第38話
玄凪、龍五、英彦星にマリン――続々とチームメンバーが園恵の投稿に反応する一方で、彼女が今一番話したかった満からの言葉は無い。
返信を待ち切れなくなった園恵は自分から満へ電話したが、端末の向こうから自動音声が聞こえてきて落胆の色を滲ませた。
窓の外へ想いを馳せる時は決まって感傷に浸る時。二人は今、同じく夜景を眺める。場所はマンションの二十階と宙。
国内唯一の空飛ぶレストランとして名高いこの店で、満は真九と初めてここへ来た時の事を思い起こしていた。
この夜景にいつかの夕食が重なったのは真九も同じ。付き合っていた間に一度だけ、背伸びをして窓際の個席を予約したのだから充分に記憶に焼き付いていた。
それだけでなく、真九は以前来店した際に満が食前酒としてオレンジジュースを頼んだ可愛らしさを覚えていたのだ。
お通しとスパークリングワイン、そしてオレンジジュース。酒が飲めない訳ではない満が今日もそれを頼んだのは、意図的に過去をなぞったから。
彼女は可能であれば付き合っていたあの頃に戻り、次は塞ぎ込まない様にやり直したかった。無論それが不可能だという事は分かり切っていたが、過ちを犯して壊れた二人の時間をこれ以上そのままにしていたくなかった。
久しぶりに恋愛話をした友達がくれた又とない機会。滑り出しこそ順調だった彼女だが、他愛無い会話だけでこのゆったりとした時間が終わってしまうのではとの恐れが、新たな料理として化けて出る。
満「真九この前言ってたよね、テーマパークで例の当たり屋に会ったって」
真「ええ。確証は無いですけどあれは警察も一枚噛んでますね」
空中レストランに燥いだ子供とそれを追いかけ回す親の忙しなさに続いて、運ばれてきたのは魚料理。
互いに同じ料理を食して同じ味を堪能して、共通の体験をする――より一体となった同じ時を過ごせば、後に思い出として語り合った時の色彩も増し、長く財産となるだろう。
そこに歪ひずみを生じさせてまで相手に問うこと――例えばそれは、長らく一体だった筈が知らぬ間に互いの時は離れていたという事に気付いた時の確認。
満「――マリンとは仲いいの? ……なんて」
聞かずにはいられなかったその問い。
聞かれるとは思っていなかった表情。
真「――興味があるんでしたらお話ししますよ。マリンは趣味や境遇が近いこともあってか気が合いまして、時間を作っては食べ歩きに出たりしている仲なんです。テーマパークも食べ歩きの為に行ったんですよ」
それはするべきでない賭けをした結果だ。満は自分より仲の良い女性が真九の側にいるかを確かめる賭けを一人でして、それに負けた。
賭け金は彼女一人の所持金だけで――精神の安定だけで収まっているとは言えないが、彼女自身はその事に気付いていない。
真「――それが何か?」
満「えっと、マリンて結構無口な方で鉄仮面とか言われてるから、そういうのちょっと意外だなって思ってね」
この賭けをするまでは無言のひと時も料理という共通のものが繋いでくれていた。満は料理やワインを口へ運び味わう彼が、料理ではない別のものに思いを致している様な、そんな気がしてならなかった。
口直しのシャーベットが担うのは魚料理の後味が残る口内をすっきりさせること。急な雰囲気の転換は荷が重い。
真九は料理に対して感じた事や、前回来た時の記憶と照らし合わせるなどして呟くが、満は最後の一口までスプーンを置かなかった。
口直しをしたついでに彼女の飲み物はオレンジから林檎へ。前回――六年前を真九に懐かしんでもらいたいが為に同じシチュエーションを用意した彼女だったが、彼を振るくらいの不幸までなぞる様で却って自らの首を絞めているこの状況に苦戦していた。
そこへ泣きじゃくる子供の声が微かに反響してくる。賭けた時と同様に今の二人とは関係無い、不必要な話題。そして、二人の元へ同時に転げ込んできた会話の種。
先程の子と大人か、それとも別の家族なのか、将又店内で何かがあったのか――最早彼女にとってその事の真実は重要ではなく、泣き声が聞こえるという事実こそが全てだった。
満「さっき走っていった子供かな?」
真「どうですかね。まぁ子供の頃は俺も目新しい場所というだけで、帰りたくなくなってた事がありましたよ」
満「ああ私もあったかも。夕方になってももうちょっと遊ぼうって、友達に言ってた気がする」
今度の話題は賭けというほど運任せではなかった。誰にでもあった子供時代を当たり障りの無い範囲で語っている方が、他人との交友関係を聞くより遥かに気分良く過ごせる。
セイカ姉妹、そして満本人も見透かしていた、ディナーでの心の乱調。姉妹は会話のコツと、それぞれの料理に紐付ける形での対策を伝え、最悪口直しの時に立て直せればいいとしていた。
更にはその雰囲気を右肩上がりにさせる秘策なるものがイェッテから満へ授けられていた。それは満が真九とベッドインする為に、フルコース最大の見せ場とも言える肉料理の名前に託けた誘い文句で誘惑するというもの。
満はこの秘策に対してあまり乗り気ではなかったが、起こしてもらった時と同じ方法を使われて一際頭に残っていた。
雰囲気は上り調子。満が焦らなければならない要素は見当たらない。飲み物をオレンジから林檎に変えたせいなのか、ディナーの席で色欲に支配されるほど幼稚ではない彼女の口から、その秘策が飛び出しかけた。
文脈は多少捻じ曲がったものの何とかそれを誤魔化す事に成功し、彼女はそそくさとナイフを手に取って一口分の肉を切った。
月が人々を狂わせるなら月光の届かぬよう光を放てば良い。暗闇が怖いなら皆で集まってその光を大きくすれば良い。少しばかり目映くとも月光に比べれば遥かに気心の知れた光であり、その内に出来る影より一寸先の暗闇を取る者など居はしない。
真「眩しいですね。烏の次にゴミを漁るホームレス、盛る若者、燃える社畜の命――何も変わらない、酷く濁ったオレンジの夜だ」
六年前と変わらず炎に焼かれたかの様な星空の下で、彼は相も変わらず足下の世界を悲観する。その世界には当然彼自身の姿も数多の光を持って映り込んだ。
窓の向こうにいる真九は虚うつろ。そして満は恰も実。彼女が微笑めば窓越しであろうと鏡像を伝い、笑顔が届く――これも変わらなかった。
真九は前菜までが出てきた時点で満が六年前をなぞっている可能性に至っていた。とはいえこの店のフルコースの構成は十一品、少なくとも七品ある。満はオレンジジュースが好みなだけで、お通しも偶然被ったのかもしれなかった。
肉料理までの六品全てが一致した事は、真九の中でその他の可能性を取り払うのに十分な根拠となった。満がこのレストランの窓際の個室を選び、項目ごとにも複数ある料理から前回と同じ物ばかりを頼んだ理由を推測した上で、彼は「酷く濁ったオレンジの夜だ」と言っていた。
その言葉を聞いて自らの意図が抽象的にでも伝わっていると実感し、満は嬉しさを覗かせた。
疲労に汚けがれたサラリーマン達と押し潰されてしまいそうな程の光の中を、車椅子は彼女の操作無しに押されて進んでいく。二人の暗闇を照らすのは光線に非ず、互いの心や人格を形容した太陽と月が照らし合うのだ。
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