第5話

その一撃は直線を引いた。

一閃が反射的に避けたオーク骸の肩口から入り、その巨体を通り抜け、地面を、木々を、山裾までを切断した。


斬った、という結果をなぞるように、切断面が純粋な熱エネルギーと化し、周辺へ被害を広げる。

一瞬の間を開け、熱と風が無秩序に膨れ上がり、爆裂魔法と同等の威力を叩き出した。


家本体から見れば、まっすぐ直線の爆撃が起きていた。

その破壊で、オーク骸は全身を灰と燃やされ円弧状に撒き散らされ、反動で機構体もまた崩れて砕かれ散弾のように撒き散らされた。


幻鳥に乗った家主がビクっと震えた後、飛行高度より高く昇る煙柱を認め、少し悩んだ。たぶん、この破壊の主犯である仮想体をポイっと捨ててしまおうか悩んでる。


斬撃は地面を深くえぐり、底の見えない渓谷を作り上げた。

ひとつ吸い込む空気にさえ高熱の粉塵が多量に含まれる死の領域。

濃く漂う黒煙の中では、ときおり明滅するものがある、摩擦によって生じた稲光だ、触れれば致死レベル。


呆然としている寮生の周囲だけが、日常と変わらないまま保持されていた。

作って贈ったばかりのアミュレットが、薄く輝き防護していた。


「おい」


いくらか速度を落とした、安全飛行に切り替えた家主に呼ばれ、家は、なんでしょう、と生真面目に返す。


「やり過ぎだ」

――正当防衛ですよ?

「冒険者ギルドがまた文句言ってくるぞ」

――地形破壊攻撃くらい、誰だってたまにはやるでしょう。まったくケチくさい。

「んなわけあるか」

――というより、敵が思った以上に強くてまっすぐだったから、こちらも現状で可能な全身全霊を尽くさないと、って思ってしまったんですよ。ちゃんと寮生の安全確保はしてたし、家、悪くない。

「ああそうかよ」

――素っ気なくしないで欲しい。

「どうしろってんだ」

――そこはいい感じに、こう、嬉しい風に。

「具体性ゼロか」

――ん、あー、というか、すいません家主、そろそろ落ちますので、後を頼みます。

「ったく、まあ、任されておくよ」


記憶燃焼機構の反動だった。

人間が寝て記憶を整理するのと同じように、記憶ストレージを再編する必要があった。

いますぐする必要はないけど、まあ、一段落したし、別にいいよね。


意識の沈降に抗わずに従う。

意識を、だんだんと保てなくなりつつあった。


幻鳥の上で頬杖をつき、面倒くさそうにひらひらと手を振る家主。

球状のバリアに守られ、この場から動いていいかを迷う寮生。

つかまれたままの仮想体は身動き一つせず、けれど確かな満足感を得ていた。


ちゃんと、守れた。

本人の願いはもちろん、かつて願われたことも達成できた。

こびりついていた記憶が、かすかにほどけた。


目を輝かせ、巨大ロボットのカッコ良さについて語っていた子が、かつていた、ような気がする。

果たしてその望み通りに、家は振る舞えただろうか。


人の眠気とはきっと違う、けれどきっと似たようなものを覚えながらも、最後にちょっとした疑問がかすめた。


――ああ、そういえば、家は誰を助けたんだっけ……



 ◇ ◇ ◇



意識のまどろみの最中。浮かぶように声がした。

たぶん、そこらにポイっと放置されていた仮想体の耳からの情報を、家が勝手に受け取った。


人間って寝ているとき、周囲でされた会話を憶えていられるんだろうか。

家はあんまり自信がない。

だから、この会話が本当なのかどうかの自信もない。


「ヨオ」

「あの、えっと大丈夫なんですか? まだ周りが酷いことになってますけど」

「平気だ、伊達に長生きしてねえ」

「答えになってない……」

「なってんだろ、そんだけ生き残り続けてきたんだ、まあ、私の場合はくたばった回数もそこそこあるけどな」

「答えが行方不明になってません? あと、その、助けてくれた子に、そういう扱いは」

「ん、ああ、私が持ってきたあの身体のことか、敷地内なら自動で防護がかかるから、心配いらねえ、雑に扱って大丈夫だ」

「助けてくれた相手が、逆立ちみたいな格好で地面に突き刺さって、身動きひとつしてないと普通に心配なんですけども」

「たしかに顔は汚れるな」

「心配するポイントそこなんだ……」

「それよりもだ」

「はい」

「たしかオマエ、割と義理堅い性格だったよな」

「良くしてくれたらお返ししたいですし、人の食べ物を取ったら下剤入りのお茶をお返しされるくらいは覚悟すべきだと思ってます」

「OK、因果応報主義だな、だったら、それが難しくなったことを言わなきゃなんねえ」

「どういうことです」

「コイツは、よっ、と、あー、いま私が引っこ抜いたマヌケヅラして寝ているコイツは、もうオマエのことを憶えていない」

「憶えてない……?」

「そうだ、周り見てみろ、これだけの力を、対価なしに使えるわけないだろ。オマエに関する記憶すべてを燃やして、力に変えたんだ」

「記憶を、力に」

「ああ、誰かがそう作ったのか、それともコイツのもともとの性質なのかは知らねえけどな、そうなっている」

「……聞いたことは、あります」

「ん?」

「姉さんが住んでいたあの家は、願いを叶えてくれる家だって」

「正確には、記憶と時間を使って、一回だけ要望を聞く。無制限じゃないし、必ず叶うとも限らない」

「ああ、そうですよね、失敗することもあるんだ、そこまで便利なことも――あれ、一回だけ、ですか?」

「そうだ、一回だけだ、例外はない」

「それって――」

「ああ、記憶すべてを失っても、また新たに関係を開始すればいい、そういう話はなしってことだ――そういうズルは、できないようにされている」

「……」

「生きたいというオマエの望みを、コイツは叶えた。これから先、コイツはオマエの姿も声も認識できなくなる。なんらかの形で報いたいというその願いは、残念だが難しいんだ」


痛切に何かを訴える返答は、だんだん聞き取れなくなった。



 ◇ ◇ ◇



目覚めると家は家にいた。当たり前のことなんだけど、なんだか奇跡みたいに思える。

変わらずの木造建築はサンサンと日光を浴びて、心地よく温まる。


仮想体はベッドの上に寝かされていて、なんだか思考がハッキリしないまま上半身だけを起こした。

目がしばしばしている。

うあー、と声に出してみる。酷いガラガラ声だった。

頭の髪の毛は爆発した有様で、まるで失敗したマリモだった。


――寝る前に無理矢理お風呂に入らされて、髪の毛乾かさないままベッドに直行したみたいだ……


いや、そんな訳はないけれど。

家は家のこと、ちゃんとできるし。


たまに起きるこの違和感というかヘンテコ感はいったい何なのか。ひょっとして家や寮生なにか起きたんじゃないかと調べるけど、いつものようにオールグリーン。問題と言えるものは何もなかった。

けど、何もないのに、ただ確信だけがあった。家が、なにかを取りこぼしている――そんな確信。


なに、この置いてきぼり感……


出どころのわからない寂しさがあった。

いや、まあ、出どころ分からないから、解消のしようのない悲しみでもあるんだけど……


なんだかなー、と思いながら、むいぃ、と伸びをする。あいかわらず髪の毛は鬱陶しい。その内に丸刈りにすべきだと思う。


どこー、と小声で聞いても返答はない。

見れば午前中ではあるけど、日が出てからそこそこ時間は経っていた。


というか寝てた場所、家主のベッドじゃないか、なんでだ。

あー、というか昨日は、家はどうしてたっけ。

なんか強いモンスターを、こう、家が格好よくやっつけたような、そうじゃないような。


……まさか、夢だったってオチ?


うにウニぃ、と呻きながら廊下を歩く、爆発している髪の毛をなだめるけど、上手く行かない。なんかこう、接続がまだ上手くいってなかった。

あと、廊下床の一部にダメージが入ってるのも意味不明。開けっ放しの窓から一晩中小石でも降ったのかな。


問題はないけど不思議なことが山盛りだ。

上手く稼働してない頭を使い、仮想体から家本体へと意識を移す。


お、おお……?


そして、これまでの不思議すべてが些事になる出来事が起きていると知った。



 ◇ ◇ ◇



午前の陽光に照らされて、家は変わらずキリッと凛々しく建っている。

そのチェンジすることのない格好良さの前で、正確に言えば玄関先で、家主がぎゅうっと雑巾を絞った。

いつものような面倒くさそうな表情で、余分な水をバケツに落とす。最初は勢いよく、やがてはポタポタと、太陽を受けてキラキラと水滴が落下する。


そのまま玄関ドアを上から拭き始めた。丁寧ではないけどちゃんとした汚れ落とし。

上下に濡れ跡がドアに描かれる。

家主が家を掃除してくれている光景だった。


思わず、うへへェ、と思わず声が漏れた。

笑顔のまま体をクネクネさせてしまう。


「んだよ、起きたのか。なんだ、気色悪い声出して」

――なにしてるんです、なにしてるんです? ねえねえ家主なにしてるんですかぁ?

「掃除だよ」

――だよねですよねそうですよねぇ、ウヒヒ――

「こうなるだろうとは思ってたけどよ、想像以上にうぜえ……」

――知ってます? 知ってますよね? いやあ、家って自分で勝手にやれるから掃除とかいらないんですよー、人間だって歯磨きとか洗顔とか一人でできますもんね? や、こういうこまかーい部分とか、クセでさっとやっちゃうところとかあるから、たしかに無駄じゃないというかむしろやった方がいいというかウヘエェっ!

「あ? 蝶番だっけか、ドアと壁の接続してる金属のとこ、そこ拭かれるのは、イヤか?」

……あおふ……

……いや、そのよーなことは、ないですぜ。


いろいろを押し殺して家は言う。

そう、まさにあんまり気合入れて清掃してないなぁ、って部分をいきなり水拭きされたせいで驚いただけで、決して嫌ではなかったんである。


「ふぅん、そっか」


魔術師としての完璧主義なのか凝り性なのか、使ってない歯ブラシまで取り出してごく細かい汚れまでキレイにされた、仮想体はうずくまって震える必要が出た。

たぶん、それは人間でいえば足の爪の汚れをとっても丁寧にキレイキレイされてる感覚だった。


なんか、これはアカン……



 ◇ ◇ ◇



家主が家を掃除する。文字にしてみればすごく当たり前のことだけれど、実のところこれはあんまりなかった。


なにせ家主自身の部屋ですら、家がやらなきゃ酷いことになってる。

ダニやノミに上げる餌なんてないのに、家主がベッド上でベーグルやらサンドイッチやらの欠片をぼろぼろこぼしながら食べるせいだった。


お願いだから半端に飲んだリンゴジュースの瓶を放置しないで欲しい。アルコール作成実験とか言われても、そう簡単に発酵とかしない。やってみればわからない精神とか、自室で発揮しないで欲しい。


そんな風に基本属性ズボラな家主だけれど、同時に一度スタートすると完成まで止まらない性格だから、半年に一回くらいは模様変えレベルでキレイになる。だけど、それ以外のときはやっぱり家が掃除をする必要があった。


本当なら家は、私室に対しては不干渉。

人間って、常にずっと見られながら生活したがらない。


けど、家主だけが例外だった。


「よし、とりあえずは、こんなものか」

――うぅ……キレイにされてしまった。

「いいことじゃねえか、なんの文句があるって言うんだ」

――今度、家主の足の指をなめなめしてやる……一本残らずそうしてやる……

「玄関ひとつで大騒ぎしすぎだ」

――たしかに……そういえば、そうかも? なぜかもっと酷いキレイキレイをされてるような感覚が、あれ……?

「ふぅん」

――むむむぅ。


家は、内部の様子を検査してみた。

いつものように、それぞれの私室は例外にする。家が把握している寮生の数より、あきらかに部屋数が多いけれど、そういうものだと家主には言われてしまっている。


また、食料消費量とか生活用魔力の消費量とか、あきらかに釣り合っていない部分があったりもする。

これも気にするなと言われても気になってしまい、割と本気で調査したけれど、家には何が起きているのかさっぱりだった。


いろいろと悩んだ末、結局のところポルターガイストがいるのだと想定することにした。

ポルターガイストだから見えないのは当然で、扉が勝手に開閉するのも当然で、洗わなきゃいけない皿が変に多いのも当然で、家主とか寮生とかが見えない相手に楽しく会話していても当然なのだ。


そして今、家のそこかしこが、なんだか想定よりもキレイになっている感覚があった。

窓ガラスの縁や、外壁の一部だとか、屋根裏のホコリまで、まるで寮生全員で大掃除をしているような感覚だった。

掃除活動をしているのは、家主一人しかいないはずなのに。


家主が、汚れた頬を拭いながら、たぶんそのポルターガイストとお話していた。

その視線の角度からして、たぶん割と小さいポルターガイストだった。


家主の目は安心したような、困ったような、不思議な色合いをしていた。答えたくても答えられない素朴な質問を受けたみたいに。


「なあ」

――なんです?

「ポルターガイストって、オマエは言ってたか、それについてどう思ってる」

――むむ。


なかなかに意地悪な質問をされた。

屋内にいる、感知ができない相手。家を放って他の寮生と楽しくしている人たち。それについてどう思っているのか。


仮想体が寝ているときに、覗き込まれたり、頭を撫でられたような感覚を覚えるときもある。

なぜだか突然、身動きがとれなくなったときとかもあった、まるで強く抱きしめられたみたいに。


壊れた椅子を勝手に直されたときもある。

塩が残り少なくなってるな、寮生に頼まなきゃなと思っていたのに、補充されたときもあった。


そして今、こうして掃除をされている――


「……」

――おそらく……


迷いながら、黙って見つめる家主に向けて。一人しかいないはずなのに、多くの人に見守られているような感覚を覚えながら。


――良いポルターガイストたちが、家にはいるようです。


正直にそう答えた。

見えないけど、きっといい人たちだ。



一章 了

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