九章 家とドラゴン
第69話
声が渡る。
声が響く。
朗々としたそれは、まるで自然現象だった。
ただ在るだけで他を圧倒する上位の存在。そもそも倒されることを想定されていない、神話の中の物語――
それが、話しかけていた。
家に向けてじゃなかった。
ほとんど独り言のような、零すように発した声だった。
いま家がいるのは集中治療のための場所。かなり安全な地点のはずだった。
たいていの危険は跳ね除けられる、それこそあの魔女も声しか届けられなかった。
それなのに、大丈夫だなんて思えなかった。
その意に叩きつけられた、ひれ伏さなきゃいけないと思えた。嵐が来たら身をかがめて少しでも安全な場所に行くみたいに、この声が聞こえたら、そうしなきゃいけない――
『たしかに宝だ、だが、これは手に入らぬ宝だ。
束の間に現れた極幻だ。触れれば壊れる類のものだ。
なるほど、しかし、これを見れただけでも、起きた甲斐はあったというものだ』
何も言えない。
指の一本も動かせない。
怖い、ただただ、怖い。
だって、いま向けられてる感情は、敵意ですらない。
ただの感嘆であり、興味だ。
マイナスじゃなく、プラスの感情を示されてる。
なのに「絶対に勝てない」と確信した。
アリの巣を覗き込まれたアリは、きっとこういう気分だ。
その気になれば、相手は巣ごと破壊できる。
「宝――やべえ……」
家主が青ざめた顔で言った。
銃を手にした子が、どうしたのかとこちらを覗き込んでいた。
同じ蒼白の顔を見ると、他の人にも聞こえているらしい。
見れば、まだ残っていた観客たちも、一斉に身体を縮こまらせて、周囲を伺った。
恐慌状態や戸惑いすらも、静々と行う。
きっと全員がアリの気分を味わった。
誰に言われなくても「下手に動いてはならない」って確信をしていた。
ここで騒いで注目を引くのは、馬鹿を一周回って英雄だ。
『ヴィガーラの奴めがいればと惜しくはある、だが、約定だ。この宝を越えることを期待する――』
口が閉じられた。
呼吸音が聞こえなくなる。
だけどそれは――
「全員、警戒! やべえぞ、ここが、ドラゴンに狙われたッ!!」
戦闘開始の合図だった。
◇ ◇ ◇
ドラゴンが畏れられているのは、それが『魂を焼くもの』だからだ。
永久不滅の、死した後でも残り、次へと向かうものを損なうことができる。
それは、本当の意味での「敗北」だ。
どんな勇者でも怖気づく、次のない滅びを与えるからこそ、ドラゴンは怖いものである――家はそう思ってた。
とんでもなかった、あんなの、絶対に勝てっこない。
根本から実力が違いすぎる。
けど、その尖兵が、浮かび上がるように現れた。
いつの間にか、それは近くいた。
床に手足をつけた這いつくばった格好。顔や身体は金属製か、もっと未知の素材で覆われて、肌が一切見えなかった。
全体としては細身の人型。要所要所をプロテクターで補ってるけど軽装、武器すら手にしていない。
「ふっ!」
動き出すより先に、家主の蹴りがそれを吹き飛ばした。
地面から引っこ抜くような一撃、だけど、ダメージは与えられてない、敵はしっかり両腕でガードしていた。
「硬ってえ、なんだコイツ……」
それは吹き飛ばされながらも宙で回転し、姿勢を整え、着地と同時に突進した。
再びの激突、拳と拳は互角に停止する。
「くっ」
「――」
蹴りが、肘が、幾度もぶつかり廊下に響く。
互角の勝負ではあるけど、敵は装甲が厚い、有効打撃を与えられていない。
「こんの――」
敵のストレートを避けながら、軽い魔法で反撃。
ダメージを与えるためじゃなかった、敵の意識をそらすための行動だった。
「――やろうッ!」
敵に組み付き、両足を刈るようにしながら、倒した。
同時に伏せた敵の背に乗って腕を逆にねじり、家主は叫んだ。
「家!」
――な、なに?!
「どんだけの数が入り込んでる!」
聞きながら家主は敵の腕骨を折った。
気付き急いで探査した。
目の前のヘンテコ金属と同じ存在が、すでに多数出現していた。
――二十、いや、三十!? 関係ない人間の数が多すぎて、ちゃんとはわからない!
場所は無関係にランダム、人が多い中央地点にそこまでいないのは幸い。
だけど、とにかく数が多い、周囲の人間を無秩序に襲おうとしている。
「それは――はあ?!」
途中で驚いた声を上げたのは、敵が折ったはずの腕で家主を振りほどいたからだった。
技じゃなくて力任せに距離を取った。
家主は呆然と押し出される。
敵はやれやれというように立ち上がり、腕を回していた。
その様子からは、さっきの損傷は窺えない。
家主は厳しい顔でそれを睨む。
「硬い、回復力あり、強さはそれなり、だが、数が多い――奇襲だけじゃねえな、持久戦を仕掛けられていやがる。攻撃というよりも、攫うための行動か?」
それなりだけど、足止めになるくらいの強さはある。
今、他を助けに行けない。
ある程度は戦える人もいるだろうから、まだなんとかなるだろうけど。いつ被害が出てもおかしくない。
「まったく、厳しいことに――」
言い終えるより先に、銃声がした。
肩にかけていたそれを連射していた。
敵の装甲の厚さは、それを気にした様子もない。
「この付近に現在いるのは治療中か、あるいは願いを叶え終えた人ばかり、そして、銃弾は効かない――クソッタレがああッ!!!」
シスター服に銃を抱えた人が、銃撃を止め頭をガリガリと掻いて叫んだ。
ダンダンと足を踏み鳴らしたかと思うと、祈るような格好で天を仰いだ。
敵の前で無防備な姿を晒しながら、叫ぶ。
「銃よ、銃よ、申し訳ございません。ですが、今ここを失うわけにはいきません、望みは必ず次へと託します、ですから、どうか、どうかご寛恕のほどを……!」
「おい……?」
――えっと……?
家と家主が戸惑う中、その銃の子は言った。
「願う! 今から一時間、この家をドラゴンおよびその眷属から守る要塞とすることを!」
心からそう叫んだ。
それは、永続的な願いじゃなかった。
短期的で、倒す対象を明確にして、この家を舞台にした、防衛戦だった。
この状況で、値千金の「願い」だった。
自身の願いを蹴った上でも、それを選んだ。
――了解、記憶燃焼機構(シュパイヒア・ブレーネ・ズシティム)、起動!
ためらわず家はそう叫び返した。
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