南の国境付近はクレヴァリー公爵領があるところです 2

 マーシアとメロディのおかげで、わたくしの服が増えました。

 今ではドレスはクローゼットに十着以上かけられていて、コートも三着もあります。

 まだまだ増やすと言っていましたが、そんなにたくさんはいらないと思うのです。けれど、グレアム様の指示だと言われましたので、いらないとは言えません。


 ドレスが淡いピンク色ですので、それに合わせて白いコートを羽織りました。

 雪が積もっていますので、寒くないように足元はブーツです。このブーツは何枚も布が重ねられていて、間に、鳥の獣人の換羽期に出る羽が詰められています。ふわふわしてとても暖かいです。


「今日はバーグソン様が一緒なので大丈夫だとは思いますけど、旦那様にべたべたされたら、その手を払いのけて構いませんからね」


 メロディもマーシアもお留守番です。メロディがわたくしの襟にティペットを巻きながら真剣な顔をして言いました。


 ……べたべた?


 それが何かはよくわかりませんが、とりあえず頷いておきます。ですが、グレアム様の手を払いのけるなんて恐れ多いこと、わたくしには無理ですよ?


 メロディとともにお城の玄関に向かいますと、すでにグレアム様がお待ちでした。

 今日は護衛の獣人さんはいません。グレアム様が十分に強いから不要なのでしょう。

 そうそう、護衛の獣人さんと言えば、魔力測定のときに護衛をしてくださった黒豹の獣人のオルグさんは、わたくしの専属の護衛に決まったそうです。


 専属。恐れ多いですが、グレアム様が一緒に行動できないときに、わたくしの身を守る役目の方が必要なのだそうです。オルグさんは気やすくて面白くて優しい方ですので、もちろん異論はございません。


「いってらっしゃいませ。……旦那様、わかっていらっしゃいますね?」


 お見送りしてくれたメロディが、最後はドスのきいた声で低くグレアム様におっしゃいます。

 何が「わかって」いらっしゃるのかはわかりませんが、グレアム様が口端を引きつらせながら顎を引くように頷きました。

 今日は、馬車を使います。

 馬車でバーグソン様のお屋敷に向かって、そこからは徒歩で魔術具のある所へ向かうのだそうです。


 バーグソン様は、城下町の中でも城から遠い南のあたりに邸を構えていらっしゃいます。

 城下町をぐるりと囲む城壁の近くに邸を作られたのは、有事の際の防衛の指示にすぐに向えるようにとのことです。


 グレアム様は「隠居したじじいが余計な気を回さなくてもいいのにな」と肩をすくめていらっしゃいましたが、この地の辺境伯でいらっしゃったバーグソン様は、隠居されてもやはりこの地のことが気になるのだと思います。領主様の鑑です。


 馬車の中では、グレアム様のお隣です。

 手を引いて馬車に乗せてくださったグレアム様が隣をお示しになったのです。


 見送りのメロディが片眉を跳ね上げましたが、メロディが何か言う前にグレアム様はさっさと馬車の扉を閉めてしまいました。

 馬車が動き出して少しして、グレアム様が当然のようにわたくしの肩に手を回します。


「揺れると危ないからな」


 そうおっしゃいますが、この馬車はびっくりするほど揺れが少ないです。

 王都からこの地まで来る時の馬車は、ガタンガタンと上下左右にとてもよく揺れたのですが、この馬車はたまにガタンと小さく揺れるだけで、ほとんど水平に動いているように思えます。


 でも、久しぶりにグレアム様にぴたっとくっつけて嬉しかったので、もちろんわたくしは何も申しません。

 ドキドキと心臓が早くなります。

 そしてほっこりと胸の中が温かくなって、落ち着くような落ち着かないような、不思議な感覚になるのです。


 ……そういえば、グレアム様はどうしてこの北の地の領主業務を継ぐことになさったのでしょう。


 ちらりとグレアム様の端正な顔を見上げていると、わたくしの脳裏に、そんな疑問がひょこっと頭を出しました。


 前コードウェル辺境伯でいらっしゃるバーグソン様はご結婚されていましたが、早くに奥方を亡くされました。亡き奥方との間にお子様はおらず、再婚もなさいませんでしたので、跡継ぎがいなかったというのは、この地へ来る前に御者さんが教えてくれました。


 グレアム様は王弟でいらっしゃいますので、バーグソン様の養子になったわけではございません。

 厳密にいえば、辺境伯の地位も継いでいるわけではなく、公爵位をお持ちなのです。


 お持ちの公爵位は、一代限りのものです。公爵領がついてくるものではなく、王族としての尊厳を守るための、いわば名ばかりのものだと聞きました。こういった一代限りの公爵位は、王の兄弟や子たちによく与えられるのだそうです。

 旦那様は、コードウェルへお引越しした十五歳の時にはまだ公爵位をお持ちではありませんでしたが、その一年後、女王陛下が即位なさった際に公爵位をお与えになっています。


 確か……クロックフィールド公爵だったはずです。


 グレアム様はこの地をお与えになられていますから、申請を出してコードウェルをクロックフィールド公爵領と改めても大丈夫なはずですが、お名前を改めるつもりもないようです。

 それはまるで、ご自身の寿命が尽きたら、バーグソン様がなさったように、どなたかにこの場所をお譲りになるつもりであるように思えました。


 そう……我が子に継がせるのではなく。


 だからずっと独身でいらっしゃったのかもしれません。

 そう考えると、女王陛下のご命令とはいえ、嫁いできたわたくしが邪魔でも仕方がないです。独身を貫き通されるおつもりだったのならば、わたくしの存在は、グレアム様のご意思を無視したものになるでしょうから。


 それなのに、初日こそ「つまみ出せ」と言われましたが、グレアム様はそれ以降はとても優しくしてくださいます。

 こうして、些細な馬車の揺れからも守るように、肩を引き寄せてくださったりもするのです。


「んん! どうした?」


 なんてお優しい方なのでしょうかとグレアム様を見つめておりましたら、グレアム様が少々居心地が悪そうに咳ばらいをしました。


 どうやら、見つめすぎていたようです。不躾すぎました。

 しかし、邪魔者にも優しくしてくださるいい方だと思っていましたとは言えません。さすがにそれでは上からものを言っているようで失礼ですから。悩んだ末、わたくしは常に思っていることを口にします。


「いえ、その……ええっと、グレアム様はとてもお美しいなと思いまして」

「んぐぅ!」


 グレアム様が変な声を出しました。


「ど、どうなさいましたか? まさかご体調が⁉」


 あまりに変な声でしたので、どこかが痛いのかもしれません。わたくしは慌てて御者さんに馬車を止めてもらおうと腰を浮かせましたが、グレアム様の手がそれを押しとどめました。


「な、なんでもない。ちょっと喉の調子がおかしかっただけだ」


 ごほごほと咳をしつつ、グレアム様が口元に拳を当てて横を向きます。


「喉の調子が……。それは、風邪かもしれません。今日はお城で安静にしていたほうが……」

「風邪ではない。大丈夫だ。そ、そうだな。ほ、埃かもしれない」

「埃でございますか」


 馬車の中はとても掃除が行き届いていて清潔な感じがいたしますが、小さな埃は目に見えないこともあります。


 ……あ、でも、埃でしたらお役に立てます!


 わたくし、つい三日前に風の初級魔術の「クリーン」を教えていただいたばかりなのです。


「お任せください。すぐに綺麗にいたします。『クリーン』」


 グレアム様ならこの程度、言葉に出す必要はまったくございませんが、わたくしはまだひよっこですので、言葉にしなければうまく魔術が使えません。

 わたくしの手がぽっと金色に染まって、馬車の中がすーっと、そう、まるで山深い場所にある滝や泉のそばのような澄んだ空気になりました。

 グレアム様が苦笑して、わたくしの頭にポンと手を載せます。


「ああ、上手にできたな。ありがとう」


 少し困ったような笑顔に見えますが、失敗はしていないようなのでよかったです。


「ほら、もうすぐじじいの邸だ」


 じじいとはバーグソン様のことです。グレアム様はバーグソン様を「じじい」とお呼びです。きっと本当の祖父と孫のように仲がいいのでしょうね。

 グレアム様がおっしゃったとおり、馬車の速度が少しずつ緩やかになって、そしてやがて、大きなお邸の前で停車しました。

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