第3話

家は家だから、庭のこともよくわかる。

人間だって肌の上を蜘蛛が這ったら気づくと思う。同じように、変なのが来たら把握できる。


範囲ギリギリ、山脈の合間から縫うように来たのはオーク骸。死んだオーク成れの果て。

普通のオークは巨体でブタ顔で、粗野で野蛮で人を食う。そんなオークの性質そのままに、かなりの耐久性を加えた動く死体だ。


普段なら放っておく。気色悪いけど、それだけだし。

そもそも家の敷地内で死者はそんなに長くいた試しがない、勝手に出ていくから倒しに向かうのも割と無駄。

けど、今回はそうもいかなかった。

タイミングがあまりに悪すぎた。


一秒、観測が間違いないか確認。

すぐ尖塔から跳び下りる、地面が高速で迫り、内蔵がへんな感じになる最中、周遊光源を殴って落下方向を修整、二階の窓に滑り込んだ。


着地の衝撃を受け取った床が存分に軋むのを、生活用魔力を集中させて対処。着地点が硬度を増したせいで仮想体の両足首がイヤな音を立てて折れたけど、こんなの痛いだけ。


片手間に治しながら、ポルターガイストの驚き声を無視しながら廊下を駆けて、家主のドアをノックする。忙しないテンポは事態の緊急を知らせる。


「んだよ……」


寝ぼけ眼のボサボサ髪でも顔を出してくれたことに安堵する。


そう、家はオーク骸より少し前に、人の気配も感知していた。タイミング的にたぶん、追いかけられてここまで来た。

寮生じゃなかった。

この辺にまで採取に来ている知り合いの子だった。


名前はソフィ・バーレン、姉がたしか寮生だった。こっそりいい採取場所を教えたこともある。

薬屋の末っ子で、姉におかずを取られるとよく文句を言っていた。

そんな子が、片足を引きずり、泣きながら逃げていた。


事態は明白だった。

オーク骸は、オークの性質を受け継いでる。必要もないのに生前の行動を取る。


そしてオークは、人を食う。



 ◇ ◇ ◇



魔術とは、魔力を動力原にした機構と想念のかけ合わせ、らしい。

家主の使うそれは星辰魔術というものだった。


――敷地内で、オーク骸が人を襲おうとしてる。


家のその報告を聞くと同時に、家主は窓を開け放ち、大きさの違う結節球を五個ほど投げた、塩でも撒くみたいに適当で無造作な動作だけど、当てはめられたみたいに球は宙で静止する。


図形から噴水のように魔力が溢れること二回、そこにはもう、おおきく羽ばたく半透明の鳥が生じていた。


「方向!」


半透明なそれに乗りながら、短く聞いた。

鳥の鉤爪に捕らえられた家が指差す方向に、魔法の巨鳥はとんでもない速度かっ飛んだ。地上に円状の余波を残して、遥か上空へ。


つかまれたところを起点にして家の体はばったんばったん揺れる、長い部分は髪の毛もばさばさだ。

割と酷い荷物扱いだけど気にしない、気にしてられない。

家主の焦る声が、飛行音の合間を通った。


「状況を確認するぞ、オーク骸が侵入して、子供を襲おうとしてる、オマエが私に助けを求めたってことは寮生じゃない」


家主も何度か会った相手、ソフィ・バーレンだと伝える。


「最悪だ」


家主は、凶相を浮かべた。


「ここの領域内に入ってしばらく経っても平気なら、それなりに強いモンスターだ。だが、オマエが警戒体勢を取れるほど規格外に強いわけでもない。きっと死にたてに近いオークだったせいか。クソ――」


このままじゃ間に合わない――


言葉にしなかった最悪の予想が聞こえた気がした。



 ◇ ◇ ◇



緊急事態と平時の一秒は違う。

パスタを茹でているときの待ち時間と、真剣勝負を見守る時間は異なる。


 たとえ斧に頭かち割られる手前でも、気分はパスタの待ち時間でいなきゃいけねえ、焦って滑って転べば御破算だわなあ……


そんな風に、言われたことがある気もするけど。

魔法で作成された幻鳥は一秒間に八回ほど羽ばたき、眼下に広がる森を後方に流し、進行方向の山々の形を大きくする。めちゃくちゃに速い。


それでもすぐ目の前にまで人食いの死体が来ている子を助けるには不足だった。


一秒を食いつぶして、オーク骸とソフィの距離と、幻鳥とその両者までの距離が同時に縮まる。

どう見ても、前者の方が速い。


「敷地内だよな!」

――妨害はもうしてる!


家は叫んだ。

草木を動かして作った簡易的な罠は引きちぎられた。

警告のための声伝達は、動く死体が相手じゃ意味がない。

それ以上のなにかをしようとすれば、冒険者ギルドと交わした契約が邪魔をする。


家は、自衛以外の理由でモンスターを殺せない。


オーク骸。

もともとが屈強で頭が悪いモンスターは、さらに頭悪く鈍感になっている。

前に家主が撃とうとしてた閃光球すら、きっとさしたる打撃にならない。


今ここで取れる手――

家の魔力を融通して、この幻鳥の速度を底上げする――ダメだ、発動してる魔法に魔力は乗せられない、下手したらこの鳥が消し飛ぶ。やるなら魔法発動前の、家主が球を投げたタイミングでだった。


気分ばっかり焦ってることを自覚した。

こんな時こそパスタ待ちの心持ちでいるべきだった。


あの子が、ソフィ・バーレンが、姉に連れられて家に来たときのことを思い出す。

姉の背中に隠れて、酷く緊張していたけれど、家の仮想体を見た途端、やけに不思議そうに、キョトンとした顔になった。家の見た目的には小さい姿が不思議だったらしい。


家が胸を張って、ようこそ我が家に! と決めポーズで歓迎したら、キョトンとした顔が徐々に緩み、やがてはクスクスと笑われた。背丈としては、あの頃はまだかろうじて家の方が大きかったはずなのに、不思議だ。ポーズもアイドルを目指していたときに考えたオリジナルだったのに。


そんな笑顔が、今は青ざめ、涙を滲ませ、命を脅かされている。


問題は――

いくらか頭を冷やした家は思う。


きっと取れる手段の少なさだ。

あのオーク骸と同じだ。半端な強さだからむしろ対処ができない。


助けよう思っている子、ソフィ・バーレンも、寮生だった子の身内なんて半端な位置だから取れる手段が少ない。

すぐに救出に行けないこの敷地の広さも、半端といえば半端だ。

すべての半端さをかい潜って、最悪の事態が進行する。


一秒が、また食いつぶされる。

手遅れまであと何秒だ。


家の敷地内で、知り合いが死ぬ事態が起きるリミットが、もう目の前に迫ってる。


「おい――」


苦悩する家に向け、家主の決心した声がした。

ハッキリと、念を押すように、幻鳥に掴まれた家の仮想体に向けて。


「ソフィ・バーレンは、寮生だ」


そんな嘘を述べた。

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