妻ではないけれど妻のようです 4

「え? ここにいていいんですか?」


 お風呂から上がって、暖炉のそばで温かいお茶をいただいていた時のことでした。

 先ほど、わたくしのカバンに入っていた着替えでは薄いからと言って、マーシアさんの娘のメロディさんが、「わたしのお古で申し訳ないですが……」と言いながら、温かい冬用のワンピースを用意してくださいまして、至れり尽くせりで申し訳なく思っていると、マーシアさんがやってきて、グレアム様がここで暮らしていいとおっしゃったと教えてくださいました。


 ……これは、夢でしょうか。


 先ほど追い出されかけたばかりでしたので、にわかには信じることができませんでした。

 驚いて、ぱちぱちと目をしばたたいておりますと、マーシアさんが微笑んで大きく頷きます。


 つまり、グレアム様はわたくしの無遠慮なお願いをお聞き届けくだって、わたくしをここで下働きとして働かせてくださるということでしょうか。


 なんて、お優しい方でしょう。熊の獣人さんが「いい方」だとおっしゃっていましたが本当です。こんな、何の役にも立ちそうもないわたくしを雇ってくださるなんて、とっても懐が深い方でなければできません。

 お風呂上がりで少々格好はつきませんが、わたくしは立ち上がり、マーシアさんに向かってしゃんと背筋を伸ばしました。


「マーシアさん、わたくし、早く皆様のお役に立てるよう、お仕事を覚えます。ですのでどうぞ、よろしくお願いいたします」


 深々と頭を下げますと、マーシアさんが慌てたようにわたくしの手を取りました。


「お、奥様、何か勘違いをなさっているようですが……」

「どうぞアレクシアとお呼びください。わたくしが嫁いでくるというお話は、どうも手違いがあったようですので……」


 奥様と呼ばれることをこのまま黙認しておくのは、図々しい気がします。なぜならわたくしは妻ではないからです。グレアム様はわたくしを娶るつもりはないようですので、奥様ではないのです。ただの使用人が、奥様と呼ばれてはいけません。

 それまで黙って成り行きを見ていたメロディさんが、くすくすと笑いだしました。


「奥様は奥様ですよ。だって、この結婚は女王陛下のご命令ですもの。旦那様は少々面倒臭い性格をしていますけど、ここにいていいという言質を取ったのですから、堂々としていればいいのです。旦那様がたとえ奥様をお城から追い出そうとしても、夫婦になった以上、それはただの別居扱いです。王命の結婚ですので、勝手に離縁はできませんからね。旦那様には、奥様の生活を整える義務がございます。もしまた出て行けと言われたら、堂々と住む邸と使用人と生活費を要求すればいいのですよ」


 メロディさんはあっけらかんとした口調でおっしゃいますが、それはちょっとダメな気がします。押し付けられた女の生活費をグレアム様がお出しになる義務があるなんて、あまりにも無茶苦茶です。

 それなのに、マーシアさんも当然とばかりに頷いていらっしゃいます。


 ……でも、メロディさんのお話が本当ならば、わたくしはいったい、ここで何をすればいいのでしょう。


 ただの居候と言うのは気が引けます。

 グレアム様は娶るつもりはないと断言なさったので、妻としての役目は与えられないでしょう。

 つまり、何の仕事もないただのごくつぶしと言うことになってしまいます。


「あの、マーシアさん」

「どうぞ、マーシアとお呼びください、奥様。娘のことはメロディと」


「さん」をつけてはダメなようです。少々気が引けますが、わたくしが「奥様」の立場のままであるなら、使用人に当たるマーシアさん――いえ、マーシアたちを「さん」付けで呼ぶと、困るのはマーシアたちでしょう。


「マーシア……」


 最後に小さく「さん」を付けそうにうなるのを必死で飲み込めば、マーシアがにこりと微笑みました。


「何でございましょう」

「あの、わたくしが、グレアム様に嫁いできた立場のままということはわかりました。ですが、旦那様はわたくしを娶るつもりはないとおっしゃいました。つまり、わたくしには『奥様』としてのお仕事がございません。……わたくしはここで、何をすればよろしいでしょうか」

「何も……とお答えしたいところですが、そうすると奥様は困るのでしょうね」

「そう、ですね。できれば何かお役目があると、その……落ち着きます」


 何もすることがないのに生活の面倒だけ見てもらえるというのは気が引けるのです。

 マーシアが困ったように眉を下げました。

 あとからわかったことですが、このコードウェルのお城には獣人の使用人さんがたくさんいて、使用人がするようなお仕事は余っていないそうです。新参者の、しかも勝手のわからないわたくしに与えられる仕事などないに等しかったのでございます。

 メロディもマーサの隣で困ったような顔をして、それからポンと手を打ちました。


「奥様、魔術はお使いになれますか?」

「魔術、でございますか?」


 わたくしは驚いて目を丸くしました。

 魔術を使える人は魔術師と呼ばれますが、それはとても稀有な力です。人は多かれ少なかれ魔力を体に有しておりますが、魔術として使えるだけの魔力を持った人間は少ないのでございます。


 魔術が使えるだけの魔力を持って生まれた子は、貴賤問わず魔術学校に入学し、魔術の何たるかを学びます。そして卒業後は、たいてい国の要職に就くのです。


 わたくしの父や義母、異母姉は、魔術を使えるだけの魔力を持っておりませんでしたので、魔術師ではございませんでした。

 わたくしは――、この目があるからなのか、気味悪がられて、幼少期に教会で行われる魔力測定に連れていかれませんでした。ゆえに魔術が使えるほど魔力を持っているのかどうかがわかりません。


 けれど、実家の――それも、公爵家の事情を、いくら婚家とはいえぺらぺらとしゃべるのは憚られます。お訊ねになったのが主人であるグレアム様なら、形式上ではありますが妻として答える義務がございますけれど、マーシアたちに説明していいのかどうかはわかりませんし、マーシアたちはわたくしの生い立ちについて訊ねたわけではありませんので、訊かれてもいないことをぺらぺらとしゃべるものではございません。


「その……、わたくしは、魔力測定を行っていないのです」


 ですので、実家でどのような扱いを受けていたのかは伏せて、わたくしが端的に答えますと、今度は二人が驚いたようでした。


「「魔力測定をしていない⁉」」


 まあ、さすがは母娘。息ぴったりです。

 感心していますと、マーシアは見る見るうちに表情を険しくしました。

 対してメロディは茫然としています。


「奥様のその目を拝見しますに、おそらくですが魔力は多い方だと思われます」


 マーシアに目のことを指摘されて、わたくしは思わずぴくりと肩を揺らしてしまいました。金色の光彩がまた出ているのでしょうか。頻繁に出ているようですので、おそらくもう気づかれてはいると思いますが、この目の色で実家では忌み嫌われておりましたので、マーシアがどのような反応をするのか、ちょっと怖いです。


 美しい金色の瞳を持ったグレアム様にお仕えしているマーシアたちが、金色の光彩を嫌うとは思えませんが、これまでの経験から、どうしてもおびえてしまうのでございます。


 メロディが、わたくしの肩に触れて、そっと座るように促しました。

 ソファに腰を下ろすと、メロディがわたくしの手を優しく握ります。


 メロディは、グレアム様と同じ二十六歳だそうです。わたくしは十七ですので九つ年が離れております。だからでしょうか、時折、メロディは幼い子供を見るような目をわたくしに向けるのです。メロディから見れば、わたくしはまだ小さな子供のようなものなのでしょうね。


「明日にでも、魔力量を測定しましょう。……魔力が多すぎると、正しい扱いを覚えなければ暴走を起こすこともあります。測定を急ぎ、多いようなら早急に扱いを覚えなければいけません」


 幼少期に魔力測定をさせるのは、魔術師の要素を持ったものを探すのではなく、魔力量の多いものを見つけ、暴走を起こさないように導くという意味合いがあったらしいです。知りませんでした。

 わたくしが無言で頷きますと、メロディが優しく目を細めました。


「魔力量を測定し、魔術を扱えるようになれば、奥様にお願いしたいお仕事はたくさんございます」


 どうやら、マーシアもメロディも魔術を使えるほど魔力はないそうです。

 獣人さんたちは魔力持ちが多いですが、彼らは彼らの魔力の使い方がございます。魔術に似たような力を使うことはできますが、人のように繊細な魔術は扱えないそうです。


「ここは寒いところでしょう? ですから、人が安全に生活するために、あちこちに魔術具があるのです。その魔術具を稼働させるのは、獣人にはできません。旦那様が一手に引き受けておられますが、奥様がお手伝いくださればとても助かります。旦那様も趣味に回す時間が増えて喜ぶでしょう」

「魔術具がたくさんあるのですか?」


 魔術具はとても大きなものです。

 王都では城に一つだけ、有事のときに城を守るための結界の魔術具がございましたが、ほかはありませんでした。

 王都にも一つしかなかったというのに、ここにはたくさん……。すごいです。さすが、北の国防の要ですね。


 わたくしが王都にあった結界の魔術具のようなものを想像しておりますと、メロディが指を折りながら教えてくれました。


「雪崩を防ぐ魔術具に、凍った道を溶かす魔術具。それからそうそう、珍しいものでは、湯を沸かす魔術具もあります。王都では必要なかったでしょうけど、ここでは火で湯を沸かしてもすぐに冷たくなってしまうのと、時間がかかるのとで、魔術具を使って常に湯を沸かしているです。城下町のはそれを利用して、用水路に湯を流しているんですよ。流れているうちに少し熱いお風呂くらいの温度になるので、人はそれをお風呂に利用したり、生活用水にしたりしています」


 あれ、わたくしが思っていた魔術具と、どうも違うようです。

 ですが確かに、こうも雪深い土地だと、そういった魔術具が必要になるのでしょう。

 それらすべをグレアム様お一人で稼働させているのであれば、きっと大変でしょうね。


「旦那様がこちらに引っ越されるまでは、国が大勢の魔術師を派遣していたようですけど、旦那様が不要だとおっしゃったので、コードウェルには魔術師が少ないんです」


 魔術を使えるだけの魔力を持った人は、魔力測定の後、学園に入学する年齢になれば王都へ旅立ちます。卒業後はそのまま国の要職に就くことが多いので、故郷に戻ってくる人はほとんどいないのです。


 ……わたくしに、魔術を使えるだけの魔力があれば、お役に立てる。


 あくまで魔力測定をしてみないことにはわかりませんが、魔術が使えるだけの魔力があって、魔術を覚えれば、わたくしにも仕事が与えられるようです。

 ここでふと、先ほどメロディが言っていた言葉が気になりました。


「メロディ、旦那様のご趣味とは……?」


 聞いていいことなのかどうかわかりませんので、メロディが少しでも嫌な顔をしたら質問を取り下げようと、じっと彼女の顔を見つめておりますと、メロディが肩をすくめました。


「魔術具研究ですよ。はじめると寝食を忘れて没頭するんです。困ったものです」

「まあ……」


 魔術具の研究とは、グレアム様はとっても優秀な方なのかもしれません。

 なぜなら魔術具の研究は、王都でも行われております。国立の研究機関が作られていて、魔術師の中でもとても優秀な方しか入ることができない最難関の機関です。そんな大勢の優秀な人が務めていても、成果は亀の歩みほどに遅々として進まないのだとか。

 その研究を、お一人で。


 ……国で一番の大魔術師様というお名前を、わたくし、侮っていたのかもしれません。


 わたくしは、マーシアとメロディに気づかれないように、そっと小さく息を吐きました。


 ……形式上とはいえ、そんな優秀な大魔術師様の「奥様」がわたくしで、本当にいいのでしょうか。



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