【Web版】大魔術師様に嫁ぎまして~形式上の妻ですが、なぜか溺愛されています~

狭山ひびき@バカふり、120万部突破

大魔術師様の形式上の妻になりまして

プロローグ

 クウィスロフト国の最北。


 国境の近くに冷たくそびえたつ城には、ちょっと気難しい大魔術師が住んでいらっしゃいます。

 北の国の侵略を防ぐために無骨に広がる高い城壁に囲まれた城の上空には常に暗雲が立ち込めていると聞きますし、城やその眼下に広がる城下町は年中雪に覆われていると聞きます。


 北の城のあたり一帯の地名はコードウェルと言いまして、もともとはコードウェル辺境伯が治めていた場所だそうです。

 しかしコードウェル辺境伯はお年を召して、跡継ぎもいらっしゃらなかったため、かわりの領主として白羽の矢が立ったのが、クウィスロフト国で最強の名を持つ、当時十五歳の大魔術師様だったそうです。


「すごい……大きいですね……」


 馬車がゆっくり停車すると、わたくしは、少ない荷物を片手に馬車を下り、眼前にそびえたつ巨大な城を見上げました。


「はー……」


 王都ではまだ秋の装いであったというのに、ここでは吐いた息が白く凍ります。

 クウィスロフト国は南北に長い国で、王都は南側に位置しているため、同じ国の中ではありますが地域によってかなり季節感が違うのです。

 空を見上げれば、噂に聞く暗雲は見当たりませんでしたが、薄灰色の雲に覆われていて、どこからか飛ばされてきた風花がはらはらと白く舞っておりました。


 わたくしは寒さにふるりと肩を震わせて、二の腕をこすりました。

 寒いです。

 やはり、羞恥を捨ててコートを着てくるべきでした。

 ですがわたくしが持っているコートというのは、果たしてコートと呼べるのかどうかというほどつぎはぎだらけで、まるで古い布をつなぎ合わせて作った巨大な雑巾のようなものなのです。


 ……さすがに、今から嫁ごうという女が、そんなものを着ていくのは問題がありましたからね。


 先ほども申しました通り、王都では秋の装いでございます。

 わたくしは家族に嫌われておりましたが、女王陛下のご命令で嫁ぐ以上、嫁入り支度はしてくださいました。


 けれど、王都は秋の過ごしやすい気候で、わたくしの父は南側に領地を持っている公爵家ですので、北の事情に疎いのでございましょう。

 用意されたのは秋物のドレスが数点と、女王陛下が持たせてくださった金貨の入った袋だけでございました。こちらの中身は間に合わなかった支度に使うお金で、好きに使えばいいと女王陛下はおっしゃいましたが、王都から一か月以上もかかる道中で、御者の方やわたくしの宿代、食事代で半分ほどなくなりました。


 特に北側の地域に入ってからは馬車の中も寒く、毛布を買い足したり、御者の方の防寒具を買ったりしたからでしょう。宿も、しっかりと暖が摂れる場所を選んだので少々お高くつきました。


 ……まさか、お父様が御者さんに路銀を渡していなかったのには驚きましたから、女王陛下が下さったお金があってよかったと思います。


「ここまで送ってくださりありがとうございました。あのう、帰り道にも路銀が必要でしょうから、こちらをお持ちくださいませ」

「いいのかい?」

「もちろんです。どうぞお気をつけてお帰りください」


 女王陛下が下さった金貨は、まだ十枚ほど残っております。

 わたくしが金貨の入った袋を差し出せば、御者の方はにこにこと笑いながらそれを受け取り、「嬢ちゃん、元気でなぁー」と明るく手を振って去っていきました。


 あの御者の方はお父様の家の御者ではなく、今回特別に雇った方だそうですが、とても気さくないい方です。帰り道の無事をお祈りしましょう。


 馬車が見えなくなると、わたくしは改めて城に向き直りました。

 外壁が白いからでしょうか。それとも周囲の空気が凍てついているからでしょうか。まるで冷たい氷の城のように見えてしまいますね。

 わたくしはトランクを抱えなおし、城の門番に声をかけました。


「女王陛下から先ぶれがあったかと思われますが、わたくし、アレクシア・クレヴァリーと申します。クレヴァリー公爵家のものです。大魔術師様に嫁いでまいりました」

「これはこれはご丁寧に。デイヴから聞いてますよ」

「デイヴ様」


 なるほど、大魔術師様のお名前はデイヴ様とおっしゃるのかと思って頷けば、門番さんが笑いながら首を横に振りました。


「デイヴは執事の名です。旦那様はグレアム様とおっしゃいますが……まあ、少々気難しいですが、俺達にはいい方ですよ」

「グレアム様」


 旦那様は大魔術師様で女王陛下の弟君ということは知っていましたが、そういえばお名前をうかがっておりませんでした。ご本人を前に失礼を働く前に教えてもらって助かりました。

 ところで……。

 門番さんが明けてくれた門をくぐりながら、わたくしは改めて門番さんに向き直りました。


「そのような薄着で、寒くはございませんか?」


 わたくしも秋物のドレスだけですので、こちらの気候にはあっていない出で立ちですが、門番さんはさらに輪をかけて薄着です。だって、半袖一枚なのです。鎧もありません。

 門番さんはきょとんとして、それから「わっはっは」と豪快に笑いだしました。


「嬢ちゃん、獣人を見るのははじめてかい?」

「獣人……?」


 噂には聞いたことがございます。

 獣人とは、獣にも人の姿にもなれる種族で、普段は人の姿で生活しているそうです。

 しかし、クウィスロフト国では、そのぅ、非常に遺憾なことに、過去に獣人を迫害していた歴史がございます。そのため、その数は非常に少なく、生活していた王都では一度も姿を見たことがございません。もしかしたら、王都にもいたのかもしれませんが、わたくしはほとんど公爵家から出ることはございませんでしたので、一度も目にしたことはございませんでした。


 わたくしの父も義母も、義姉も、貴族にありがちと申しますか、いまだに獣人に偏見を持っておりますので、使用人の中に獣人はおりませんでしたし。

 でも、ここで獣人がお仕事をしているということは、大魔術師様――もとい、グレアム様は、女王の弟君でいらっしゃるのに、獣人に偏見がないということでしょう。それはとても素晴らしいことだと思います。


 外見で偏見を持たれるのは、とても、悲しいことでございますからね。


「俺は熊の獣人でね、寒さにはめっぽう強いんだ」

「まあ、くまさん」


 残念ながら、わたくしは熊を見たことがありません。どのような外見なのでしょうか。すごく気になりましたが、まさかここで獣の姿になってほしいとは申せませんから、またの機会を待つことにいたします。ここで暮らしていれば、きっとお目にかかることもあるはずですものね。


「それはそうと、お嬢ちゃん……おっと、奥様だな。奥様の方が寒いだろう。風邪を引く前に、早く城の中に入った方がいい。こっちだ」


 奥様……。


 確かに嫁いできましたが、その呼び方は面はゆい感じがいたしますね。

 ああ、でも、わたくし、きちんと奥様業ができるのでしょうか。

 ここにきて、わたくしはとても心配になりました。


 だって、わたくしは愚図でのろまの出来損ないなのです。






 わたくしは、クレヴァリー公爵家の次女でございます。

 と言いましても、わたくしの母は、父が戯れに手を付けたメイドだったそうで、わたくしが生まれてすぐに息を引き取ったそうです。


 父は外聞を気にして、わたくしを義母の子として出生届を出し、育てることにいたしましたが、当然、義母や異母姉が面白く思うはずもございません。

 一応、十二歳までは乳母が付けられ、邸の端っこではございましたが部屋も与えられ、基本的な教養は身につけさせてくださいましたが、十二歳になってからは状況が一変しました。


 と言いますのも、わたくしは少々人と違った色を持っているのでございます。


 肌や髪の色は問題ございませんでしたが、わたくしの瞳は、赤に近い紫色をしており、時折金色の光彩が輝くのだそうです。


 父や義母、異母姉はこの瞳を気味悪がり、常に遠ざけておりましたが、瞳の中の金色の光彩が年を追うごとに頻繁に現れるようになり、父は、わたくしを政治道具として利用することをあきらめたようでした。

 政治道具――つまり、政略結婚の道具ですね。


 わたくしは使えない道具になりましたので、当然、立場も一変します。

 十二歳まではかろうじて令嬢らしい生活を送らせていただけておりましたが、父が欠陥品と認めたからは、使用人以下の扱いになりました。


 一応、屋根裏にある小さな倉庫を部屋としていただけましたが、扱いは使用人のさらに下働きのようなものでした。

 そのため、わたくしの令嬢教育は十二歳で止まっており、大魔術師様、それも女王の弟殿下の妻になれるような教養はないのでございます。


 ……わたくしではなく、お姉様であれば、よかったのでしょうけど。


 とはいえ、もともとこの縁談は、少々複雑な事情が絡んでいるのでございます。

 ええっと、端的に申しますと、この国のお世継ぎ問題でございます。


 女王陛下――スカーレット様は、現在御年三十二歳の美しい方でございますが、まだ誰とも結婚なさっておりません。

 それだけならまだよかったのですが、そのぅ、スカーレット様はとても気さくで優しく、また政治手腕にも優れた大変有能な方でございますが、ある欠点がございました。

 そう、男性が、とてもお好きなのでございます。


 わたくしは直接目にしたことはございませんが、異母姉が言うには、スカーレット様は貴賤問わず大勢の男性を囲っており、何人かお子様もお生まれになりましたが、どうやらお子様方のお父君が誰なのかがさっぱりわからないのだそうです。

 そして、お子様たちを可愛がってはいらっしゃるのですが、お父上がどなたかがわからないというご事情から、世継ぎに必要な教育は誰一人として受けさせていないとか。


 もちろん今後、女王陛下がどなたかお一人の男性を愛し、伴侶となさって、お子様をお産みになることもあるやもしれませんが、即位して十年もこの調子でございましたので、大臣様たちもあきらめたそうです。

 そして最終的に、世継ぎは王弟であるグレアム様のお子様にということで落ち着きました。


 しかしここでもう一つ問題が発生します。

 二十六歳のグレアム様は、まだ結婚なさっていらっしゃらなかったのです。

 それどころか、人嫌いで有名ですので、王都に戻ってくることはまずありません。

 お見合いさせようにも本人が出てこないので不可能で、そして、大魔術師と恐れられているグレアム様に嫁ぎたがる令嬢は、募集をかけてもなかなか現れなかったのでございます。


 生まれた子を世継ぎとするからには、それなりの出自の令嬢でなければならない。

 悩みに悩んだ結果、白羽の矢が立ったのがわたくしでした。

 お父様的には、厄介払いという意味合いもあったのでしょうね。


 つぎはぎだらけのメイド服しか持っていなかったわたくしは、あれよあれよとドレスを着せされ、女王陛下に面会いたしました。

 はじめてお会いしたスカーレット様は、それはもうお美しい方でいらっしゃいましたよ。

 スカーレット様はわたくしを見て、ちょっと申し訳なさそうな顔をしてから、「弟をお願いしますね」とお言葉をくださいました。

 そして、わたくしと二人きりで話がしたいとおっしゃったあとで、そっと金貨の詰まった袋を渡してくださったのです。


 ――弟ほどではないけれど、わたくしにもそこそこ強い魔力があるのよ。あなたの事情は知っているわ。


 スカーレット様は、すべてを見透かすような目でそうおっしゃいました。


 ――弟は気難しいけれど、あの家にいるよりは、ずっとましでしょう。そうなることを祈っています。


 そっとわたくしの手を握ってくださったスカーレット様の手が、とても暖かかったのを覚えています。

 そうしてわたくしは、この地へ送り出されたのでございます。


 ……不安でも、ここでがんばるしかありませんね。


 奥様業が務まるかどうかわかりませんが、不足があればこれから努力すればいいのです。






「いっらしゃいませ、奥様。お待ち申し上げておりました」


 門番さんに連れられてわたくしが城の中に入りますと、五十歳ほどの焦げ茶色の髪をした男性が出迎えてくださいました。この方が執事のデイヴさんだそうです。

 デイヴさんの後ろには、四十代半ばほどの、黒髪に青い瞳の女性が立っていました。メイド服を着ているので、メイドさんでしょうか。


「はじめまして、アレクシア・クレヴァリーと申します。本日からお世話りなります。足りぬところも多々あるかと存じますが、どうぞよろしくお願いいたします」

「これはこれはご丁寧に。メイド頭のマーシアです。奥様、遠路はるばるようこそお越しくださいました。寒かったでしょう。こちらへご案内いたします」


 マーシアさんはわたくしのドレスを見てわずかに眉をひそめてから、わたくしの手からトランクを取り、少し急ぎ足で応接室へ案内してくださいました。

 応接室に入った途端、わたくしの体から力が抜けていきます。

 ぽかぽかと、温かいです。爆ぜながら赤く燃えている暖炉の炎の、なんと力強いことでしょう。


「すっかり体が冷えていらっしゃいますね。今、温かいお茶を――」


 マーシアさんが、そう言ってベルを手にした時でした。

 前触れなくガチャリと応接室の扉が開いて、銀髪の背の高い男性が入ってきました。


「旦那様!」


 マーシアさんが驚いた声をあげました。

 旦那様、ということはこの方がグレアム様でしょうか。

 銀色の髪に、神秘的な金色の瞳をした、びっくりするくらい整った外見の方です。


 ……この方に、嫁ぐのでしょうか。


 わたくしの不安が大きくなります。

 だって、すごく素敵な方なのです。

 気難しそうに眉は寄っていらっしゃいますが、そんなことも気にならないくらいの――何と言いますか、大天使様かと見まがうばかりの、とんでもなくお美しい方でございます。


 ……やせっぽちで、ちんちくりんな出来損ないと言われるわたくしとは、とてもではないですが釣り合いがとれません。


 グレアム様はソファに座るわたくしを一瞥し、ふん、と鼻を鳴らしました。


「嫁はいらんといっただろう。つまみ出せ!」


 わたくしの心が、音を立てて凍り付きました。



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