第7話
あたしは、思い出していた。
寮での生活、その細かい諸々を。
与えられた控室でうずくまりながら。
少しでも温かい思い出にすがらないと、あっという間に気持ちが散り散りになりそうだった。
暗くした個室で、ただ一人呻く。
目は見開くけど、なにも見えない。
獣のような声が、喉奥から勝手に漏れる。
酷い失敗をした舞台のことだけが頭の中をリフレインする。
ミスと呼べるものはない、全てのタイミングは完璧で、歌唱もいつもよりも伸びやかだったくらいで、だけど、あれは失敗だった。
ミスをしない舞台は、成功からもっとも遠い。
他の人からすれば意見は違うのかもしれない。だけどあたしにとって、そしてたぶんあの監督にとってもそれは、肝心なものから目を離した阿呆な行いだった。
そんなものを見せるくらいなら、今すぐ引退したほうがいい、そう断言できるくらいの。
音程外れたリズムのとれない、ミスの連発のダンスでも、それが本気なら、そこに巨大な叫びのようなものがあるなら、伝わる。
逆を言えば、形ばかりをマネたものは、自動人形以下の代物だ。
酒場の歌姫のほうが、よっぽど客の心を魅了する。
――あたしはさっき、満足した。
その自覚があった。
どうだ、こんなに歌える、踊れる、やれる、あたしはスゴい。
別に、そう思うこと自体は悪いことじゃない、自分自身に酔えることも立派な資質だ。
けれど、そこにあたしの根幹と呼べるものが、何もなかった。
ハリボテの技術にハリボテの歌、ハリボテの動作。
何もないことに、空っぽの自分を披露したことに気づいたのは、最悪なことに終盤も終盤だった。
本番じゃないから、まだリハだからは慰めにならない。
鳥が必死に羽根をバタつかせたところで意味がない、それが飛行にならなきゃ無意味な動作だ。
鳥が空を飛ぶように、あたしはあたしの歌や舞台をやるために努力をした、そのはずだ。
――思い出せ。
暗闇で、ただ目を見開き、思う。
――あたしの動機は、なんだ。
◇ ◇ ◇
寮で起きるいろいろは、家が思いつきで実行するものもあれば、寮生が企画するもの、前年度に面白かったものなどがある。
比率としてはどれも同じで、たぶん年を経るごとにイベント数が多くなる。
寮生が抜けたり、あるいは興味がなくなったりで、結局はとんとんになるのかもしれないけど。
そんな中、珍しく口を半開きにして「はー……」と息を漏らしている子がいた。
家の子だった。
どうやら、午前中に来ていたアイドル志望の子がやった公演に心奪われたらしい。
田舎育ちで見る機会の少ないあたしからしても、あんまり上手くない、平凡な舞台だったけど、外に行くことのない子にとっては衝撃的だったみたいだ。
小声でハミングしては何か違うと首を振ったり、唐突にサインの練習をしようとしたりしてる。
たぶん、見つめる先には、現実のそれより百倍以上はキラキラした幻想が展開されてる。
――家、決めた。
だから、拳を握って立ち上がったときには、何を言い出すのかもう大体わかってた。
――歌って踊れる家になる、手足とかはやしてダンスする!
踊るのって本体の方!? ときっと誰もが思った。
本人が言うところの仮想体の方でやるよう、なんとか説得した。
とても真っ当な指摘だと思う。
本人だけが、えー、と酷く不満そうだった。なにが不満か。
◇ ◇ ◇
家は、割と努力した、と思う。
ものすごく真剣な顔してお尻ふりふりさせるダンスがそうならだけど。
歌ってるのがオペラ調の悲劇でけっこう上手だったのも、なおさら腹筋に悪い。
ダンスはお遊戯会で、歌は声楽的だった。
いや、でも、笑いはしたけど、あれはあれで「アイドル」ではあったと思う。
だって誰もが目を離せない、笑ってはしまうけど、ついつ応援もしてしまう。
転倒しても嘲笑ではなく応援が出る。
なにより、本人は間違いなく真剣だった。
家はアイドルになるのだ、という想いがあった。
「どうしてアイドルになりたいの?」
ある時、聞いたことがある。
しばらく考えて、思ったよりも真剣に返答された。
――家は、あの舞台のことをまだ覚えてる。
「うん」
――すごかった。きっとああいう風にできたら、みんなも家のことを憶えてくれる、だからなりたい。
あたしは何も言えなかった。
この子は、皆のことを忘れて、その対価として願いを叶える。
忘れるのは家の方で、あたしたちの方じゃない。
だけど、いや、だからこそ思ってしまうのかもしれない。「どうか忘れないで欲しい」と。
どうしようもない寂しさが、ぽっかりとした欠落が、きっとその心にはある。なんとかして埋めたいと願うほどに。
性格は優しい、性質は残酷。
その残酷は、けれど、家自身にも向けられていた。
あたしは、家のアイドル化に協力することにした。
◇ ◇ ◇
……まあ、当たり前だけど、わかっていたことだけど、計画は失敗することになる。
そもそもオーディションに参加できない。
敷地内から出られない。
別にそれでもいいじゃないか、自称アイドルで構わないじゃないかと思ったけど、家の想定するアイドルは、寮の中で皆に拍手されて終わるのではなく、なんかもっとこう、きらびやかなものだった。
仕方なしにあたしは断りの書類を提出しに行った。
時間的にギリギリで、投函じゃ間に合わない。そして、気づけばあたしはオーディションを受けていた。なんでだ。
青い顔で書類を見返してみれば、その氏名欄が空白だった。
たぶん、住所が書いてあるから実質名前が書いてあるのと一緒、とか思って書かなかったな、これ。
直接書類を提出しに来た、「この書類で応募したけど、事情があって無理でしたよ」というつもりで来たあたしが、よくいる文盲のアイドル志望扱いだった。意味不明だ。
もちろん、最初は断ろうと思った。そんな柄じゃないし。
さっさと帰ってさめざめ泣いてる子を慰めるべきだ。
けど、周囲のアイドル志望の人たちを見て、なんとなく思った。ギラギラしている、何が何でもなろうとしている。渇望してる。
その熱をバカにするつもりは一切ない。
ないんだけど、同時に思ってしまったのだ。
――あなたたちより、あの子の方がアイドルだ。
あたしの中でそれは覆しようのない事実で、気づけば真剣に受けていた。
何も習ったことはなかったけど、アイドルに真剣になろうとしている子の応援はずっとしていた。本格的な練習もしている様子を見ていた。ちょっとくらいは手伝った。
たぶん、運が良かったんだろう。
オペラ風の歌い方が、いい形で受けたのかもしれない。
気づけばあたしは合格していた。
「すばらしい歌でした、ただ、最後のあのポーズはどうしてしたのですか? あまり曲調に合っていないものでした」
「……友達と一緒に考えたものだったんです」
問いかけにはそう言うのが精一杯だった。顔が熱い。
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