第5話 撥水加工の男
毎年、お城跡の公園へ桜を見に行くことにしている。
ありがたいことに、今年も家族で見に行くことができた。が、あいにくその日は朝に雪が舞うほどの寒さで、風も強い日であった。私たちは、上着の下に温かいものを着込み、出掛けた。
まだ空いている駐車場に車を止め、風がびゅうびゅう吹く中、坂道を上る。朝九時過ぎであったが、すれ違う人も多く、人々が手にする物から、屋台も既に開いていていることが知れた。
坂道を登り切ると、八分咲きの桜の道が待っている。が、指先は凍え、冬のように寒い。我々はいつもの場所で何枚か写真を撮り、近くの神社へ向かう道すがら、桜を観賞する。風は強いが、まだ満開になってはいないのだろう、舞っている花びらは少なかった。
我が子、Nは、H氏と私の露払いが如く、離れて先を進んでいく。我々は、子どもに置いて行かれる年齢になったわけだ。大人しく、その背中を見守るしかない。
しかし、Nは、幾つになっても可愛い我が子に変わりはない。
途中出会った大きな白い犬に目を輝かせる様子を見ると、身長はとうに親を超し、180㎝に迫るというのに、小さな子どものようで本当に可愛い。
H氏と私は、その犬に付いて行きそうな勢いのNを追って、神社へ辿りつき、お参りをさせていただく。もう一か所の桜の名所へ向かう道の途中で、さらにお散歩しているビーグル犬に目を奪われるNに癒やされる。
そうして、今年のお花見は幕を閉じた。
さて、ここで本日のH氏だが、とにかく機嫌がいいのか、行きの車中から帰りの道中でもずーっと、本一冊分くらいの分量を、一人で話している。独り言も、プロの域である。私は運転をしながら呪文のようなよく聞えないH氏の話を受け流し、寒かったのでNは無言で震えている。
混み合う時間を避けるため、起きてから朝食も食べずにやってきた我々はお腹が空いており、何かテイクアウトをしたいとNが言う。そこで、H氏に、検索して欲しい旨を言う。運転しながらの検索は無理である。すると、こう返事が来た。
「うーん、Hちゃん、今はいいかな」
H氏はいいんだね、分かったよ。たまには、自分以外の人の状態を見たり考えたりして欲しいな。
私は、何年も前のことを思い出す。Nのノロウイルスがうつり、何も食べられないまま過ごした三日目に、私は、新幹線でH氏の実家に連れて行かれたのだった。Nは落ち着きのない子どもだったし、準備する荷物も多く、あの時は辛かったな。義母の作ってくれたおかゆは美味しかった……。
自分の話に夢中なH氏。
「Hちゃん、そろそろ苗が欲しいなぁ」
なるほど。いいことだ。私は、先日見つけたお花屋さんを思い出した。思いの外色々な苗があり、なんとカフェも併設されていたはずだ。そこなら、寒がるNに温かいものをテイクアウトできる。
「それなら、この前見つけたお花屋さんがあるから、行ってみない?」
「えーっ、これから?」
H氏、まず帰宅して食事を済ませたいようだ。
「でも、帰ってからご飯支度をしたら、時間が掛かるし、そのお花屋さん、カフェもあったとおもうよ。新しくできたところなの」
H氏は、「新しい」ものに弱い。だが、それはお古には興味がないということと同義である。お古は、日常に溢れている。さながら、私とNも馴染みのお古である。
さて、お花屋さんを偵察し、何も買わなかったH氏。我々は、カフェへ向かい、思い思いの温かい飲み物を注文する。H氏は、新しいカフェで好きなお飲み物を注文し、ご機嫌であった。Nも、温かいココアを受け取り、ほっとした様子。
車へ戻り、我が家へ向けて出発。しばらく、H氏のお飲み物感想を再び受け流し状態で聞きながら、バックミラーを確認すると、Nは、飲み物に手を付けていない様子である。私は、温まるので飲むよう、運転しながらうながす。
「飲むと温まるから、飲みなさい」
「持ってるだけであったかいからいい」
Nは、猫舌である。
「大丈夫だよ。ゆっくり飲みなさい」
「こぼすから、いやだ」
「えっ?ちゃんとこぼれないようになってるから大丈夫」
テイクアウト用にちゃんと蓋は付いている。蓋に小さな飲み口がついているタイプである。
「パパ、こぼしたもん」
「えっ?」
H氏の言い訳アンテナが、しゅっと伸びる。
「さっき、信号で急に止まったとき」
でた。何でも私のせいにするH氏の癖である。
私は、急に止まらなかった。ブレーキは踏むものではなく抜くものだと自動車学校で教わったことを今でも守る派だ。(たまに、ごくたまに急ブレーキを踏むことはある)それに、飲み物にはしっかりと蓋が付いている。なぜ。
「どこにこぼれたの?」
再び信号停車の時に、私は後ろを振り返る。
H氏、ティッシュで何かふきふきしている様子。
「車?……上着?」
観察しながら尋ねる私。
常に開き直っているH氏。
「そりゃもちろん服でしょ」
当たり前のことを聞くな、というお怒り顔である。
H氏の本日の装いは、クリーニングから帰って来たばかりの、上着とカーディガン、シャツである。こぼしたのは、カフェラテだ。
がっかりである。仕方あるまい。
Nは、温かいココアに手も付けず帰宅した。
さて、美味しくカフェラテをいただき、帰宅後は上着を脱ぎ、朝ご飯の食卓に着くH氏。私は、見慣れた彼のメタボなお腹に目が行く。なぜなら、そこにも染みが付いているからだ。追及。
「ね、そこにも染みがついているけど」
「え、どこ?」
「右のポケットの近く」
「ふん」(H氏の鼻息)
「コーヒー?」
「そんなわけないでしょ」(怒)
じゃ、なに?
それは、クリーニング店で申告しなければならない重要な問いだが、それ以上の追及はよくない。サウナ石警報が私の頭に発令された。
H氏のクリーニングは、いつも染み抜き指定である。そこでふと、染み抜き料金が普通クリーニングの料金とあまり変わらないことに私は気づく。染み抜き料金、高い。私は思わず、頭に思い浮かんだことを呟いた。
「Hちゃんのは、これから撥水加工にしてもらおうかな」
ニットも撥水加工はできるのだろうか?それが一番いいような気がしてきた。
いつも一番に食べ終わるH氏。とっくに食卓を離れ、ソファの上で言う。
「絵の具で塗ればいいんじゃない?」
いいわけなかろう。
「白で」
H氏に、白は着せないようにしているのにね。何も分かっていないH氏である。
その後、H氏は、趣味の燻製作りのため、お買い物へと掛けた。
私は、二階へ上がり、H氏のクローゼットを開けた。桜が終わると、そろそろ衣替えのシーズンである。H氏の春物はどうなっていたかな……そして、H氏の春夏用おズボンを確認する。
あーあ。見事なまでの大きな染みを発見。何の染みだろう……。私は、去年、なぜこの染みに気づかなかったのだろうか。H氏のよそ行きは、染みによってことごとく普段着へと転落の一途と辿る。
撥水加工かな、やっぱり、と考えるこの頃である。
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