立つのは仕方のないことです。


 わたくしがそう言いますと、グレアム様がぐしゃりと顔をゆがめました。

 泣く一歩前の顔のような、そんな顔です。


「……あんなこと、言うべきではなかった」


 グレアム様がわたくしを抱き寄せ、わたくしの頭に頬を寄せました。

 グレアム様が悔やむ必要はないのに。

 だって苛立つのは当然です。


 ……お優しい方。


 思えば、グレアム様はずっとお優しかったです。

 不必要な妻が送り付けられてきたというのに、そのわたくしをここに住まわせてくださいました。

 魔術を教えてくださいました。

 こうして抱きしめてくださいました。

 メロディは怒りますが、ここに来るまで誰かに抱きしめられた記憶のないわたくしは、こうしてグレアム様に抱きしめられるのが、とてもとても嬉しいのです。


「なあ、アレクシア。お前が俺のそばにずっといたいと、そう思ってくれるのならば……きちんとしよう」

「きちんと、ですか……?」


 わたくしの涙はどうやら引っ込んだようです。

 グレアム様が抱きしめてくださるから、ドキドキするけどとても安心するのです。

 ああ、でも、まだ唇に熱が残っている気がしますから、そわそわは納まりません。

 ドキドキしたりそわそわしたり、安心したりと、わたくしの心はとても忙しいです。


 グレアム様がゆっくりと体を離して、そしてまた、こつんと額同士をくっつけます。


「ちゃんと結婚式をしよう。夫婦になろう。姉上の命令ではなく、俺自身が、アレクシアと結婚したい」

「……え?」


 思いもよらなかった言葉に、わたくしの思考が停止します。

 ドッドッドッドッと心臓がびっくりするような速さで脈を打ちはじめました。


 わたくしは、グレアム様の妻ですが、形式上の妻でして。

 だから、結婚式はしないものと思っておりましたし、きちんと「夫婦」にはなれないと思っておりまして。


 だから――だから、どうしましょう。泣きそう。


「アレクシア⁉」


 ぽろり、と引っ込んだはずの涙が零れ落ちました。

 グレアム様がおろおろなさいます。

 おろおろするグレアム様は、どうしてでしょう、とても好きです。

 なんだか安心するのです。

 わたくしのためにおろおろしてくださっていると、わかるから。

 だから、泣きながら、わたくしは笑います。

 変な顔になったかもしれません。


「わたくしも、グレアム様とちゃんと夫婦に、なりたいです」


 きっとぐしゃぐしゃに歪んでいるだろう顔で告げますと、グレアム様がひゅっと息を呑んで、そして力いっぱいわたくしを抱きしめました。


 そして、間髪入れず唇がふさがれて。

 わたくしは、今度はうっとりと、目を閉じました。

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