第36話

 彼女の言う悪足掻きとは本来の機能に少しでも近づけようと右手脚を動かす心持ちに対してではなく、突然の事故とその後遺症に屈した事を想いを寄せる人へ宣言したにも関わらず、他ならぬその人を惨めな姿で追いかける満の姿勢を指していた。


 神による試練とでも表さなければ到底納得出来ない様なこの不運に、満は一切立ち向かおうとせずに屈した。立ち向かい克服する強さが自らに無いと決め付けた彼女へ、共に歩んでいた男性が献身を見せた時、彼女はそれを受け取ろうとしなかった――否、受け取る選択肢が無かったと言うべきだろう。


 別れの言葉は女性としての自信を無くした彼女の拒絶反応とも言える叫びであり、自分のせいで真九に立ち止まってほしくないと思うが故の、精一杯の愛だった。


イ「右手右足が動かないから女として見てもらえなーい、だから絶対セックスしてもらえなーい。私もうダメーってことでしょ? ベッドには誘った? あの色男が好きでどうしても支えたいなら外骨格を使えば良いし、諦めるなら悲劇のヒロインぶってないで誰かに介助でも頼みなさいよ」


カ「姉さん熱くなりすぎです。自販機で飲み物三つ、買ってきて下さい」


 妹に諫められて、というよりは言いたい事を粗方出し切って、漸くイェッテの腹の虫が治まってきた。


 小銭を渡されてわざわざ出入り口方向へのお使いを頼まれた姉と、その帰りを待つ初対面の二人。目を潤ませる満に、カミラは礼を言った。


 率直にものを語るのはイェッテの良いところでもある。だがそれが折角仲良くなった人との友人関係を破綻させてしまうところを、妹のカミラは何度も見てきた。


 姉が知り合って数年経っても親しい仲を保っている友人を久しぶりに見たカミラは、満へのお願いとして姉と友達でいてほしいと言った。


 断る道理など無い満は溜まった涙を拭い去ってこれを承諾する。彼女は元々イェッテの言葉に悪意を微塵も感じておらず、それどころか未練に足掻いていた惨めな自身に気付かせてくれたと、感謝さえしていた。


 満は常々自身を完全に納得させられる言い訳を考えてきた。不運による精神的な傷が月日の中に和らいだのも相俟って、遂に彼女がその考えを導き出そうとしていたところ。それを偽りだと指摘されて、彼女は長い自失の日々から解き放たれたのだった。


 別れを告げてから近い様で遠かった真九との距離を縮める――涙を拭った彼女の瞳は前を向いていた。


 ドリンクを手に戻ってきたイェッテの気まずそうな表情にカミラは、「姉さんにはこれくらいが丁度いい」と言って窘める。


 満へ手渡されるドリンク。しかしイェッテはドリンクから手を離さない。


イ「何か、ゴメンね。当てずっぽうだったかもしれないなーとか思ったり……」


 彼女が悪足掻きと指摘した根拠には、満が外骨格を使わず、介助も受けず、片手片足の力でベッド上をゆっくりと移動していた事にある。お使いで頭を冷やした彼女は、それについて自分が最初どう考えていたのかをすっかり忘れ、満の意志を蔑ろにして責めてしまっていたと反省した。


 満から暖かい反応が返されるとイェッテはこれでもかという程に戯れ付いてみせた後、満の本心を再確認する前に午後の予定に彼女を引き込もうとした。妹からの呆れられた視線も姉は慣れたもの。


 姉妹の言う予定とは午後のショッピングだった。一般的な品であれば全てがネットを介して自宅で買い物出来る現代で、店頭へ赴くという事は即ち、ネットを介した売買及び配達が成り立たない商品を買いに行くということ。


 高価、希少、本物のブランド品等々、上流階級の人々が店に出向く理由は様々ある。セイカ姉妹はこの日、ジュエリーショップにて特注品の提案に向かおうとしていた。もし満が再び真九へ想いを伝えようとしているならそれを後押しする為、彼女へ宝石を見繕い、そのままコーディネートまでしてしまおうとイェッテは思い付いたのだ。


 煌びやかな小物や超有名ブランドとは一切縁の無い満にとって、この誘いは王子のいる舞踏会へと乗り込める魔法だった。


 文字通り桁違いの価格を見て流石に申し訳ない様子も覗かせつつ、満は勝負服の構成を姉妹の手に委ねた。だが服装が固まってくると今度は髪や爪、メイクまでが気になり出したイェッテ。終いには今夜真九をディナーへ誘おうと言い出すのだから、妹も諦めるしかない。


真『二人でディナー、ですか』


満「ほら、ソノの件で心配して慰めに来てくれたでしょ? 後になって、そういえば二人だけでの食事って久しぶりだったなぁって思ったの」


 イェッテは何かを伝えたそうに渋い表情を浮かべながらワンツーパンチを繰り返していた。


満「――話したいこと、沢山あるから……四年前のこととか」


 彼女が右半身の不自由に絶望して彼に当たり散らした日であり、彼がそれを受け止め切れずに彼女へ背を向け、己の無力を痛感した日――それが今から四年程前のこと。


 その日がしこりとなっていたのは満だけではなかった。ディナーへ向けた身支度もいよいよ大詰め。三人は購入品が入ったバッグを引っ提げて姉妹行き付けのヘアサロンに向かう。


 経済的発展が遅れる田舎を悪目立ちする宝石身に付け闊歩しているならまだしも、今彼女達が歩いているのはこの国で最も発展した都市。女性のみで出歩いての生活が出来なくなる程、この地域の秩序は落ちぶれてはいない。


 だがそうなる日が遠くない可能性をセイカ姉妹は頻繁に体験していた。原因は彼女達の豪勢な金遣いだが、最近はその体験を隆盛なものとする別の要因も生じていた。


 SNSへ窃盗もののチャレンジ企画が投稿され若者の間で賑わいを見せる昨今。それに触発されて一攫千金とばかりに引ったくりを企てる者達が相次いで現れ、都市部へ繰り出してきていた。


 多く、彼等の標的となるのはバッグを下げた通行人で、それが女性ともなれば尚更狙われ易くなる。


 それでも姉妹が買い物を辞めない理由には買い物好きである他にもう一つ、引ったくり犯との利害関係が存在していた。


 姉妹からバッグを引ったくり逃走を図る犯人。何が入っているかも分からないまま奪い取ったバッグから、自身の金銭的価値観を逸出した代物が出てくる事を期待して。


 一方のセイカ姉妹は二人で追う事をしない。荷物の奪還は妹のやる事であり、姉はいつも携帯型防犯シェルターに篭ってその顛末を見守る。


イ「あなたツイてるわ、ここ特等席なのよ」


 カミラは懐から取り出したスタンガンの一種で瞬く間に犯人の逃走を封じていた。一人二人と荷物を取り返していくカミラを見ながら、満は何故イェッテが興奮気味なのかを、特等席という表現も合わせて考えていた。


 そこに敵の武器という小片と、間髪を入れずイェッテの歓迎という小片も加わって満は思考の整理が追いつかない。


イ「――心配しなくても、ここで素人がこっそり持てる武器なんか精々刃物液体くらいでしょ。ダーイジョブだって」


 引ったくり犯の一人が隠し持っていたのはシリコン製ナイフ。それを握りしめてどうにか立ち上がると、再びバッグを奪うつもりでいる様でカミラへ突進していった。


 そして物の一撃、掌打をもらって気絶してしまったその姿に、他の引ったくり犯は怖気付き散り散りとなった。電撃に失禁し、腰が抜けて立つ事もままならない無様な愉快犯の始末をする為にも、カミラは警察に電話をかけた。

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