-1-裏

今日の帰り道はとっても足が軽かった。相手をこの世界に引き寄せられるかは分からないところではあったが、糸巻き師を見つけ出せたこと自体が凄く幸運なことだったからだ。実を言えば、糸見師も糸巻き師も必ず息子や娘に引き継がれるのではない。何代にも掛けて現れなかった時もあったし、一方が現れたのに、巻き師の方は現れないこともざらであった。糸見師も、糸巻き師も対になって本領発揮出来たことが稀であったのだ。なのに、自分がその稀有なケースを経験できるかもしれないという可能性の一端が見つけられたのだ。少し気持ちがウキウキ気味になるのは当然である。

店に到着して、カウンター越しの空間に足を入れようとしたのだが、先にやるべきことを考え出して名刺を取り出した。名刺を裏側にしてカウンターテーブルの上に置き、その裏面に書いてある番号をいまさき取り出したスマホのキーパッドで入力した。

少し長く呼び出し音が鳴ってから、お昼の例の声が聞こえてきた。例の人で合っていることを確かめた後、のちに会うための約束だけを決めて電話を切った。

正直なところ、お昼の時に言えなかったことたちについて伝えておきたかったのが本音だった。

だが、一気に情報を伝えたところでもっと理解してもらえるとは限らないというのも事実であった。却って、少し危険なことかもしれないけど目に見える形の資料をお持ちした状態で説明してあげるのがより良いかもしれないという思いも浮かんできたので、一応電話を切ったのだ。

用事を終えて、カウンター越しの部屋に入っていった。一枚のカーテンをめくると現れるごく普通の扉を開くと慣れた風景がわたしを迎えてくれた。少し雑な感じのする空間ではあるが、どうも今日は片づけようとする気はおこらなかった。それより今は明日に備えて、必要な資料をまとめておくのが大事だった。

埃の積まれている本棚を見つめた。好みの作家の作品たちが連なっていた。ジャンルは多岐に渡っている方だと思ってはいるが、こうして見ると、やはり一番好きな推理小説がよく目に飛びついてきた。

この頃、本をあまり読まずに買うばかりでいるので、本棚を見つめている間にその事に対して恥ずかしさを感じざるを得なかった。そろそろ、本を無暗に買い続けるのはやめるべきかもしれない。

それはさておき、資料を探すために一番上のところに手を伸ばした。一段目は全部一応糸に関連する代々のお話が書かれてある本で成っていたけど、その全巻に糸巻き師についての言及が載せられているわけではなかった。糸巻き師と巡り合うこと自体が難しかったため、その分記録されている量も少なかった。勿論、糸見師についても理解を深める必要はある。だけど、一番大事なのは自分の役割について把握することだ。糸見師について理解をするのは、それからでも全然遅くない。

私は、左の方から一冊ずつ抜いて中身を確認しはじめた。ところどころ読めない部分もあるというのは否めないが、ご親切にも簡素な絵が何枚か描かれていたりしていた。お陰で、ある程度手間が省けそうだ。

どれぐらいの時間が過ぎたのだろうか。あと二冊ぐらいが残っていた時点で、突然スマホが振動する音が聞こえてきた。普段、色んな事に長時間集中しないといけないため、基本的にスマホは振動状態にするのが癖になっていた。見ていた本のページに左手の指を挟んで、右手でスマホの画面を凝視した。お昼に会った、例の糸巻き師 ‘士郎さん’ からであった。

電話がかかってきたのではなくて、メッセージが来ていた。

「このような遅い時間に連絡をするのはとても失礼なことではあるのを存じておりますが、どうも気になることがございましたのでメッセージをお送りいたします。」


突然、自分が知らなかった世界に遭遇したようなもんだから気になることがあるのもしょうがない。ごく自然なことであると考えたので、私は気にせずに聞くように勧めた。そんな時間が経ってないうちに既読表示がついた。相当気になっているらしい。


「伊藤さんは、なにをもって、わたしが糸巻き師であるとお気付きになりましたでしょうか。」


(あ…)


完全に忘れてしまっていた。お昼の時に時間が足りなくて説明出来なかったから、店に帰ったら次の約束を決めることも兼ねて説明補足を少しだけしてあげようと思っていたのだ。なのに、完全に忘れてしまっていた。わたしは急いで、返事を送った。


「すみません。早く説明するべきものであるのにも関わらず、失念しておりました。例のことに関しては、糸の色で気づいたのだと理解していただけますと結構でございます。糸巻き師は、糸見師を含めたその他の人たちと糸の色の彩度が明らかに違います。厳密にいえば、色はありますがその明度がとても高く、ほとんど白に近い色をしているのです。ですが、一般的な色の明度はそうではありません。とってもどの色をしているかが分かりやすいのです。」


あまりにも長い返事な気がして、短くすべきか一瞬悩んだが、今は相手の疑問を解消させることを一番大事にするべきだと判断して、そのまま送ることにした。

少し間を置いて、既読表示がついた。結構長いので返信に少し時間がかかるのだろうと思ったが、案外早く返信が来た。


「わかりました。ありがとうございます。では、明日またよろしくお願いいたします。」


当面の疑問は、ある程度解消されたらしく見えたので、心からほっとした。わたし自身、赤の他人に糸の話をここまでしたのははじめてだったのだ。

どちらかと言えば、いつも先代の糸見師から説明をされてきた立場であったのだ。

糸見師は糸巻き師より遥かにその人数が多い方だったから、たとえ一家相伝の能力みたいなものではなくとも、彼らなりのコミュニティを各地に作ることができた。

そのコミュニティでは主に、いわば新入り向けの基礎教育や情報を最大限に活用するための訓練みたいなものが行われてきた空間であった。

そして当然、その空間で過去のわたしも色んな経験を積み重ねた。ただ、その以降の生き方が少し変わっていただけだ。だいたい、どのケースであれ、普通ではない特徴をもつ人間はその特徴が公にされた途端、徐々に疎まれていく。

長い時間を重ねて、孤独の淵に落ちていくという末路。

特に現代は、そのような傾向が一層強くなったため、他の糸見師たちは、その能力の活用を最小限に抑えることで普通の人のように生きるという生き方を選んでいた。

そして、若者のそのような選択をコミュニティは尊重した。

長い歴史のうち、糸見師と糸巻き師は確かに、見えないところで色んな活躍をしてきた。

だが、それより普通の人々のように生きることを、少なくともそう思われるよう生きることを目指した人々たちも多かった故のことであった。


【糸見師と糸巻き師は、求められた時に、世の中が必要とするときにだけ、活躍する】


これは、歴史を顧みたゆえの結論であると同時に、同じ糸見師と糸巻き師たちを守るための措置でもある。日本の人口減少問題から私たちも自由ではない。コミュニティといっても所詮国内だけでの話であって、海外にも糸見師や糸巻き師が存在するかさえも定かではない。そのような状況で、国内の新しく生まれる少数の子供たちのうちでの糸見師と糸巻き師の重要度は過去のどの時代よりも増していた。

そのような雰囲気が蔓延していた時期で、私は成長していった。そして、一種のポリシーのように固まってしまったものに対して疑問を覚えた。


(あまりに、悲観しすぎなのではないか?)


ソーシャルネットワークは確かに恐ろしく、脅威である。だが、昔より未知の領域であった海外の糸見師、糸巻き師たちについてより効率的に調べられる環境でもあるのではないか。怯えているばかりでは、進めない。じわじわと近づいてくる結末をただ待つだけといった風土にはどうも頷けなかった。そして、看板を掲げておらず、かつ何故か一度ぐらい入りたくなるような、ミステリアスな雰囲気の漂う店を立ち上げた。内装の配色は、カウンターから後ろのところを好きな紫色とし、客が滞在する空間はカフェのイメージに寄ったものになるよう作業を進めた。日常的空間と非日常的な空間をひとつの場所で実現させる。それが目標であった。

店をするなら書店にしようということは、以前より心のうちで決めていたことであった。面積が小さい分、店内に入れる人数は限られる、だが同時に書店という特性のおかげで立ち寄った人はそれなりの時間を店で過ごすようになる。お客の観察をし、時には名刺を渡して、悩みを解決してあげるといったことをするにはまさにぴったりであった。近くにっ学校があるという点も気に入っていた。

そして、店は本格的に動き出した。表向きではあるがそれでも本屋という店を立ち上げた以上、店主としての仕事はしなければならなかった。本棚に本を並べることにしても、その並べ方を決めることから非常に悩ましいことであった。中身に対しては、委託制度のこともあり、気にするところはそこまでなかった。ただ、限られた一部の流通経路に頼りっぱなしになるのは危険なのでは、と思われた。書店という店の性格上、同じ場所で店を運営しつづけることが望ましい。そのためには、想定されるあらゆる危険要素を取り除く必要があったため、足を動かして幾つかの取引先を確保した。

勿論、私が個人的に仕入れておきたい本があったゆえの行動でもある。息抜きに読めるような本は、常に一定の数の人々には求められるだろうという算段も働いたのではあるが、たとえ、求めていない人々であったとしても、そのような本たちに一度は触れられる機会を与えたいと、そう思っていた。

店は考えていたことよりは好調であった。ただ、肝心の依頼を誘き寄せることができずにいた。

正確にいうと、依頼案件として十分な悩みの持ち主たちは数多くあったが、そのほとんどが悩みの根源たるものと直面することを避けようとしていた。 そのせいで、依頼案件はあるということが分かっても本人を誘導することが躊躇われていたのだ。糸巻き師と一緒なら、その痕跡を追うことで、詳細を把握することが容易になり、そうなればこちらの取るべき行動も明確になるので仕事をしやすい環境になったはずであったが、その糸巻き師は所在を知る人自体が稀になっていた。

どんなものよりも強い支えになってくれるだろう見方であるにも関わらず、頼りにできない。

それが糸巻き師であった。


(まずい…)


これでは、海外の糸見師や糸巻き師の所在を知るために必要な知名度上げという、第一段階から目標の達成が全然見込めないという絶望的な状況。

それを打破すべく、決まった時間、特に近くの大学のお昼時間に学校の周辺を何気なく散歩していた。大体の大学には近所の住民も利用できるスペースが設けられており、お陰で大学生たちがもつ多彩な色の糸を見ることが出来た。そして、さらに進んで、何人かの悩みを解決してあげることにも成功した。その際に、糸の話を投げることも忘れなかった。勿論、名刺も渡した。糸の話をすることで、噂が広まるように仕向ける、それが目的であった。

ただ、依然として心の準備ができていない人々たちには歯が立たなかった。


(この辺に関しては、じっくり考えておく必要がある)


そう考えていた時であった。目の端に、ありえない糸の色が見えた気がした。自分が見た色について疑いを覚えながらも、徐にその方向に視線を向けた。


(…!)


間違いない。糸巻き師であった。本人にその自覚があるかどうかは分からないが、これほど幸運なことがあるのだろうか。こんなところで糸巻き師と遭遇するなんて…

現実で起きたことに中々追いつけず理性と、それと同時に【嬉しさ】という4文字に注ぎ込むにはあまりにも大きい嬉しさを全身が痺れるほど感じる感性が交わり、周りと隔絶されたかのような感覚に陥って、その場で立ち尽くしていた。どれだけの時間を立ち尽くしていたんだろう。わからない。

ただ、糸巻き師がまだ、友人らしき人と会話中であることを見ると、現実の時間は幸いそんなに過ぎてないようであった。


(ふう…)


深呼吸をして、糸巻き師のところに向かった。嬉しさとは裏腹に、その足はいつもよりはるかに重かった。

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伊藤さんの糸 @asahi2763

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