南の国境付近はクレヴァリー公爵領があるところです 1

 コードウェルに来て一か月が経ちました。

 王都はそろそろ秋が終わる頃でしょうか。

 このころになると木枯らしが吹きはじめて、朝晩が急激に冷え込むようになります。


 王都にいたときはクレヴァリー公爵家のタウンハウスにおりまして、屋根裏の物置を使わせていただいておりましたが、あそこはとても冷えるのです。がたがたと震えながら過ごす夜のことを夢に見てハッと飛び起きたわたくしは、温かい室内と、ふわふわのベッドにほっと致しました。


 夢に見たからでしょう。

 まるであの日々に戻ったような、そんな不安を覚えてしまいました。


 ……あの頃は、あれが当たり前だと思っていましたのに、思い出しただけで不安になるなんて、わたくしも贅沢になったものです。


 まだ朝早いですが、メロディが暖炉に火を入れてくれたのでしょう。薄暗い室内に暖炉の赤い炎が揺らめいています。

 パチリパチリと薪が爆ぜる音が、子守歌に聞こえてきました。


 まだ起きるには早いので、わたくしはもう一度お布団に潜り込みます。

 ふわふわで、ぽかぽかして、幸せです。


 女王陛下のご命令で嫁ぐことになったと知ったときは驚きましたが、まさか、こんな贅沢な日々が与えられるなんて思いませんでした。


 ここでは、お日様が上るまで眠っていていいのです。

 朝ごはんも、ちゃんと用意してくださいます。

 至れり尽くせりで、何かお返ししなくてはと思うのですけれど、魔術のお勉強中のわたくしはまだ皆さんの役に立てるほど魔術が使えません。


「そういえば今日は、グレアム様が魔術具を見に行くとおっしゃっていましたね……」


 城下町にある、お湯を作り出す魔術具を見に行くのです。

 そして、バーグソン様もご一緒なさるのとこと。

 バーグソン様とは、あの地震の日以来お会いしておりませんので、およそ一か月ぶりです。


 魔術具を見に行くのですよとメロディに教えたところ「旦那様は何が何でも魔術具に興味を持たせたいみたいですね」とあきれ顔をしていました。

 ですが、いずれ魔術具を動かすのはわたくしのお仕事になる……はずです。早くからどのようなものかを知っておくのは必要なことだと思います。


 うつらうつらしておりますと、しばらくして部屋の扉が開く音がしました。マーシアかメロディのどちらかでしょう。起きる時間のようです。

 わたくしがベッドに上体を起こしますと、顔を洗うためのお湯を乗せたワゴンを押していたメロディが苦笑しました。


「奥様……。わたしが起こすまで寝ていていいですよって言ったのに」

「すみません。目が覚めてしまったので……」


 公爵家では日が昇る前に起きていたわたくしは、どうも早起きの癖がついているようです。

 こうしてメロディやマーシアが起こしに来る前に起きていることは珍しくありません。


 夜着の上にガウンを羽織り、メロディが用意してくれたお湯で顔を洗います。

 王都では、真冬は凍り付く前のような冷たい水を使っていたのに、ここでは顔を洗うだけでも贅沢にお湯が与えられるのです。冷たいお水で顔を洗うと、顔や首や肩がきゅうってなってとても寒くてつらかったので、お湯で顔を洗えるのは大変ありがたいです。


 顔を洗った後は、メロディに手伝ってもらって服を着替えます。

 髪を整えてもらって、メロディの入れてくれたハーブティで一息ついた後で、朝食のためにダイニングへ向かうのです。


 コードウェルは寒い地域だからでしょうか。お城の玄関ホールにも巨大な暖炉があって、温められた空気が循環しますので、廊下もそれほど寒くありません。


 マーシアによりますと、このお城は数年前にグレアム様が開発した空気を循環させる魔術具が付けられているそうです。それが空気の温度を一定にしてくれるため、ずいぶんと過ごしやすくなったと言っていました。


 現在、グレアム様は暖炉がなくても空気を温かくできる魔術具を開発中だそうです。まだ試行錯誤を重ねている段階だそうですが、それが完成すると、試運転もかねてお城に取り付けるとのことでした。


 魔術具を作るのには、とても時間と労力と、材料になる魔石やなんやと用意するお金がかかりますので、一般家庭に普及させるのは難しいですが、グレアム様は魔術具の小型化や、使用する魔石の量を削減する方法も研究しているそうで、もしかしたら、ずっと先の未来では、今よりももっともっと魔術具が普及しているかもしれませんね。


 ……まあ、魔術具を動かすのは魔術師しかできませんから、個人が日常使いするのは難しいでしょうが。


 ダイニングに到着しますと、すでにグレアム様が席についていらっしゃいました。

 わたくしは、グレアム様の向かいに席が用意されていますので、そちらに座ります。

 ここは一般に「上座」と呼ばれる席のはずで、わたくしなんかがグレアム様とともに上座に座していいものかと心配になりますが、朝食の席はわたくしとグレアム様の二人だけですので、気にしないことにしております。


 ……そのぅ、気にすると、恐れ多くて食事が喉でつっかえそうですので。


 今日の朝食は、まだ湯気が立ち上っているふわふわで温かいパンと、スープ、ソーセージとスクランブルエッグ、そして温野菜のサラダです。パンには、バターのほかに、数種類のジャム、アーモンドバター、ホイップした生クリーム、チョコレートクリームが用意されています。どれでも好きなものをつけて食べていいのです。


 わたくしは到底すべてのジャムやバター、クリームを試すことはできませんので、毎日違う味を楽しませていただくことにしています。今日は、チョコレートクリームの日です。


 ちょっぴりビターなチョコレートクリームをつけて一口。……ああ、幸せです。

 口元を押さえて幸せを噛みしめていますと、グレアム様が優しく目を細めてこちらを見ました。


「食べる量が少し増えたな」


 そうなのです。わたくし、以前よりも少し多く食事が摂れるようになりました。

 胃が慣れてきたのだろうと、一週間に一度健康診断をしてくださるお医者様がおっしゃっていました。健康診断も、そろそろ一か月に一度に変えてもいいだろうとのことです。


 グレアム様は、会った初日こそ厳しい表情をされていましたが、最近はとても優しい表情をしてくださいます。

 嬉しくて微笑み返しますと、顔を赤くされるのは前からです。

 どうして赤くなるのかはわかりませんが、いつものことなのでわたくしも気にならなくなりました。


 朝食を終えると、支度を済ませて一時間後にお城の玄関に集合です。


 魔術具。どんなものなのでしょう。

 楽しみですね。

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