第九話 決死戦


 次第に鈍くなっていく体で何とか怪物の動きを回避し続けるも、限界が近づいていることは明白だった。言っちゃ悪いが、こっちは足手まとい二人がいる中での回避だ、逆によくここまで持ったものだ。

 クソ。せめて命里だけでももう少し動いてくれれば……

 内心、悪態を吐きながらも、走り続ける。虚ろな表情の命里を見て、三年前の彼女の姿を思い出す。

 両親を目の前で失った彼女は、あの時もそんな表情でひたすら悔いていた。きっと、何度も何度も自身を呪ったのだろう、似た気持ちなら俺にもあるから分かる。あれは最悪だ。

 無力感が心を汚染する。総てが無意味に、白色に見える。もう、どうなってもいいと感じるあの感覚、最悪だ。

 きっと彼女は今、そんな感覚なのだろう。引いている手に力を感じない、今の彼女は自身が死んでも何も思わないだろう。

 命里の虚ろな表情を見て、そんな風に思った。そして、その一瞬、意識を他ごとに移してしまった瞬間だった。

 怪物の動きが異様に速く、逸らした意識ではギリギリ反応が追い付かない速度で襲って来た。

 「ッ――!」

 驚愕の表情を浮かべるも、すぐに思考が切り替わる。命に危機に反応して、思考が生存以外の不要な思考を一時排除して、逃げに徹そうとする。


 その瞬間、俺は――命里の手を離し、美波ちゃんをその場に下ろした。


 逆刃大叢真は、自身の生存にために彼女たちを見捨てようとしたのだ。

 な、何やって――

 自分でも意図していない行動。生存するために本能が取った手は、生存にとっては最良だが、精神にとっては最悪な選択だった。

 自身の行動の自己中さに絶望する。視界が真っ暗に暗転し、後悔で心が汚染される。

 しかし、迫り来る怪物はそんなことはお構いなしに襲って来る。矛盾を孕んだ俺とは違い、純粋に捕食の為だけに活動しているにとって、今の状況はチャンスでしかないのだから。

 クソッ――動けぇッ!

 攻撃を回避した体を無理やり前に進める。しかし、いくら本能に抗えても、肉体が追い付かない。怪物は既に、二人を絶死させるだけの距離を取っている、現在の俺の速度ではどうしようもない。

 一瞬、意識が弱くなったのが全ての原因だ。もう駄目か――

 ――いや! 諦めるかッ!

 もう一度、心を強く鼓舞する。今この瞬間だけは、絶望も後悔も全て忘れろ――いまはただ、生かすために、生きるために全力を尽くす。

 「追加レイズ――レッグⅢ決定サード・オン

 言葉と共に強く地面を踏みつける。地を砕く勢いで踏みつけた脚はミシミシと筋繊維を千切りながら、普通では考えられない速度を無理やり引き出して見せた。一時、不可能を越えて見せた。

 異速いそくを維持したまま、俺は二人にぶつかりに行った。

 二人にぶつかる衝撃と共に、背中に灼熱の痛みが走るのを感じた。背後に目線を向けると、鋭い爪を持った怪物が前足を振り下ろしているのが見えた、おそらく背中を爪が裂いたのだろう。背中に感じる灼熱感は肉を裂かれた痛み、あまり深くはなさそうだが、激痛なのは変わらない。

 俺はぶつかると同時に抱えた二人と共に地面に転がった。

 「っ――、ふ、二人とも、大丈夫か」

 体を起こしてそう二人に聞くが、この期に及んでも二人の動きはない。異常事態に心が動かない、という感じなのだろう。正直、言ってもう限界だ。

 二人の様子を見て俺はある決意を決める。

 ふぅ――――仕方ない。やるぞ、逆刃大叢真!

 心を奮い立たせる。恐怖に負けないように、それでいて冷静でいられるように、心を強く叩き上げる。

 「二人とも、聞いてくれ」

 「「――――」」

 声はない。それでも俺は話を続ける。

 「もう、二人を連れて逃げるのは限界だ。ここからは二人で避難所まで逃げてくれ」

 「…………叢真お兄ちゃん、は?」

 放心状態の美波ちゃんが少しの間の後、そう質問した。

 「俺は――残っての相手をする」

 「「!」」

 その言葉を聞いて無気力状態の命里も思わず反応した。二人とも酷く驚愕している表情だ、なに、俺自身もこんな選択をした自身の馬鹿さに驚いている。

 でも――やるしかない。

 には、こうするしかない。最も二人が助かる方法はこれしかないのだから。

 「なにを、言って……そんなことしたら、死んじゃう」

 蚊の鳴くような小さな声でそう言う命里は、震える手で俺の袖を掴んだ。美波ちゃんも不安そうな表情でこっちを見つめていた。

 「仕方ないだろ……本当だったら逃げたいけど、二人は真面に動かないだろう?」

 「「――――」」

 俺の言葉に押し黙る。些か意地の悪い言い方なのは自覚する。でも、そうでも言わなければ彼女たちは動かないだろう、責任感や罪悪感で後押ししなければ、今の彼女達は動けない。

 そうこうしている内に怪物がこっちに強い敵意を向け始め、今にでも攻撃が再会しそうな雰囲気を漂わせている。これ以上、彼女達に使える時間はない。俺は袖を掴む命里の手を除けて立ち上がり、そっと摺り足で右方向へ向かって歩き出す。

 「レッグ限定解除リミテッド・オフ

 呼吸を整え、足のみ繰り上げを解除する。すると、ギシギシとした痛みが両脚に走り、一気に疲労感が押し押せた。もう限界ギリギリ、立っているのでも辛い。

 言っても――止まるわけにはいかないんだけどな。

 既に覚悟を決めている俺は、泣き言を叩き斬り眼前の怪物に目線を向けた。

 「叢真君……」

 「――――」

 強い意思の中、俺を呼ぶ声が聞こえて、そちらに目線を向けてしまった。視線を向けた先、先程言った筈なのに二人がまだそこに鎮座していた。

 目線を逸らしてしまったその瞬間――怪物が目にも止まらぬ速さで突進してきた。

 「クッ――!」

 突進を右へ飛んで辛うじて回避するも、バランスが崩れて地面に片膝を着き、滑るように右側へ流れた。そして、地面を滑る中、大きく声を上げた。

 「死にたくなかったら早く行けッ! 邪魔だ!!」

 「「ッ――」」

 声を荒げて本心からの怒りを込めたその言葉に、二人はビクリを怯えたような体を震わせ、やっとのこと、その場から立ち上がり避難所の方向へ走り出した。

 そして、その時、命里が――

 「死なないで、叢真君」

 泣きそうな表情でそう言った。

 「…………わかってる」

 俺は少しの沈黙の後、その言葉を了承した。二人が道の先へ消えていく中、怪物の目線が彼女達へ向いたところに、地面に膝を着けた時に拾った石を、強化されている腕力で全力で投げる。

 石は怪物の頭部にぶつかり、その視線を彼女達から俺に変更させた。

 「ふぅ――お前の相手はこっちだ」

 「ヴァァアアア!!!」

 怪物の怒りを表したような咆哮、思わず身ぶるしてしまう。しかし、咆哮程度で怯えていては何もできない、心の芯を固めて同じぬ心を構築する。

 心を整え、眼前の怪物に強い視線をぶつける。その瞬間、怪物はこちら目掛けて再び突進を開始した。

 「これでも喰らえッ!」

 突進した瞬間を見計らい、俺は手に持った石を再び怪物の頭部へぶつける。突進開始時はそう簡単に進路変更はできない、よって本人のダッシュ力+石の威力、かなりの威力を誇る石に怪物は思わず静止した。

 そして、同時に俺は体勢を低くした状態で、右側に小走りに怪物を中心に円を作るように回った。その時、低くした体勢で石を拾い投擲武器を補給する。

 まずは時間稼ぎ……

 とりあえず、勝てずとも時間の稼げるこの方法で、二人をこの怪物が追えないほどの距離まで時間を稼ぐ。

 「来いよ、木偶の坊!」

 「ヴァアア……ヴァァァアアアアア!!!」

 言葉が通じるのかは知らないが、挑発するように言った俺の言葉に反応して咆哮を上げた。俺はゆっくりと冷静に怪物を観察した。一挙手一投足を見逃さないように、深く、深く、集中した。

 突進を開始する怪物に再び石を投げる。

 甘い、同じことの繰り返しか。

 投げた石は再び怪物の頭部に直撃した――筈だった。

 「なッ!」

 驚愕の表情を浮かべた。なんと奴は石が頭部に直撃する瞬間、横へ飛び回避してみせたのだ。

 偶然? ……いや、違う。これは――慣れたのか?

 よく観察すると、怪物の動きは最初のものから大きく変化していることが分かる。最初はただ単純に真っ直ぐに突進するだけだった。そう、何も考えずただ純粋な突進だった。しかし、俺の意識が逸れた瞬間に突進を放ったり、こちらを警戒する素振りを見せている。

 つまり、コイツは――瞬間的に順応している。

 相当の知性がなければできぬ芸当、数度の繰り返しで自身の余分を削ぎ落とし、最善に改良している。通常の生物ではありえない成長の速さ、異常だ。

 クッ……もう、これは使えないか。

 俺は手に持った石を地面に捨てた。学習する知能があり、それを体現できる身体能力がある以上、もうこの石は何の意味もなさい。よくて牽制に使えるか、だが、そんなことしても、すぐに殺されて終わりだ。

 絶望が心を汚染しようとする。だが、固めた心はその程度では完全に汚染されない。

 「気張れ、俺――諦めるな」

 自身に言い聞かせるようにそう言った。そして目の前の怪物に目線を向け続けた。

 一か八か……やれることをやってやる。

 既に頭に入れてある周囲の状況から賭けギャンブルを仕掛けることにした。まず初めに、俺は隙を晒すように気を緩くする。

 怪物はその瞬間、的確に俺の警戒が薄れたことを見抜き、こちらへ突進してくる。俺はそのまま、バックステップで後方に下がる。もちろん、この程度速度で逃げ切れる筈がない、すぐに距離を詰められる。

 鋭い爪が俺の上半身を裂かんとやってくる。だが、俺は振り上げた前足の間を間一髪で潜り抜け、怪物の後方へ逃げ去り、再びバックステップで建物の周辺へ逃げる。

 しかし、上手く逃げたつもりが崩壊した建物を背に怪物と相対してしまった。つまり――逃げ場を完全に失ったのだ。

 背には崩れた建物、眼前には人喰の怪物。絶対絶命のピンチ、というやつだ。

 怪物にもこの状況が理解できたのか、その相貌は虚栄心の満たされたような残忍的な表情をしている気がした。怪物の癖に妙に人間のようだと感じた。

 「クソ……万事休すか」

 悔いるようにそう言葉を漏らす俺に対し、ゆっくりと距離を詰める怪物。俺は恐怖のあまり、情けなく声を上げた。

 「やめろッ! 来るな! 来るなッ!!」

 「ヴァア」

 その様子を嘲笑うように小さく唸り声を上げる、刻一刻と距離が縮まっていく。〝死の足音〟が近づいて来る感覚、まったく良いものではない。

 すると、ある距離になると怪物が動きを止めた。それは、怪物にとっての最善距離ベストポジションなのだろう、一撃で血肉を抉り、確実な死をもたらす事のできるポイント。最悪の距離だ。

 四本足で強く地面を踏みしめ、力を溜める。怪物にとっての最大最高の一撃。次の瞬間――怪物は地面を強く蹴った。

 そして、同時に俺が小さく声を上げた。


 「良かったよ。本当に……怪物お前が、バカでな」


 その言葉を上げると同時、怪物は満たされていた虚栄心が一気に消え失せる。俺は怪物が踏み出すしかないその瞬間に、右前に軽く飛んだのだ。

 すると、怪物の攻撃は見事に俺に当たらず、俺が背後に隠していた建物の崩壊で出来た一本の鉄の棒に突進し、胸に深々と突き刺さった。回避はできなかった、なぜなら、その距離は最大最高にして、なのだから。

 鉄の棒が胸に突き刺さった怪物は、貼り付けにされたように崩れた建物に貼り付けになった。そして、俺はその右わきからそっと背後に回った。

 「追加レイズ――腕力フォースⅢ決定サード・オン

 その言葉と同時、俺は怪物の首を腕で締め付けた。

 「ヴァ、ヴァアアアアアッ!!」

 暴れる怪物の背中にしがみつき、強化された腕力で強く締め付ける。怪物はその肉体構造上、背中に足が届かないため、こんな風に首を絞めれば、そう簡単には振り解けない。

 通常であれば、背中についているなら建物にでも自身ごとぶつければ簡単に剥がせるのだが、今は鉄の棒で貫かれ貼り付け状態になっている。だから、暴れる程度では振り解けはしない。

 ギュッギュッと腕の力をさらに高めていく。確実にこの場で殺しきらなければいけないと判断したのだ。

 両腕が軋むがそれでも締める腕の力は弱めない。通常、人間の場合はしっかりと頸動脈を締められているなら、十秒~三十秒程度で失神する、完全死亡には一分ほど必要らしい。

 強化された俺の腕力であれば、この怪物にもそれほどの時間で活動停止に追い込める筈だ。

 だから――気合で締めるッ。

 既に三十秒ほどの時間が経過した。怪物の動きは明らかに悪くなっているが、それでもまだ死亡はしていないし、このまま離せばすぐに復活するだろう。ここは完全に殺し切る必要がある。

 力を、入れろッ!!

 既に限界な体に鞭を打って気合で力を捻出する。


 四十秒経過――活動の著しい低下。

 四十五秒経過――抵抗する動きに力がない。

 五十秒経過――動きが停止する。

 五十五秒経過――僅かに動いていた動きが完全に停止する。

 一分経過――生命活動停止、生命体としては完全死亡。


 怪物の体が糸の切れた人形のように力なく崩れる。その瞬間、感覚的に怪物の死を理解できた俺は、両腕を首から離し、そのまま地面に大の字で寝転がる。

 「ハアハア、ハアハア、ハアハア……」

 過呼吸になりながらも、段々と呼吸を整えていく。周囲の燃える街を遠い目で見つめながら、今を生き残ったことに安堵する。

 あの二人……無事についたかな?

 心に余裕ができたからか、逃がした二人のことを思い出した。そっと体を起こし、死亡した怪物に軽く目を向けた後、燃える街に再び目を向けた。そして――最悪を目撃することになる。

 「なっ……嘘、だろ?」

 目にした光景に驚愕する、それほどまでにだった。


 俺が目を向けた先には――あんなに苦労して倒した怪物が、無数に街に広がっていた。


 目の前の光景はより現実離れした、非現実的なモノだった。

 数十匹もの怪物がこっちらへ向かって来ているのが見えた。あまりの光景に言葉ができない、俺はただ騒然と、絶望を抱いてその光景を眺めていた。

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