第12話

 その片一方は休日にも関わらず、出勤への強迫観念から目を覚ます。目覚まし時計に[土]の文字を確認して一気に緊張感から解放されると、二度寝したい欲を振り払って朝支度を済ませ、家を出た。


 向かうのは会社、ではなく都心の有名待ち合わせ場所。前の彼女に振られてからずっと恋愛には奥手だった玄凪に、新しい風が吹いたのはマリンとの出会い。二股を掛けられる程肝が大きくはない彼が待ち合わせているのは、趣味仲間だ。


 到着して間もなく一人の男が彼の元に近づいてくる。男の名は市橋 K 爆郎。玄凪と偶然同じ店にいた客の一人だったが推しが同じである事と、何より玄凪の熱量に感動して爆郎の方から声を掛けたのが一緒に通い始めたきっかけ。


 今週もこの日がやってきたと声が弾むオタク達。土曜日は二人の推しである週一勤務のメイドが出勤する日だ。そう、彼等の共通の趣味とはメイド喫茶通いである。


 爆郎をオタクたらしめるのはメイド喫茶関連の情報量で、彼に掛かれば推しの仕事時間のみならず、通勤経路や家族構成、更には常連客の服装や顔までも熟知している。


 一方の玄凪は情報量こそ爆郎に劣るものの、持ち前の熱心さは客の中でも群を抜いており、通っている店ではちょっとした有名人として知られていた。


 そんな自分の足りないところを補い合える良き趣味仲間の二人は、推しているメイドに会う為行き付けの店へ。店内に一歩入った瞬間から二人はメイド達のご主人様となる。

 

メイド達「お帰りなさいませご主人様!」


 迎えたメイド達の中には彼等の推しであるミーたんの姿も。店内では他の客がメイドと共に料理へ「美味しくなる魔法」を掛けたり、歌うメイドをペンライト片手に応援したりと、初見では気圧される事間違いなしの御屋敷へ二人のご主人様が帰宅した。


 彼等は席に着くなりミーたんを指名して、彼女が他の客に独占されるのを防ぐ。ここまでが決まりきった流れで、一度指名してしまえば後は推しとの夢の様な時間が待っている。


 これからの季節、日に日に増していく都会の暑さに負けじと、玄凪は猛暑を先取りする勢いでのめり込んだ。この純粋に熱を表へと出せる一途さが爆郎に尊敬され、また妬まれている部分でもある。


 推しに他の客から指名が入らない事を願いながら魔法によって美味しくなった筈のパスタを食べる爆郎と、今この瞬間を存分に楽しむ玄凪の差、これが熱量の違いへと直結しているのだろう。


 朝食抜きで来店した二人の胃袋から精神までを魔法のパスタが景気付ける。普通のパスタではだめだ。パスタは胃袋に入り満腹感を、魔法は内外から満足感をもたらしてくれる為、魔法は来店する客達にとっても欠かせない儀式となっている。


ミ「申し訳ありませんご主人様。お呼びが掛かったので離れさせていただきます」


爆「ぬぇ〜?!」


玄「分かりました。萌え萌えピュ〜ンですよ!」


 ミーたんはこの店舗で五本の指に入る人気者。客が少しでも推しと触れ合う為には競合の少ない時間帯を狙って来店するのが比較的良いが、開店直後なら、閉店間際ならなど、その時間を選んだ理由が被るのは珍しい事ではない。


 推しとの距離を現実以上に長く感じてしまうのは二人とも同じ。他のご主人様を相手する推しを眺めながら、心做しか魔法の効力が弱まったソフトドリンクを啜る。


 間を取り持とうと出てきたメイドが直面する指名メイドとそれ以外への客の温度差は、客が集団であればある程重くのしかかる。しかし玄凪の様に推しか否かを問わず熱中してくれる相手が一人でもいれば、メイドは積極的にご主人様を持て成し、結果としてその雰囲気が、推しの中で優遇してもらえる要因になるかもしれない。


 それを理解した上でやっているのか、はたまた素の反応なのかは然したる違いではない。共通して言えるのはそこにご主人様として居ること。


 就職して間もない高校生メイド、なーのんの恥じらいは熟練のご主人様ほど喜んでくれる不確定要素となる。推しをもう一人つくるのは容易いが、真面目な玄凪にはこれも二股に当たってしまう。


 彼等の本名は客からの指名を続々と受けて、死角まで離れてしまっていた。


爆「ぬぅ、ぽれっとこれだとちょう今日撤退あんてん案件ふらひ不可避っふな。じ次までに来店じらん時間見直しとりまふ」


玄「――ミーたんと会うならそうですね。僕も次までに『萌えぽん、えいっ』を習得してきますよ」


 メイドに癒やしてもらえる夢の時間も今週は早めの切り上げ。爆郎と別れた玄凪は昼食時までの半端な時間をどうするか悩んだ末、以前から気に掛かっていた店を訪れた。


 と言っても彼の気に掛かっているのは店自体ではなく、そこで働いている、とある女性店員である。彼はその店員が毎週土曜日には必ず出勤している事を知っていた。


 品を眺めながら店内を歩く男性客の一人に扮して、商品に用は無くとも怪しまれないよう取り繕う。そんな客でさえも気を引かれる雑貨の安さとそこから想像される費用対効果がこの店の武器となっている。


 玄凪はまんまと商品を手に取り、装いのつもりが本当の買い物客として店を回っていた。当初の目的を放ったらかしてあれこれと物色し、会計の為商品をレジへ。そこを担当していた店員の顔を見て、彼は忘れかけていた目的を果たした。


 彼は自身の唯一の女性の友人に似ていた彼女へ声を掛け、

事実を確認する。その店員は最初気付いていない素振りで会計をしていたが、声を掛けられるとすぐに目の前の客が玄凪であると認識した。


 直接会うのは十八歳の時に開かれた成人式以来となり、実に十年近くもの間、友人同士の彼等を繋ぎ止めていたのは通話アプリの連絡先のみだった。その通話アプリも五年前を最後に二人を繋いだ記録が途絶えている。


 懐かしさのあまり二人の会話がレジ前にて弾む。玄凪がAirgunへ転職した事を知らない彼女は、未だに玄凪がブラック企業で滅入っていると思っていた。


 彼等若者達の間では、入社後に少しでもブラックだと思える箇所を見つけたら辞職願を用意して鞄に忍ばせておくのが常識で、中には入社当日からそれを持って出勤する者も。


 友人は何故玄凪が世間から不良企業という烙印を押された会社に入社したのか、五年越しに疑問をぶつける。


 その答えとしては単純明快で、給料が良かったから。実際にはもっと給料を出してくれる企業があったものの、それまで学んできた分野とは違う領域だった為に諦めて、今の自分で通用しお金も稼げる企業を探した結果、以前勤めていた会社に就職したという。


 大学卒業当時の彼には就きたい職など無かった。ただとりあえず働かないと、何か社会的体裁上まずいと考えての就職。大学でさえ行かないよりはマシという理由だけで通っていた彼は、前の職場で自身の人生計画の無さを嫌という程に痛感していた。


 偶然の再会で少年時代がありありと思い起こされ、更に昔話をと言ったところで他の客が会計に。すっかり相手が仕事中である事を失念していた玄凪は、買うつもりも無かった商品を手にそそくさと店を去った。

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