第39話
明くる日。四年の空白を埋める二人の夜は長く、それは天高く日が昇った事に気付かぬほど。
午後から仕事がある真九と一緒に、満は本社へ向かった。昨晩は携帯端末の電源を落としていた為、園恵が仕事に復帰する事を二人が知ったのは昼近間になってから。
満が園恵の元へ車椅子を走らせる間に、すれ違う社員という社員の視線を集めた。それもそのはず、彼女は胸元を大きく開けたドレスに煌びやかな小物という格好で、お世辞にもAirgunの仕事の為出社した様には見えない。今の彼女は宛ら依頼人を探し回って奔走する派遣型風俗店の一社員といったところ。
彼女にはそんな視線もお構い無し。車椅子の速度はそれ以上出ないが、このもどかしさも外骨格へ替える事で何れ手放せる。
これが最後となるだろう車椅子で感じる焦燥感。今はただ、早く園恵の元気な姿を見たい一心である。
特製おにぎりを「おにぎり三兄弟」と称し、一つひとつ食べる前に愉快な歌に乗せて食材への感謝を示す――食への喜びに満ち溢れた園恵は、見ている側まで笑顔にさせていた。
そしてそれは過去の話。歌は「頂きます」「ご馳走様でした」へと置き換わり、おにぎり三つで八百グラムは下らなかった彼女の昼食は、一般的な百グラムの塩むすび一つに。それを一口にごく僅かな量ふくみ、咀嚼はあまりせずに飲み込んでいた。
園恵は食事の手を止め満を招いた。彼女が振る左腕に残った傷痕も然る事ながら、今にも消え入りそうな笑顔が招かれた満を突き刺す。
復帰までの日数としては短い方だった事もあり、満はもう暫くの休養を勧めた。そんな彼女の心配を他所に、園恵は依頼を既に熟していたのだった。
ちびちびとおにぎりを食べるその顔に疲労が滲む。当の本人はいつも通りだなどと言い張り、全く満の勧めを聞き入れようとしなかった。
それどころか満の場違いな服装に対して毒づくという、それまでの彼女ならしなかった反撃方法を見せ、満は唖然とする。
姿は同じ。声も同じ。しかし何処か別人と話している様な感覚で満は彼女と接していた。彼女の変化を果たして精神が成長したという風に片付けてしまっていいものなのか――満の迷いは彼女と接した時間に比例して増えていった。
無邪気に笑顔を振り撒いていた数ヶ月前がまるで嘘のように、この会話の最中に見せた笑顔は最初の作り笑いのみ。園恵はやや多めの最後の一口を詰め込んでしまうとお辞儀をし、口元を押さえて足早に去っていく。
満「そのうちチームでの旅行があるから、ソノも来てくれたら嬉しいな」
返答は無しに離れていく園恵を満の母性は追いかけろと言って聞かなかったが、彼女は園恵を信じてその場をぐっと堪えた。病み上がりの園恵には特効薬となるかもしれない社員旅行が控えていた事も、その理由の一つだ。
Airgunは全社員に対して、年に一回旅行を経費で落とせる福利厚生を敷いている。満達は研修も兼ねて毎年チームでの旅行を計画していた。今年の行き先はチームに新たなメンバーが加わった事もあり、世界一の経済大国に。
水槽の外の世界を体験する良い機会があったとしても、諸手を挙げて飛び出していく者はいない。それは天から降ってこない餌や広大過ぎる土地に疲弊し、水槽が恋しくなるから。なので経費で落ちる年一回の旅行の行き先に海外を選ぶ社員はほんの一握りだけ。
肝心の園恵はというと、その一握りの中に入る事はなかった。既に家族旅行を満喫してきた龍五と留守番にはなったが、龍五作のお土産リストにはちゃっかり名を連ねていた。
一行は遥々空の旅を経て大海の向こうの桃源郷へ。都市の発展具合は自国と然程変わらず、街を歩く時の警戒心は一瞬で命を落とす危険性が高い分こちらの方が若干上。教育格差はともかく、人々の経済格差に至っては遥かにこちらが開いている――そんな未来の自国が一帯に暁星の如く明かりを灯して彼等を迎えた。
玄「流石の真九さんももう浴衣って季節じゃないですね」
真「寝巻き用に持ってきてはいる。ま、暖かろうが寒かろうが親の家で着る気は無いけどな」
玄「えっ、真九さんの両親ってこっちにいたんですか?」
真「そうかもな」
わざわざ現地に足を運ばなくてもその土地の観光名所を現実宛らに見て回れる今、旅行客が旅先の判断材料として宿に注目しやすくなった。食事、入浴、睡眠――仮想現実ではまだ完全再現出来ていない体験が、宿には多く残っている。
宿泊先の豪華絢爛なその様は、この都市がギャンブルの都市である事に結び付く。ギャンブルによって生まれる富だけを極端に象徴する事でその影を比喩したホテルであり、ご利益を得る為に一泊してからカジノへ行くギャンブラーもいる。
大富豪の仲間入りを果たした未来の自分の生活を先取りしている――夢を現実にするイメージを抱きながら、今夜も沢山のギャンブラーが金の浴槽に浸かり、プラチナのシャンデリアの下にドリンクを嗜んで、大理石のベッドで夜を明かした。
真「なあ、お前達も見たいだろ(小声」
玄「な、何をですか(〃」
英「この街一番のカジノにあるっていう壁尻でしょ。人が壁からお尻だけ出してるのよ(〃」
彼等の自国の官能創作物界隈では代表的なシチュエーションの一つとして壁尻がある。何故、どの様にしてそうなったのか――壁尻を前にして疑問は意味をなさない。
ただ一つだけ言えるとすれば、カジノの壁尻は助けを求めていないということ。
勝手に部屋で機運を高める男達の元へ荷物を置き終えた満達が合流した。彼女達はそもそも朝からカジノへ行く事自体に反対を示し、取り分け満は壁尻に対して悋気じみた嫌悪感を露わにした。
創作物の世界だけの空想だと思っていた玄凪は、壁から突き出された尻の横並ぶ様に対面せずして取り憑かれている。そんな彼を先鋒として壁尻見学賛成派――英彦星は中立――の主張が繰り広げられたところ、とある折衷案が提示された。
最も厳しい時期になると外を耐寒防具ありで漸く歩けるかという寒さに見舞われる冬。
本格的な冬を目前に控えたところへ旅行に行くのだからと組んでいた、季節限定ものばかりの予定を日中の内に消化し、カジノへは夜になってから行く事に。
流氷が島々を繋ぎ、その流氷の上を徒歩で渡る島渡りもその一つ。飛んで行き来出来る距離にある島を、流氷を伝い歩いて巡るのが乙なのだ。
寒さの中に是が非でも身を置きたい者は少ないかもしれないが、足を滑らせて海へ落下し心臓麻痺で死んだり、獣を間近にして襲われるというリスクを味わいたいという猛者なら世界中から集まる。身の回りから危険が悉く取り除かれてきた為に、その様な場にしか生を強く実感出来る機会を持たない者が増えているのだ。
カジノで当たりを出し続けている時にそれを実感するのも、負けという破滅がすぐ隣りにあればこそ。店先に膝から崩れ落ちた年配者など見るに堪えない。
手を差し伸べる義理もない人々は喜怒哀楽を浮かべて店を出入りする。
真「マリン。満さんが壁尻を見たくないそうだからさ」
マ「ええ、英彦星と適当に回ってるわ」
賛成派から一転、口では卑猥な物事への抵抗感を羅列する玄凪。しかし手を引かれればすんなりと付いて行った。
シチュエーション:壁尻――創作物の世界のそれは、ある時はコンクリート壁を通り抜けようとして身動きが取れなくなった人の尻。またある時はエレベーターの扉に挟まった人の尻。それを偶然居合わせた人が発情し犯すというもの。
このカジノではそんな身動きの取れない状態を演出した上で、性行為によるギャンブルを行っていた。
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