妻ではないけれど妻のようです 3

「旦那様」


 グレアムの前から強引にアレクシアを連れ去ったマーシアが、しばらくして応接間に戻ってきた。


「あの女はどうした」

「あの女ではなくアレクシア様です。奥様でしたら、メロディに任せてきました」


 メロディとはマーシアとデイヴの一人娘だ。

 応接間に取り残されていたグレアムは、「そうか」と短くつぶやき、それからマーシアの表情を見てぎくりと肩を揺らした。


 マーシアはぎゅっと眉を寄せ、説教を開始する一秒前のような顔をしていたからだ。

 乳母だったマーシアには、幼いころに何度も叱られた。

 大人になっても、その記憶は鮮明に残っているので、どうしてもこの顔には苦手意識があるのだ。


「お話がございます」


 いつもより低く、抑揚のない声。

 その声を聞いた途端、デイヴはそそくさと部屋を出ていった。

 二人きりになった応接間に、短い沈黙が落ちる。

 座るように視線で言われたのでソファに浅く腰を掛けると、マーシアは小さなため息をついてから口を開いた。


「先ほどの旦那様の態度は、ほめられたものではございませんでした。遠路はるばるやってきた女性に、開口一番つまみ出せなどと。マーシアは、旦那様をそのように思いやりのない人間に育てた覚えはございません」

「だが、俺は――」

「ええ、旦那様のお気持ちも、マーシアはよーく理解しておりますとも。ですが、それでも先ほどの態度はいけません。それにもう一つ。旦那様は普段はとても思慮深い方のはずですが、アレクシア様を見て、旦那様は何もお気づきになりませんでしたか?」

「何をだ」


 怪訝そうに眉を寄せると、マーシアはあきれたように首を横に振った。


「いろいろございましたでしょう。少ない荷物、薄いドレス、おかしいとは思いませんでしたか? それに、先ほど軽く肩に触れただけでしたので詳しくはわかりませんが、あの方は恐ろしくやせ細っておられるようでした」


 荷物は見ていないから知らないが、言われてみればこの寒いのにずいぶんと薄着をしていた気が知る。

 寒さや暑さに強い獣人を見ているので違和感が抱けなかったのかもしれないが、人間にはあのドレスではここはさぞ寒かっただろう。王都を出発するときはよくても、道中は寒さが堪えたのではなかろうか。


(それに、やせ細っていた? それほど道中が過酷だったのか? そんな馬鹿な)


 門番の話では、馬車で来たとのことだった。嫁ぐ支度をしたのは生家なのだろうが、公爵家の出自なのだ、しっかりと嫁入り支度は整えられただろうし、ここまでも丁寧に送り届けられただろう。


「……まさか道中で追いはぎにでもあったのか?」

「旦那様……」


 そうではありませんよ、とマーシアはまた首を横に振った。


「あの方の目を見ても何もお気づきになりませんでしたか」

「目?」

「アレクシア様の目は、何色でございました?」

「何色って、赤紫――」


 言いかけて、グレアムはハッとした。

 獣人相手にしていたから、これもそれほど違和感を覚えなかったが、そうだ、アレクシアの瞳には金色の光彩があった。


「…………まさか」


 先ほどの、アレクシアの言葉が思い出される。


 ――グレアム様、その……ご迷惑なのは重々承知しております。ですが、わたくし、ここを追い出されると行くところがございません。お金も、持っていなくて……。ですので、下働きで結構でございます。こちらで働かせていただくことはできませんでしょうか?


 申し訳なさそうな顔で、小さな声で、そういったアレクシア。


(公爵令嬢が下働き? しかも、金を持っていないとはどういうことだ?)


 通常嫁入りの際は持参金を持たせる。

 今回の場合は王家の都合があるため持参金が免除されている可能性が高いが、それでも無一文なはずがない。


「待て……アレクシアは一人で来たのか?」

「そうでございますよ」


 言われるまで、嫁いできたアレクシアの状況がおかしいことに気が付かなかったが、マーシアの指摘で、奇妙な点がいくつも浮かび上がってきた。

 アレクシアは、一人で嫁いできたのだろうか。


 通常、高位の貴族が嫁入りする際は、腹心の侍女が一人か二人ついてくるものだ。

 荷物も、少なくとも馬車一台。多ければ数台にもわたる量のものを持ってくる。

 さらに、王都からここまで一か月以上もかかるのだ。安全な道を選んでくるとはいえ、数人の護衛をつけて送り出すのが普通だった。

 それなのに、少ない荷物でたった一人で連れてこられ、城の前に一人で馬車から降ろされた。


 これではまるで――


(捨てられたみたいだ……)


 もちろん、王命で嫁いできたのだ。生家の公爵家が、王命で嫁ぐ娘を「捨てた」とは考えられない。

 けれど、アレクシアの状況は、まるでそれに近い扱いであったとしか思えなかった。


(金色の光彩……。そうか。アレクシアも……)


 彼女も、『竜目』の被害者なのかもしれない。

 だってそうだろう? 裕福なはずの公爵家で育ちながらやせ細り、自由になる金もなく、下働きでもいいから置いてくれと言う。


「……アレクシアは、今どうしている?」

「体が冷えていらっしゃいましたので、お風呂に入っていただいています。お疲れでしょうから夕食の時間までゆっくりしていただこうかと」

「ああ……それがいいだろうな」


 グレアムは、ゆっくりと頷いた。

 誰かを娶るつもりはない。その意思は変わらない。

 だが、来て早々アレクシアを追い出そうとしたのは、間違っていた。


「マーシア」

「はい」

「……デイヴに言って、アレクシアが公爵家でどのような扱いを受けていたのか、ここまでどうやって来たのかを調べるよう言ってくれ。諜報隊を使えば、すぐに調べられるだろう」


 コードウェルは辺境だけあって、軍の人数がほかの領地よりも多く認められている。さらには、この地の軍人の多くは獣人で、人間よりもずっと屈強だ。諜報隊と言われる、主に鳥人で結成された情報収取部隊もおり、はっきり言って、人数では劣るものの、その優秀さは王都の軍に劣らないだけのものがあった。


「かしこまりました」

「あと、それから……」


 頭を下げて部屋を出ていこうとしたマーシアに、グレアムは少し躊躇いがちに続けた。


「……アレクシアに、しばらくの間はここにいていいと、伝えておいてくれ」


 マーシアの言う通り、先ほどのあの発言はさすがになかった。

 グレアムがしゅんと肩を落としていうと、マーシアは「承りました」と小さく笑った。



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