お側にいたいのです 3

 グレアム様が、やや乱暴にペーパーナイフで封筒の封を切ります。

 父からグレアム様に宛てた手紙ですので、わたくしが見てはいけません。

 わたくしは手紙の内容が視界に入らないように視線を落として、ローテーブルの上の地図を見つめました。


 父と言いますと、クレヴァリー公爵領の方は大丈夫なのでしょうか。

 異母姉は王命で獣人のブルーノさんという方に嫁ぎました。

 内乱を起こしたブルーノさんたち獣人に与えられた封土は小さいものだそうですが、コルボーン子爵領として、新たに独立した領地となっています。


 コルボーンというのは、そこにあった村がコルボーンという名前だったそうで、ブルーノさん本人がその名前を名乗ることにしたからだそうです。

 ですので、ブルーノさんは、ブルーノ・コルボーン子爵となります。


 ……お姉様は、獣人さんに偏見がある方ですが、ブルーノさんとうまくやっているのでしょうか。


 領地を整えるために国からの補助が出たそうですので、現在、コルボーンの村があった場所を整えて子爵領にふさわしい町を作っていると聞きます。領主館も建て、移住者が増えても大丈夫なように、町は広く整備するのです。

 現在はまだ数十人の獣人と姉のダリーンのみだそうですが、各地に住んでいる獣人から移住届もではじめているそうですから。


「ふざけるな!」


 コードウェルのように獣人の暮らしやすい場所が増えるのは素敵なことですねと、南の端っこにあるコルボーン子爵領に思いをはせておりますと、グレアム様が突然拳でテーブルを殴りました。

 急なことでしたので、驚きのあまりびくりとしますと、グレアム様がハッとしてわたくしの肩に触れ「驚かせて悪かった」とおっしゃいます。


「どうなさったんですか?」


 グレアム様はお怒りのようです。

 ぐしゃりと手紙を握り締めているところを見ると、父からの手紙によほど面白くないことが書かれていたのだと思われます。

 グレアム様は少し迷ったようですが、握りつぶした手紙をわたくしに渡してくださいました。

 破れないように丁寧に手紙を広げて目を通したわたくしは、小さく息を呑みます。

 書かれている内容はわかります。わかりますが。


 ……あの、ちょっと意味不明すぎて理解が追いつきません。


「あの、これは、本当にお父様からのお手紙でしょうか」


 わたくし、父の字は知りません。見たことがないからです。そもそも、父とはほとんど関わりを持ったことがないのです。父がわたくしを避けていましたから。

 だから、これが本物の手紙なのか偽物の手紙なのかも判断が付きません。

 封印は、クレヴァリー公爵家の紋章でしたので、本物のように見えましたけど。


「公爵家の使いが持ってきたので本物でしょう」


 デイヴさんが困惑顔で教えてくださいました。

 つまり、父は飛脚を使わずに公爵家の使用人に手紙を運ばせたのですね。


 十数年ほど前に民間に郵便会社ができて、最近では貴族も郵便会社にお手紙を運んでいただくことが増えました。しかし、機動力を重視して、飛脚には獣人が多く雇われています。獣人への差別感情が強い貴族ほど、郵便会社に手紙を預けることを嫌うので、おそらく父もそういった意味で郵便会社を使わなかったのでしょう。


 ちなみにグレアム様は、ロックさんたち諜報隊にお願いした方が早いので、もっぱら彼らをお手紙係に使っています。ロックさんが「諜報隊なんですけど」とこぼしていたのを聞いたことがございました。諜報部隊は、あまり顔が割れないようにしなくてはならないので、雑用に使ってほしくないらしいです。ですがグレアム様は「調査するときは鳥の姿になるんだから、普通の人間は見分けがつかないから関係ない」とおっしゃって、ロックさんは苦笑していらっしゃいました。


「アレクシア。クレヴァリー公爵がこのようなことを言い出した理由がわかるか?」

「いえ、わたくしにもさっぱり」


 わたくしは手紙をグレアム様にお返ししながら首を横に振りました。

 父の手紙は、クレヴァリー公爵家の跡継ぎについての相談でした。

 異母姉のダリーンがブルーノさん――コルボーン子爵に嫁いだため、跡取りから外れたのです。


 それは以前にグレアム様から聞いておりましたので、わたくしも知っております。

 ですから、クレヴァリー公爵家の跡取りは、親戚筋の誰かになるだろうと漠然と考えておりましたが、わたくしは親戚ともほとんど面識がございませんので、誰になるかははっきりとわかりませんでした。


 父に兄弟はおりませんでしたので、なんとなくですが、父の従兄弟か、その息子になるだろうなと思ったくらいです。

 それですのに……。


「あの、わたくしの読み間違いでなければ、わたくしを跡取りとしたいと書かれていた気がします」

「俺にもそう読めたから間違いではないな」


 だとすると、やっぱり解せません。

 父はわたくしを疎んじておりました。

 異母姉ではなくわたくしをコードウェルに嫁がせたのは、父としては厄介払いのつもりだったはずです。

 邪魔な娘がいなくなって父は清々しているはずですのに、どうしてわたくしを跡取りにするなどと言い出したのでしょう。


「デイヴ、ロックを呼んでくれ」


 グレアム様がこめかみを押さえてデイヴさんに指示を出します。

 デイヴさんが扉の外にいた兵士を呼び止めて、ロックさんを呼んでくるように伝えました。

 ややして、ロックさんがいらっしゃいますと、グレアム様は難しい顔でロックさんにこう質問しました。


「クレヴァリー公爵家の跡取りは誰になる予定か知っているか?」


 グレアム様は、ロックさんに指示を出してクレヴァリー公爵家のことを調べさせているのだそうです。


「おそらくですが、公爵の従兄弟のデイヴィソン伯爵の息子ではないですかね」


 デイヴィソン伯爵のお名前は知っています。クレヴァリー公爵領の中の一つの大きな町を治めていらっしゃる代官です。父はデイヴィソン伯爵があまりお好きではなかったようで、伯爵が邸に訪ねてきたときはよく喧嘩になっていました。わたくしは顔を出すなと言われていましたので、どのような様子だったのかは存じませんが、言い争う声はたびたび耳にしたことがございます。

 わたくしが知っていることを話しますと、グレアム様がなるほどなと頷きました。


「つまり、デイヴィソン伯爵の息子に公爵家を譲りたくないと、そういうことか」

「おそらくは。ただ、有力候補の伯爵の息子……確か、エルマン様はなかなか優れた方のようですよ。まだ二十歳ですが、穏やかで、獣人に対する差別意識もほとんどない方ですし、頭の回転も速い。何人かいる候補の中でエルマン様の名前が上がったのは、女王陛下の指示があったからのようですし」


 ロックさんが答えます。

 クレヴァリー公爵領では獣人たちによる内乱が起こって、エイデン国まで関わる問題になってしまいました。ゆえに女王陛下も、獣人たちと軋轢のない人物を跡取りに据えたいと考えられたのでしょう。


 でも、父はそれが面白くない、と。

 そうは言いましても、わたくしはもう、グレアム様に嫁いでいる身なのですが。


「どうあってもダリーンを据えるわけにはいかないからな。嫁いだ理由が理由だし、何よりあの女はエイブラム殿下や俺に対して不敬を働いた。今回はブルーノたちの起こした内乱をやめさせるために嫁がされたから、命令通り嫁ぐのであればその罪は問わないことになったが、そうでないなら話は別だ。離縁した瞬間投獄されるのは間違いない。そうなればどうあっても跡は継げないからな」


 ……どうやらお姉様は、エイブラム殿下とグレアム様に失礼な態度を取ったらしいです。獣人や金色の目を嫌うお姉様ならやりそうなことではありますが、王弟や他国の王子殿下相手に失礼な態度を取って許されるはずがありません。


「でも……わたくしもグレアム様に、その、嫁いでおりますよ……?」


 わたくしも、女王陛下の命令で嫁いだのです。

 姉とは状況は違いますが、ご命令には変わりありません。

 ですので、父の一存で、わたくしを公爵家の跡取りにすることはできないのです。


「だからこそのこの手紙だ。俺の方からお前と離縁しろと言いたいんだ。女王の命令でも、弟の俺だったら突っぱねられると踏んだんだろう。馬鹿にしている」


 グレアム様が忌々しそうに舌打ちなさいます。

 わたくしは胸の前でぎゅっと自分の手を握り締めました。


 そうです。

 グレアム様は王弟。

 本気になれば、わたくしを離縁してここから追い出すことも可能なのです。


 その事実に、わたくしは血の気が引きました。

 疎んじているわたくしを跡取りに据えたい父の気持ちはさっぱりわかりませんが、父の要望通りにグレアム様がわたくしと離縁することを選んだらどうしたらいいのでしょう。


 指先が震えてきます。

 どうしましょう、涙が盛り上がっていくのもわかります。

 ここで泣いてはいけません。グレアム様を困らせてしまいます。

 でも、止まらないかもしれません。


「わ、わたくしっ、ちょっとバスルームに……」


 このままではここで泣き出しそうですので、わたくしは感情が落ち着くまで逃げることにしました。

 けれど、立ち上がろうとしたわたくしの肩を、グレアム様が押しとどめます。


「ロック、事情はわかった。下がっていい。デイヴもだ」


 グレアム様がロックさんとデイヴさんを退出させました。

 部屋に二人きりになると、グレアム様がわたくしを引き寄せてぎゅっと抱きしめてくださいます。


「泣くな。落ち着け。俺は離縁などしないし、お前を公爵家に送り返したりしないぞ」


 ぽんぽんと、優しく頭が撫でられたからでしょう。

 我慢していた涙が、一気にあふれ出しました。


「アレクシア? 何故泣くんだ⁉」


 泣くなと言ったのに泣き出したわたくしに、グレアム様が焦った声を出します。

 頭を撫で、背中を優しくたたき、顔を覗き込んでおろおろなさいます。


 ……ああ、やっぱりわたくし、グレアム様が好きです。


 ですから、離縁などしたくないのです。

 クレヴァリー公爵領など別に欲しくありませんし、今更父に必要とされたいとも思いません。

 ただ、グレアム様のそばにいたいのです。

 これは我儘かもしれません。わたくしのようなものが望んではいけない、図々しいことかもしれません。

 でも、口にせずにはいられないのです。


「わ、わたくし……グレアム様のおそばにいたいです……」


 お願いですから、どうかこの先もずっと、おそばにいさせてほしいのです。

 形式上の妻で構いません。

 ただ、おそばにいられるだけで充分です。


 だから――


「……捨てないで…………」


 小さく、まともに声になったかどうかもあやしい程の小声でつぶやいたわたくしの声を取りこぼしなく拾って、グレアム様が息を呑みます。

 そして、ぐっと、一瞬何かに耐えるような顔をしたと思った、直後のことでした。


「悪い」


 短く一言。


 何が悪いのかと考える暇もなく、わたくしの唇は塞がれました。


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