第8話

アイドルとなってからの日々はただ忙しく、また、様々な陥穽が待ち受けていた。一歩間違えれば破滅に一直線だ。

味方が必要だった。


そういう意味では、まだ願いを使わずにいたことはあたしにとっての御守りだった。

いざとなれば、どうにか助けてくれる味方と手段がある。一回限りではあるけど、その保証がある。

それがどれだけ心の余裕に繋がったかわからない。


へんな言い方だけど、宗教を信じてる人ってこういう気持ちなんだろうなと思う。

自分は守られているという確信は、人を強くする。

まあ、ヤクザとかマフィアがバックに居る場合でも、この場合は似たようなものかもだけど。


ただ、それでもまだ足りなかった。

細々とした事柄、契約交渉や事前連絡やトラブル回避のためのやり取りから守ってくれる人が必要だった。あたしはそれがとんでもなく苦手だ。集中できることにだけ集中したい。


だから、風天譜ことフウさんに個人マネージャーをしてくれるよう頼み込んだ。

超絶拒否された。

それやるなら身投げするくらいの勢いだった。


「わたし、わたし、そういうの、だめ……!」


それでも、あたしも必死だった。決死の覚悟で頼んだ。

信頼できる人が必要なんだ、あなたしかいないんだ、他の人なんていらないフウだけだ。

そう寝ても覚めてもベッドの中でも説得した。


結果として頼みを聞いてくれたけど、なぜかヒモか詐欺師みたいな目で見られた。

けど愛しているから問題ない、たぶん。


二つの安心を手に入れて、あたしはやるべきことに集中できるようになった。

徐々に安定もした。

そうなると、御守りの価値が、ちょっと変わった。

ここまで有名になれば、そうそう排除されることもない。


願いを、変えてもいいんじゃないか?

たとえば――あの子を、アイドルにするために使う、とか。



 ◇ ◇ ◇



その思いつきは、まあ、やってもいいかなくらいのものだった。

だけど、思った瞬間に何もかもを変えた。

心のどこかに火を付けた。


仮に本気でやるとしたら、もちろん継続的なアイドル活動は無理だ。

あたしだけの記憶を消費して、そんなに長くは続かない。

たった一晩、あの寮を舞台にして、公演をすることになる。


一体それが、どんなものになるのか――

想像だけでも、震えた。

一撃で地形を変えるほどの攻撃力、それが「アイドル」に変換される。それだけの破壊力が観衆の心を直撃する。そしてそれは威力としては最低限だ、より強い火力が一晩に渡って振り撒かれ続ける、それだけの「アイドル」が脳に焼き付けられる。心は焼け野原どころかマグマが見えるレベルでえぐれる。


経験不足も練習不足も問題にならない、膨大な魔力が底上げし、すべてを解決する。いや、たとえ失敗して転倒したとしても、観客は断末魔に似た絶叫を上げて心配する、そういうステージだ。

そして、その隣にはあたしもいる――


ぶるっ、と身震いした。

無理だ、無謀だ、できるわけない。

そう思う、思うけど、同時にやりたいと思う、心底願う。


「アイドル」としてのあの子の横に、あたしも立つのだ。

きっと人間では到達できないほどの究極の横に、人間の代表としてアイドルをする。


まともに考えればメインに添えられたパセリでも立派なくらいなのに、比較しても負けないものになろうとしている。


それに、どうすればなれるかわからない。

どうすれば到達できるか、その道筋も不明。


ただ、諦めるという選択肢だけは思い浮かばない。

本当にカケラも思えなかった。


あたしに与えられた「願い」は、そのためのチケットなのだから。

たとえ、それが破滅への直通路だとしても……


「――」


ベッド横にある鏡を見る。酷い顔をしていた。

オーディションのときに見た、飢えて欲してギラギラとした熱、あれをもっと煮詰めて酷くした表情。「こんなものはアイドルではない」と心底思った顔。それが、消えること無く張り付いていた。きっともう取れそうにない。


「どう、したの……?」


心配そうに添えたフウさんの手を握り、胸元に抱える。

ブルブルとした震えは収まらない。


「あたし――」


神様に懺悔するように言う。

今更の、けれど罪深いことば。


「アイドルになる」


あなたの好きなあの子を超えるほどの。



 ◇ ◇ ◇



そうだ、そうだった。

控室の暗がりの中で、ゆっくりと身体を起こす。

眼球は昏い天井を捉える。

きっとアイドルではない目で睨んでいる。


使える全てを使い、あらゆる手段を行使し、自分自身を高め、究極を超える。

そう心底から決意していたというのに、なんだ、さっきの公演は。


形だけを完璧になぞる?

上手くおじょうずに歌い切る?

ミスのないように注意を払って動く?


そんなものか、あたしの中の「アイドル」は。

それで超えれる程度のものなのか。


違うはずだ。

まったくもって足りない。

何もかもが不足だ。


――必要なものはなんだ?


あたしはあたし自身に問いかける。

欲しい装備は、欲しいスキルはいったい何か。


まずは、歌唱力やダンスはもちろん、それが強烈に人の目を引き付けるものである必要がある。

豆粒になるくらい遠くても、それがあたしだとわかるくらい明確な、存在感がいる。

時間いっぱい魔力を全身から放出しつづける、その程度のことは前提として必要だ。

全力を振り絞り、限界を越え続け、一秒も無駄にせず駆け上がる。


次に、ファンがいる。

信者やガチ恋なんて言葉じゃ足りない、もっとずっと心底からのあたしの協力者が。

他が全員、あの子に声援を送っていても、彼らだけはあたしに向けて声を張り上げる、どれだけ空気が読めないと言われても団結する。

そういう、アイドルに挑む、同志がいる。


最後に、バランサーがいる。

突き進もとするあたしと、そのファンだけじゃ見落とす部分が絶対に出る。

致命的な欠陥を抱えていても気づかない。気づいたときには手遅れになる、そんな予感がある。

そうなるより前に、正しい目で冷静に引き止め、正しいレールに戻してくれる人が必要だ。


どれもこれもまったく足りない。

何一つとして満たしていない。

最後はフウさんが担ってくれるだろうけど、まだ好感度みたいなものが足りていない。

冷たくあしらわれるだけじゃなくて、冷たくなじることにも興奮を覚えてもらわないと――


「おい」


いつの間にか、監督がいた。

ドアを開けて覗き込み、胡乱にあたしを見ていた。

まだしもマシな顔になっていたのは幸いだ。


「ノックはしたぞ、その様子なら平気だな」

「はい、おまたせしました」


とはいえ、きっと顔はぐしゃぐしゃだ、早めに入ってメイクをし直さないと。


「独り言か? 話が漏れ聞こえていた」


準備をして立ち上がるあたしに、ぽつりと監督がそう言った。


「聞き逃がせない言葉があった、おまえ、あの寮出身だったんだな」


あの寮、が何を示すかは明白だった。


「願いを叶える家か、で、おまえはあの家を一晩だけ、アイドルにするつもりだと」


もう隠すようなことじゃない。

あたしは一つ頷くだけで通り過ぎた。


「一枚噛ませろ」

「寝言は寝ていえクソ監督」


そればかりは無視できない。

振り返り、睨む。

素養があれば呪殺できる視線で。


「あたしと、あの子の舞台だ、あたしたちの舞台だ、くだらないクチバシを突っ込むな。殺すぞ」

「同じ寮出身だ」

「はあ?」

「お前の先輩なんだよ、以前に住んでいた。で、まだ願いを言っていない。取っておいたままだ」

「……話を聞こうか」


我ながら現金だとは思う。




監督が住んでいた時期はかなり前だった。

それなりの期間、寮にいた。今も偶に帰っているのだそうだ。

それだけの長さの記憶が、保持されている。


もともと、あの子のアイドル化は監督自身が以前から考えていたらしい。

だけど、詳細にアイデアを詰め、実行しようかという段階で毎度のように頓挫していた。


「毎回どう考えても、理想通りにしかならん」

「なにが問題ですか」

「頭の中にある理想通り、そんなものを実際にやる価値はない。少なくとも、こっちの思い出を全部を燃やし、もう二度と認識されない、それと引き換えにするような価値は、無い」

「なのに、あたしに協力すると?」

「まだわからん」

「おい」

「不確定要素が入り込めば、理想より上を行く、その可能性はあると見た」

「今はまだ不足、託せるほどじゃない、そういうこと?」


ニヤリと笑われた。

失敗したリハは、ついさっきだ。

今のあたしの言葉は大言壮語の寝言でしかない。


「わかったよ」


あたしはその挑戦に応じる。


「こんなところで手間取ってる暇があるか」


もし、監督が協力すれば、それはさらなる難易度の上昇を意味する。

あたしだけの記憶じゃない、長年貯め続けた記憶だ、もっとさらに巨大に燃え上がる。

あたしが理想とするアイドルを、監督が理想とする舞台が彩る。


「はは――」

「どうした、ビビったか」

「それが叶ったら、苦しむ奴がきっと大勢出るな、って思った」


たった一夜の舞台。

人々の心に修復不可能な傷を焼き付ける夢。


なのに、行った家自身は、それを憶えていない。

一緒にアイドルをしたいとあたしが願い、監督の舞台でそれをするのだ。記憶の九割方が削れる。

どれだけ褒め称えられても、ハテナマークを飛ばすことになる。

どれだけ「次」をねだっても叶えられることがない。

欲して追い求めても、その舞台は幻のように扱われる。

あの子の残酷が、これ以上ない形で人々に襲いかかる。


ざまあみろ――想像の中だけでも痛快だ。

いっそあたしも知らない振りをしてやろうか。


横をみれば監督も似たような笑いを浮かべていた。

人間を渇望の苦しみに落とすことに愉悦を覚える、性格の悪い顔だ、とてもじゃないがアイドル関係者がしていい顔じゃない。


「さて、行こう」


どちらともなく言った。

ねじ曲がっていようがなんだろうが知ったことか。

ここが、スタートラインだ。

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