ー1-表


「おーい!士郎、時間だぞ。そろそろ流石にキツイじゃないか?」


「 なに、余裕さ。今日の天気も味方してくれているじゃないか。心配するような事は何一つないよ。」


大学生である私と友人はそんな訳のわからない会話をしていた。昨日と変わらずの晴天の空は、ちょうどいい加減の風をも送ってくれていた。まさに、彼らは日常の連続する空間に包み込まれていた。その心地といえば、終わりがあることを何気なく忘れさせるような甘さを秘めているみたいであった。

その甘さを、友人と話し合いながら溶かしていると、馴染んでない声が飛んできた。


「あの、わたし伊藤百花(いとうももか)と申しますが、少しお時間よろしいでしょうか。」


そう言ってから、彼女は名刺を差し出してきた。名刺には彼女の名前と働いているところであろう所の名前が書いてあった。学校の近くであったのだが、彼女の顔は全く覚えになかった。少なくとも、うちの学校の関係者ではないだろう。少しウェーブのかかった黒髪と対比して白い肌色は、そのくっきりとした顔立ちをもっと印象強くした。橙色が少し混じっている黒い瞳は妙に人を引き寄せる力を持っているようであって、はじめての方の顔をあまりに長い間見てしまった。そのことに気づいた時はもう遅く、彼女からごく自然な疑問を投げかけられた。


「すみません。わたしの顔に何かついているのでしょうか。先から顔をずっと見られておる気がしますので、もし何かついているのであれば気になさらずに言ってください。」


「いいえ。そうではありません。ただ…」


「ただ…?」

わたしは必死にこの状況を誤魔化せるような口実を探し出そうと脳みそを活性化させていた。そして、ついに考え出したモノを口にした。


「わたしが知っている方と少し似ていましたので、その方のご親戚なのかなと思いました。それで我知らずにあまり長く見てしまいました。申し訳ありません。」


頭で軽くお辞儀をしてから、また口を開いた。


「お話のことであれば、わたしはかまいません。ただ同席の友人がおりますので、第三者に聞かれたくないとおっしゃるのであれば、すみませんがお断りさせていただきます。勿論、その場合は伊藤さんさえよろしければ後にこちらからお伺いします。」


わたしからの言葉を聞いた彼女は恰も思い込んでいるというような顔を浮かべていた。でも、その沈黙が破ったのは彼女ではなく、私の向こう側に座っていた友人であった。


「なんで、妙にわたしがいたらダメみたいな流れになっているのかな…?普通におかしいじゃないか。そもそも、士郎さ。お互い初対面だろう?そんな重たい話すると思う?わたしならノーだよ。初対面の人相手には話せて、同じく初対面の同席している人には話せないなんて話あるわけないだろ。」


ごもっとも。なぜ、私はそんな当たり前のことを忘却していたのだろう。全くおかしい。その瞳に気を取られたせいなのか。あれこれ必要のない考えをしていると、ついに彼女が言葉を返した。


「ごもっともです。別に人の前で話せないものでもありませんし、少しの間ですが、同席させていただきます。少々お待ちください。椅子を取りに行ってきますので。」


そう言い捨てた彼女は踵を返して、俺たちから離れていった。そしてなぜかわたしと友人の間で秘密めいた感じの会話がはじまった。


「お前、初対面の方にそこまで見とれてどうした?まさか、見た途端にその士郎先生がオチたのか?!」


「いやいや、ありえないだろう。わたしの人生に一目惚れなんて起こるはずない。ただ、その瞳は本当に奇妙だったからな…どこかに連れ去られていくみたいな心地だった。何故だろう。」


話し終えた途端に、後ろから誰かが近づいてくる足音が聞こえた。振り返ると、彼女が両手で椅子を掴んでいる状態で歩いてきていた。自分なりの配慮で、私は席から起きて自分の椅子を持ち上げて横の方に移して、そこに座った。一直線で持ち運んでくる方が多分それでも楽だろうという考えからであった。

彼女が席に着き、三人での話合いが始まった。これまた違う空間にいるみたいだ。


「このような話は唐突かもしれませんが、わたしの目には人の糸の色が見えます。」


その言葉を聞いて、私は友人に目を移した。友人も私を見つめ返していた。どうやら、同じことを思いついたらしい。例の噂だ。

最近、学校周辺のある店で人の糸の色を言っては、助言をしてくれているということで噂が立っていた。ある人にはこういうことに当分の間は注意するのがいいとも言っていたとか。どう考えてもその噂の主人公だとしか思えなかったのであるが、一応話の続きを聞いてみることにした。


「そうですか。似たような噂を最近よく聞きますが、それはご本人の話なのでしょうかね。その噂の人も他人の糸が見られると言われております。」


「はい、多分その噂の人はわたしのことで間違いなしだと思います。」


「そのような方が何故わたしたちに…?」

彼女は一度息を呑んでから口を開いた。


「お二方に話があるというより、わたしの斜め側に座っていらっしゃる方にだけ御用があるのです。」


斜め…私か?あ?わたしにだけ?わたしは友人を見つめた。彼の表情は何故か魂が抜けたみたいだった。


「それは…わたしのことを指しているのでしょうか。」


「はい。でも、用件だけ話すととても理解しがたい話になりかねないと思いますので、順を追って説明したいと思います。多分そこまで時間はかからないのだろうと思います。」


彼女はそう言ってから姿勢を正した。一体なにを話し出すのだろうか分からないが、それなりの覚悟が要るものなのかもしれない。


「まず、人の糸についてから語り始めないとですね。糸の話で群を抜いて、たくさんの方々に認識されているのは赤い糸のお話であろうと思います。そして、大体の場合はそういう話でないと糸なんてないものだと思われがちですが、実はそうではありません。糸はすべての人にあります。ただ、赤は愛情という感情の強さに相応しい色でもございますし、それでわたしのような糸見師(いとみし)たちの方々が少し昔に各地でそのような話を広めたのですが案外にそれがすごく…何と言いましょうか。定着したとでも言いましょうか。そのようになりまして赤い糸の話だけが非常に広まってしまいましたが、もともと糸というものは簡単に言えば当人の選択の属性を表します。」


「選択の属性…ですか。」


「え、士郎、お前それが何なのかわかっているのか?」


「いやいや、当然わからないに決まっているだろう、だから聞き返したじゃないか。」


「そのような言い方で聞き返すやつをわたしは初めてみたぞ。」


「あの…話、続けてもよろしいでしょうか。」


わたしたちは同時に「はい。」と答えた。


「選択の属性というのは主に選択自体の方向性と選択する際の本人の感情状態により決まります。つまり、糸を見て、わたしから把握できる情報はごく僅かです。ですが、二つの情報により何をしたのかが他より易く当てられる場合もなくはありません。なにしろ今まで見てきた分があるわけですから。それで、そのような時は注意をしてあげたり、助言をしたりするわけなのですが、なにも全てが当たっているわけではありません。先も言った通り、ごく僅かな情報しか分かりえないのですから。」

「そういうことでしたか…」


噂は事実ではあったらしいが、どうも彼女が運よく当てられたケースのみが騒いでいたのかもしれない。


「ですが、それ以上の詳細を知ることのできる人もまれに存在します。」


「え?そんなんできるの?預言者じゃん!」


「いいえ。預言者とは違うと思います。とにかく、そういう人たちをわたしたちからは糸巻き師と呼んでいます。わたしは今までは見たことがありませんので、又聞きでしか情報のもとがありませんがそれでも説明いたしますと、その類の人々は要するに糸の痕跡を追えます。」


「それって、糸の色って変わったりするわけ?」


「はい。選択の属性により変化します。無論、あまりにも日常茶飯事的なことには反応が鈍いのではありますが、それでもある程度の変化は起きます。そのような意味ではほぼ随時変化しているのかもしれませんね。」


「へえ…そうなってしまったら、色を見られたって大したことはないんじゃないの?どうせ、すぐ変わってしまうものだし。」


「まさにその通りです。ですので、わたしたち糸見師は糸巻き師と一緒になってこそその力を存分に使えます。なにしろ、両方はお互いに補完関係にありますから。」


「補完関係と言いますと、その巻き師にも何ら弱点があるということですか?」


「あ、すみません。それについて説明するのを忘れました。そうです。巻き師には、痕跡は見えますが、その痕跡を残している当人の糸の色は分かりません。あくまで、痕跡しか見えないのです。」


「そうなのか…じゃ、巻き師というやつは痕跡とやらが随時見えちゃうの?それ、決して良いものだとは思えないけどな。他人と全く違う風景を見るようになるということだろ?」


「いいえ。そのようなことは起こりません。これも又聞きではありますが、巻き師の能力は糸見師により触発されるものであって随時見えるのではありません。簡単に言えばわたしが一種のトリガーになるという感じです。」


いよいよ、彼女の話が終わりに近くなっている気がした。わたしもそろそろ席を立たなければならない。それは友人も同じであった。それで、ここはわたしから先に終わらせてもらおうということになった。わたしは何気なく口を開いた。


「それで、そのお話とわたしはどういう関係なのでしょうか。すみません。急かすようで。ですが、わたしと、この友人の一裕くんはそろそろ席を立たなければなりません。もう次の授業時間が迫っておりますから。」


彼女は少しはっと驚いた顔をしては、ぺこりと頭を下げた。


「すみません。わたしとしたら…もっと短く説明するべきでした。」


「いえいえ、伊藤さんは悪くないです。ただ、わたしたちの時間割がゆっくりとした話合いを楽しむことには向いてなかっただけです。」


「では、なぜこのような話をお二方にするはめになったかについて話します。それは、あなたがその巻き師の素質を持っているからです。」


「え?」


「これ以上話すには時間が足りないと思いますので、後日にこちらからお伺いしたいのですが…」


彼女はそういっては例の名刺をもう一枚取り出した。


「この名刺の裏側に名前と電話番号を書いていただけますでしょうか。」

わたしは、あまりに唐突な展開に狼狽えながらも名前と電話番号を名刺の裏側に書き入れた。この話をどういったものだと位置づけるための判断材料がまだ足りなかったためだ。もう少し、彼女に糸というものに絡む話を聞いてみないと、どこまでが本当の話か見当がつかなくなりそうであった。


「今日は貴重なお時間を頂きまして本当にありがとうございました。後日また、お伺いしますのでその時もよろしくお願いします。」


わたしと一裕は、彼女に軽くお辞儀をして講義室に向かった。階段を上っていく中で、しばらくの沈黙が続いた。その沈黙の時間がようやく終わったのは講義室に入ってからであった。


「あれ、全部本当なのかな。士郎、お前どう思う?」


「…今はなんとも言えないかな。もう一度会って話してみたら少しはわかってくるかもしれないけど。」


「連絡来たら、付き合う気なんだな。じゃ、約束してほしいことがある。」


「なに?」


「折角三者面談したんでしょ。この後のこともどうなったかちゃんと言ってくれよ。その妙なことにわたしをも入れてくれればなおヨシ!」”


「お前な…ま、いいけど。どうせ、私たち卒業まで二年も残っているんだ。いきなり現れた人に二年間も振り回されるとかはありえないでしょ。」


「…それ、あれじゃないか?アニメとかで一番言ったらダメなやつ。」


「あ。」


一瞬頭の中が真っ暗になった。でもアニメの中の話だし、現実で起こるはずないと思い、機嫌を取り直して授業に集中した。

授業を終えて、一裕と別れた。家への帰り道で例の話について考えていると、スマホが鳴り出した。スマホを確認する前に、わたしは例の名刺を取り出した。そこに書かれてある番号を見て、スマホの画面を確認した。同じだった。その人だ。


「恐れ入ります。お昼にお世話になりました、伊藤と申しますが…士郎さんでお間違いないでしょうか」


「はい。間違いありません。本人です。」


「明日のご予定は?」


「授業はありますが、3時限の授業が最後のですのでその以降は大丈夫です。15時30分に今日お会いした場所で会いましょうか。」


「はい。わかりました。では、また明日。失礼いたしました。」


そして、短い会話が終わった。どうしてもソワソワする気持ちが続いている。彼女に会ってからそうだ。なにかが起こりそうな気がずっとしている。訳のわからない不安に晒されながら歩いていると、家を過ぎて行ってしまっていた。らしくないと思いながら、来た道を戻っていった。家に着いて、ドアのノブを回して中に入った。玄関で靴を脱いでから、まずは自分の部屋に向かった。部屋に入った途端、ベッドに突っ伏してしまった。考えてみればそんなに沢山のことが起こったわけでもないのに、何故だろう。なにか凄いものが押しかかってきているかのような気持ちから離れられなかった。無知から来る不安だろうか。様々な考えが頭の中を過った。紛らわしい。


「糸に纏わる人か…不思議だな。何かの宗教みたいでもあるし…」


ただ、もっとも気になるのはわたしが糸巻き師というものであると言われた点だった。無論、彼女の話だと私はたとえその種の能力を持っていたとしても全く気付けなかったはずではあった。だが…


(だとしたら、彼女は何を以て私を糸巻き師だと判断したんだ…?)


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