第13話

 その後通話アプリは五年ぶりに彼等のコミュニケーション手段として機能した。会話録に三往復ばかりのやり取りが追加されて、玄凪の心に残ったのは年月を掛け積もった見えない埃の、ざらついた確かな感触だけだった。


 彼はそれ以来友人の彼女が勤める雑貨屋には顔を出さなくなったが、メイド喫茶へ共に通っていた爆郎とは推しの相違こそあれど互いに熱く語らいながら、毎週土曜日には欠かさず「萌えぽん、えい」の魔法を使いになーのんへ会いに行っている。


 彼の私生活は趣味もあり充実している。メイドへの熱量は今も昔も変わらないが、職場を変えた事でマイナスからゼロ以上を目指すストレスの発散から、プラスを積み上げる真の娯楽へと、メイド喫茶通いは彼の中で昇華したのだろう。


 そしてそれが会社でも良い影響を及ぼしている。形から入った意識改革が芽を出し始めた頃、いよいよ彼に任務へ当たる許可が降りたのだ。


 娯楽で積み上げたプラスの貯蓄が今後更に増えるのか、或いはこれを境にマイナスへ転じるのか――Airgun側からすれば社員の私生活に介入するなど以ての外で、余程の事例でない限りは身辺調査も控えている。なので会社としては玄凪の復調が時間の積み重ねによるものであるという認識でいる。


 受注担当者と引き受ける任務についての入念な摺り合わせを終えた玄凪は、何時ぞやの夢が現実となる日も近いのかもしれないと浮かれる。


 しかし現実はそう甘くはなかった。初任務をチーム七人での仕事として迎えた彼は、マルチタスクが苦手であるという弱味を見事に発揮してしまった。チームメンバーそれぞれが語った事柄の共有を滞らせてしまい、そちらに集中すると今度は自身が担当する客のケアが疎かになって――と、好調とは言い難い結果となった。


 体験が苦い思い出となって尾を引くのは有りがちなこと。大切なのはそれをどう自分で処理するか。自らその記憶に向き合い出来事への理解を深められたなら、同じ過ちを繰り返す事も無いのかもしれない。それがかなわなければ頭の奥底に仕舞い込んで楽しい記憶で蓋をするのがいい。


 寧ろ人生を幸せに生きるならその方が得策だ。何も考えずに好きな事は好き、嫌いな事は嫌いと振り分ける。それだけで嫌いなものが淘汰された素晴らしい世界が訪れる訳ではないが、もし周囲の人間が皆同じ趣向を持っていたら、或いはその様な世界もあり得るだろう。


 たとえ同じものを好きになった人間がいたとしても、好きになる理由は様々ある。同じメイドを尊ぶ仲間として尊敬し合う幸せな光景も、一人ひとりの持つ大小様々な「嫌い」が表面化しないくらい多くの「好き」で溢れているからこそ。


 なのでその場を離れた者の内では蓋となっていた余韻も徐々に外れ比率がひっくり返る。そうなれば出るわ出るわ、有る事無い事憶測に憶測を重ねて嫌い合戦。まるで尊敬など最初から無かったかのよう。


 なーのんは就職から二ヶ月足らずで見違える数のファンを獲得していた。彼女のファンの数が増える度に、玄凪の中では彼女と初めて会った日が特別感を増す。


 ミーたん一筋を固く心に誓っている爆郎にとってミーたんのファンが減る事は必ずしも残念な事ではない。ファンが減れば自ずと競合する相手が減る為、より長い時間を推しと過ごせる事になる。まして自身よりも目立つ客がいなくなったとあれば、喜びも一入だ。


 一人がファンを辞めたところでいつか別の誰かがファンになるだけ。これからもミーたんを推す自称親衛隊として、同じく彼女のファンである客の監視に励もうと爆郎は心に誓った。


 その日の夜。初仕事後の落ち込み具合を心に掛けた英彦星らが、玄凪を食事へと誘った。折角の個室も酒に気を大きくした飲んだくれの大声に冒される、そんな庶民的な居酒屋にて玄凪は品揃えから最も上等な酒を手酌する。


 趣味に没頭しきれずモヤモヤしていた彼のお猪口に注がれた酒は物の一口で飲み干されていき、空となった徳利自体の重みを酒が入っていると勘違いする程に出来上がるまで時間は掛からなかった。


 酒に呑まれねばやってられぬと言わんばかりの飲みっぷりで、玄凪は先輩達のグラスが空になろうとお構い無し。だが当然叱られたりなどしない。酔いが回り本能を制御し難くなった状態でもそれを分かっていたかの様に、社畜時代教え込まれた飲み会でのマナーが飛び出す事なく飲み食いを続けられている。


 先輩に手酌をさせてはいけないと目を光らせていた若かりし日々も今は酒の肴に。英彦星と満は後輩がこの様にリラックスして飲み交わす光景を過去にも見た事があった。その時もこうして話を聞き、最後には酔い潰れてしまった後輩を介抱していたのだった。


真「そんな後輩もいたんだな」


英「――まるで別人みたいに落ち着き払っちゃって。あれから道端に吐いたりしてないのかしら?」


 苦笑いを浮かべた玄凪の酒を呷っていた手がぴたりと止まった。土曜日の朝に出かける彼は、路肩を我が物顔で占拠し熟睡して朝を迎える一部の週末のサラリーマン達と、彼等の悲哀に遭遇する事がある。


 不憫なその姿に至るまでの経緯を推察していた彼は、自身がサラリーマン側となってしまった時の心境まで考えを巡らせていた。酔い潰れてしまえば視線は気にならないが、自身が何をしていたかもはっきりとは憶えていない。


 この時代はいつ誰に撮られるか分からない。誰の嘔吐物を啜りながら寝ようとその者の勝手だが、もしそうなりたくないのであれば節度を守り、自ら奇行を晒さぬ様にするべきだ。


 玄凪は感慨に浸る。自棄酒を自制出来たのが、毎週の様に嫌悪を抱いてきたあのサラリーマン達先駆者のおかげであると。


 宴どきの居酒屋には益々愉快げな話し声が響く。今夜も浴びるほど飲んだ後、アスファルトを極上のベッドと思い込みながら熟睡する者達が、この居酒屋にもいる事だろう。「眠らない街」の異名通りに煌々と灯り続ける街明かりの目を盗まずとも、安眠出来るその大胆不敵さを嘗ての玄凪であれば羨んでいた。


 先輩に飲みの席へと誘われて悩みを聞いてもらっていただけであって、そこに疾しい事など一切無い。だがそんな彼の事情が、纏わりついたアルコールの臭いだけですれ違う人々に伝わる筈もなく、特に夜勤へ向かう労働者からは懐疑的な視線が浴びせられた。


 生涯全く同じ人生を歩む人間など存在しない。故にそれぞれが異なる人格や思想を持っているが、この国の者達には妄想が得意な独我論者が目立つ。しかし自らの立場と独我論とが頭の中で結び付いている者は決して多くはない。


 予てより当国では小学生の内から、「相手に思いやりを持て」との教えが施されてきた。道徳の授業では昔話を音読してその話の感想を聞くのが一般的なやり方だったが、授業を受ける学生達の認識では、道徳の授業は楽な授業、サボれる授業というのが実情だった。


 それを把握した政府によって約七十年前、遂に道徳は外国語授業やICT情報通信技術へと振り替えられ、時間割から姿を消した。


 学校の授業として道徳を学ばなくなったとしても、他に学ぶ機会があったなら差し支える事は無い。子供達の道徳は各々の気付きと思考に委ねられた訳だが、思考する機会はおろか気付きさえも得られない、そんな環境が授業を振り替えるよりも昔より、百有余年を掛けて蔓延してしまっていたとしたら。

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