妻ではないけれど妻のようです 1

 それは、アレクシア・クレヴァリーがコードウェルに到着する二週間ほど前のことだった。


 しばらく連絡をよこさなかった姉、スカーレットからの突然の手紙に、グレアムはあきれを通り越して怒りを覚えていた。


「何を考えているんだ、姉上も、大臣たちも!」


 手紙を握りつぶし、床に放り投げると、執事のデイヴがそれを丁寧に拾い上げた。

 デイヴは、ここに引っ越してからはメイド頭を任せているグレアムの乳母マーシアの夫だ。ここにいる「人間」は、デイヴとマーシア、そして夫妻の娘であるメロディの三人しかいない。ほかは、この地に来て雇い入れた獣人たちだけだ。


 ここは王都から離れているからなのか、それとも北の国境に隣接している国が獣人の治める国だからなのか、クウィスロフト国の中でも獣人の多い国だ。

 人の世で生きるには少々特殊な「色」を持ったグレアムにとっては、逆にそれが居心地のいい場所でもある。


「目を通しても?」

「好きにしろ!」


 訊ねたデイヴにグレアムは乱暴に答えて、ソファにごろりと横になった。

 しばらく、暖炉の爆ぜる音とデイヴが手紙を読むかすかな紙の音だけが室内に響く。

 ややあって、苦笑を噛み殺しながらデイヴが言った。


「これはまた、なんといいますか……ご愁傷さまですとしか」


 デイヴのその言い分に、グレアムはますます腹が立った。

 この理不尽さに対する答えが「ご愁傷様」だけとは。

 いや、もちろんグレアムもわかっている。スカーレットは姉である前に女王だ。そして女王の印が押されたこの手紙は、単なる姉が弟に充てたご機嫌伺いの気やすい手紙ではない。これは正式な文書であり、女王から王弟への命令なのだ。


 ゆえにグレアムがいかに腹を立てようと、この手紙を無視することはできない。デイヴもそれがわかっているから、下手な慰めは言わず、ただ同情したのである。


「何が国の最重要事項だ。ただ単に姉上の奔放さが招いた結果ではないか! 何故俺が姉上の尻拭いなど……ああ、忌々しい!」


 だが、グレアムはやはり「わかって」いた。

 スカーレットは、男にだらしないという欠点があるものの、王としては優秀だ。そして弟想いの優しい姉でもある。

 生まれ持った色のせいで両親から顧みられず、王都でも肩身の狭い思いをしていたグレアムのことを考えて、姉はこの北方の地を与えてくれた。そうして、王族の義務を放棄して、のんびりと自由気ままに暮らすことを許してくれた。

 だからこそ、グレアムはスカーレットに恩を感じていたし、姉が困ることがあれば手を貸そうとも思ってはいたのだ。


(でも、いくらなんでもこれはないだろう!)


 手紙には、公爵令嬢を一人送るから嫁に取るようにと書かれていた。

 そして、産まれた子を世継ぎにするから、子供ができたらすぐに知らせろとも。


「俺の子を世継ぎなど……。『竜目』が生まれても知らないぞ」

「旦那様……」


 グレアムが気遣うような声を出すが、今更だ。

 グレアムは、王家に多く現れる銀髪を持っていたが、同時に、非常に稀に王家に現れる『竜目』と呼ばれる金色の瞳を持っていた。


 クウィスロフト国は、竜の血を引く国なのだ。


 と言っても、実際にこの地に今ではすっかり幻となった竜が暮らしていたのは、千年ほど昔のことである。

 千年前、この地で暮らしていたのは、銀色のうろこに金色の瞳を持った、それはそれは優美な竜だったそうだ。


 この地が欲しかった初代国王は、竜とある交換条件を交わしてこの地に王国を建設した。

 その交換条件とは、その竜の伴侶となることだった。

 この地に住んでいた竜はメスで、初代国王と番となり、子を産んだ。

 竜は初代国王の死とともに、地下深くで長い長い眠りについたが、竜の血は王家に受け継がれた。


 けれども今から八百年前。

 竜の血を濃く受け継いだ金色の目をした王子が、力を暴走させてこの国を滅ぼしかけてしまう。

 王子は兄王子によって倒されたが、以来、金色の目のことは『竜目』と呼ばれ、恐れられるようになった。


 二百年ぶりにその『竜目』を持って生まれたグレアムは、竜の血が濃くあらわれているからなのかとてつもない魔力を持っていたが、そのせいか小さいころから魔力を暴走させることが多かった。


 先王である父の子が、スカーレットとグレアムの二人しかいなかったため、世継ぎのスペアであるグレアムが殺されることはなかったが、両親はグレアムを恐れ、そして臣民も彼を避けた。

 グレアムに優しかったのは、姉のスカーレットと、乳母のマーシアとその家族だけだ。


「陛下は、産まれた子が『竜目』だからと言って気になさいませんよ」


 そうかもしれない。

 スカーレットは、たった一度、八百年前に『竜目』の王子が起こした騒ぎを、それほど危険視していない。

 というのも、その後も『竜目』は何人も生まれたが、国を亡ぼす騒ぎを起こしたのは、後にも先にも八百年前の王子ただ一人だけだったからだ。

 たまたま力を暴走させた王子が『竜目』だった。それだけで恐れ忌み嫌うのは、この地を託してくれた千年前の竜に対する冒涜だと姉は言う。


(しかし、いくら姉上が優秀でも、その言葉を信じる臣民が果たしてどれだけいることか)


 百年前まで続いていた獣人に対する迫害もそうだ。

 獣人は、金色の目をしているものが多い。

 最初のきっかけは、そんな金色の目をした獣人がある貴族を傷つけたことだったらしい。

 もう何百年前の記録なので、詳細はグレアムもわからない。

 だが、それがきっかけで金目が生まれる確率の高い獣人を忌むべき存在として迫害し、虐殺したという忌まわしき過去がこの国にはある。


 グレアムの子を世継ぎにとスカーレットは決めたそうだが、その子が『竜目』であったならば、臣下たちはこぞって反対するだろう。

『竜目』は魔力量が高いものの象徴だ。十五歳の時から大魔術師と言われ恐れられていたほどの魔力量を持つグレアムの子なら、相当な魔力を持って生まれるはずである。『竜目』である確率が高い。


 それだけが理由というわけではないが、だからグレアムは結婚するつもりはなかったし、子を持つつもりもなかった。


「このアレクシア・クレヴァリーとかいう公爵令嬢も、生贄にされて可哀想なものだな」

「またそのような……」

「すでに王都を出発したあととあるから追い出すのは不可能だろう。だが、受け入れるつもりは毛頭ない。ここへ来たら追い返せ。いいな」

「ですから、女王陛下のご命令……」

「花嫁が逃げ帰ったと言えばいい」


 取り付く島もないグレアムに、デイヴがはあとため息をつく。

 グレアムはデイヴが手紙を丁寧にたたむのを見て、ぱちりと指を鳴らした。

 直後、グレアムの手にあった手紙が一瞬で木っ端みじんになった。


「……旦那様」

「手紙は届かなかったと誤魔化してもいいな」


 デイヴはやれやれと首を横に振り、くるりと踵を返した。

 大方、アレクシア・クレヴァリーとかいう女が来た時の対処法を妻のマーシアと話し合うのだろう。

 話し合ったところで無駄だ。グレアムは、誰をよこされようとも、絶対に妻は娶らない。


「ま、こんな雪だらけのところ、来る前に逃げ帰るかもしれないな」


 雪に覆われ、獣人だらけの北方のコードウェル地方に、好んでやってくる貴族はほぼいない。

 ここを収めるのがコードウェル辺境伯ではなくグレアムになってからは特にだ。


(……そういえば、コードウェルのじいさんは、獣人に対して偏見はなかったようだな)


 寒いけれどいいところですよ。

 そう言ってグレアムにこの地を託して隠居した元コードウェル辺境伯は、この地の獣人たちに受け入れられていた。


「……まさか、今回の件にあのじいさんが一枚かんでるんじゃないだろうな」


 早く結婚して家庭を持てと口酸っぱく言い続けていた元コードウェル辺境伯は、今はこのコードウェル城の南に広がる城下町で、邸を構えて暮らしている。

 どうやら、スカーレットに定期的にグレアムの様子を報告しているようなのだ。

 グレアムは窓の外で吹き荒れはじめた雪を見て、ちっと舌打ちした。




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