第4話 生きるということ 1
生きるということ。
イコール働くということである。
私は人付合いがあまり得意ではない。
無防備に人の言葉を聞いてしまい、喜んだり
不快になったり傷つけられたり、言の葉の夏風木枯らしに吹きつけられて、年中調子を崩してしまう。
仕事をすることそのものは好きである。
しかし。常に心穏やかに人間関係を常に円滑にしていくのが苦手である。
中にはブルドーザーのような不快な騒音と存在感を撒き散らす人であっても、人に受けいれられ、
私などより余程上手に世を渡り働き、生きている。
ある意味羨ましいことである。
自分の得にならないものに対するスルースキルが
どうしても体得出来ず、孫を持つ歳になっても、
感情派であり、人との摩擦をおこしやすい。
摩擦を避けるため、出来得る限り人とコミュニケーションを絶っていたら、コミュ障気味になってしまった。誰しもあることかも知れないが、自分を
受けいれてくれる人との会話を好むため、
友人はかなり限定される。
交友してくれる人のいることの有り難さ。
心置きない言葉で話し、一緒においしいものを
食べ、帰路の駅までをともに歩く。
かけがえのない時間である。
もちろん夫に娘に孫と過ごす時間も宝である。
宝である家族と多くはないが友人達の存在のおかげで、なんとか私は働き生きることができる。
働くということにつきものである人間関係が繰り返し苦痛になる。
どうにも苦痛が乗り越えられず転職をすることも度々あった。いつも深刻に悩む。
今も悩んでいる。
私は何故か自己顕示が強い人に目の敵にされやすく、私以外の人には言わないでいるであろうようなイヤな事を言って来られたり、意地悪をしてきたり
されてしまう。相容れない考えの違いから、
話し合いは無効である。
気にしないにしても限度があり、不快なことが
度重なると仕事へのモチベーションも下がり、
回復しなくなってくる。
うまく立ち回りたい。働くため生きるために。
人関係に煮詰まったり、仕事の激務さに嫌気がさしたりしているのを我慢するうち、朝起きるのが非常に辛い日がある。
身支度をしていつもの電車に乗るためのギリギリのリミットまでこのまま起きないかどうするか、愚図愚図悩む。悩んだ末に出勤する。
体調不良のときも同じで休むかどうか非常に悩み、愚図愚図するがこちらは比較的早く決断する。
コロナ後の風潮から不調時は無理をしない。
重い全身疲労と風邪症状や頭痛がある時は休む。
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