妻ではないけれど妻のようです 2

「嫁はいらんといっただろう。つまみ出せ!」


 わたくしは息を呑んで、冷ややかにこちらを見下ろしているグレアム様を見上げました。

 生家の様子がそうでしたので、ここにきても温かく迎え入れてくださるとは期待しておりませんでしたが、来て早々つまみ出せと言われるとは思いもしませんでした。


 ……どうしましょう。外は雪がいっぱいです。女王陛下からいただいたお金も、御者さんの帰りの路銀としてすべてお渡ししてしまいました。ここを追い出されても、住むところがございません。こんな薄着では、きっと明日の朝までに氷漬けになっていることでしょう。


 青ざめるわたくしを見下ろすグレアム様の瞳は、美しい金色をしていました。

 わたくしの赤紫色の瞳にたまに現れるという金光彩ではございません。まごうことなき金色でございます。なんて綺麗なのでしょう。


 ここから放り出されるかもしれないという恐怖よりも、わたくしはグレアム様の瞳の色に心を奪われてしまいました。

 じっと見つめていると、グレアム様が少し戸惑った表情をなさいます。


「なんだ、そんなにこの目が珍しいのか」

「はい。……こんなに綺麗な目を見たのは、生まれて初めてでございますから」

「な……!」


 グレアム様に見入ってぼんやりと答えると、一瞬にしてグレアム様の頬に朱がさしました。

 直後、ぷっと小さく吹き出す声が聞こえます。首を巡らせると、マーシアさんが口元を押さえて肩を震わせていらっしゃいました。


「ようございましたね、旦那様。奥様は旦那様の目が、恐ろしくはないようですよ」

「お、奥様ではない! マーシア! デイヴ! アレクシア・クレヴァリーがここに到着しても城へは入れるなと言っておいただろうが!」


 グレアム様の怒鳴り声に、わたくしは思わずびくりと肩を震わせてしまいました。

 グレアム様が、ハッとしたようにわたくしを見ます。


 ……わたくし、やっぱり招かれざる客のようです。


 女王陛下はグレアム様に嫁ぐようにとわたくしにお命じになりましたが、どうやら手違いがあったのでしょう。グレアム様にはわたくしの存在がご迷惑なようです。

 しかし、ここで外に放り出されては、わたくしは生きていくことができません。物理的に、氷漬けになって死んでしまいます。


「あ、あのぅ、旦那様……」

「旦那様と呼ぶな! グレアムだ」

「は、はい。グレアム様……」


 妻として受け入れるつもりのない娘に旦那様と呼ばれるのは不快なのでしょう。グレアム様はぐっと眉を寄せてわたくしに訂正させます。


「グレアム様、その……ご迷惑なのは重々承知しております。ですが、わたくし、ここを追い出されると行くところがございません。お金も、持っていなくて……。ですので、下働きで結構でございます。こちらで働かせていただくことはできませんでしょうか?」

「……は?」


 グレアム様の目が点になりました。

 あきれているのでしょう。そうに違いありません。わたくしも、とても図々しいお願いをしていることはわかっております。

 ですが、その……。とても美しい金色の目をしているグレアム様なら、わたくしの目に金光彩があるという理由だけで忌み嫌ったりしないのではないかと、ちょっとだけ期待してしまったのです。

 もしかしたら雇ってくださるかもしれない。そんな図々しい期待を抱いてしまったわたくしは、なんと愚かなのでしょうか。


「む、無理でございますよね……。わ、わかりました……」


 この薄着で外に放り出されるのは死と隣り合わせでしかなくて、怖いです。

 しかし、ここはグレアム様のお城でございます。主人がダメだと言っているのに、居座り続けることはできません。


 ……大丈夫です。うまくすれば、凍死する前に、どこか住み込みで働かせてくれるところを見つけられるかもしれません。


 見つからなくても、トランクに入っているドレスをすべて売れば、一晩か二晩、宿に泊まることはできるでしょう。わたくしは生まれてこの方お金を扱ったことがございませんで、ここに来るまでも、必要なものの購入や宿の手配は御者さんにお願いしておりました。ゆえにドレスの価値はわかりませんが、とても上等な絹のドレスでございます。宿代くらいにはなるはずです。


 着替えがなくなってしまうのは不安ですが、死ぬよりましですからね。

 わたくしが頭を下げてから立ち上がろうとすると、マーシアさんが慌ててわたくしの肩を押さえました。


「旦那様! この寒い中、本当に外に放り――」


 言いかけていたマーシアさんの声が、途中で止まりました。

 わたくしの肩を押さえている手に視線を落とし、大きく目を見開きます。

 どうしたのでしょう。

 わたくしが首を傾げておりますと、マーシアさんはわたくしの手を取って立ち上がらせ、旦那様を押しのけました。


「お部屋にご案内いたしましょう。お話は明日になさいませ。温かいお茶でも入れて差し上げましょうね」

「お、おい、マーシア――」


 マーシアさんは戸惑っているグレアム様を無視して、わたくしの背中をぐいぐいと押しました。

 いいのでしょうか。

 わたくしもグレアム様同様戸惑ってしまいましたが、マーシアさんの力は強く、押されるままに足を動かすしかありません。


「あの、マーシアさん……」

「長旅でお疲れでしょう。ゆっくりと疲れを癒してくださいませ。お茶を飲んでいる間に、お風呂の準備をいたしますね」


 なんと、お風呂を貸してくださるそうです。

 わたくしは、口から出かけていた戸惑いをぐっと飲みこみました。

 体がとても冷えていますので、温かいお風呂には入りたいです。


 十二歳を過ぎてからは、クレヴァリー公爵家ではお風呂をいただくことはありませんでした。使用人以下の扱いのわたくしに、温かいお湯が提供されることはなかったのです。

 この旅の間は、宿を取っていましたので、それこそ久しぶりに温かいお風呂を使っておりました。

 旅の間に、どうやらわたくしは、湯を使う贅沢に慣れてしまったのでしょう。

 申し訳ないと思う気持ちはありますが、お風呂という欲求に抗えそうにありません。


 ……これから先の身の振り方はわかりませんが、今日のところは、お風呂に入りたいです。


 欲求に抗えない意地汚いわたくしは、マーシアさんに身を任せることにいたしました。




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