第11話


      ―――――――――――――



依頼人『いゃ〜幸福、私の耳に極まってましたなぁ〜。世にこれ以上の幸せぁありませんよ』


マ「――こんなに一途な忠犬は久しぶりよ。――またいらっしゃい」


 マリンは映像を消したまま仕事をするという予防策を講じている時がある。理由は不意に下品なものが映り込み視認してしまうのを防ぐため。


 今や並みの性風俗店に匹敵する程の人気を持ち、彼女の声だけを頼りに性処理を行う猛者は忠犬と呼ばれている。


 しかしながらAirgunが性風俗の経営許可など取っている筈も無い。なので本業から逸脱したこの依頼内容は、伏せられてくるのが前提だ。もし少しでも引っかかる表現があれば、受注担当者が突っ撥ねる。


 見事受注され自分に番が回ってきても油断は出来ない。依頼主は音声や映像、その他自慰行為に及んでいるという一切の証拠を残してはいけないから。


 如何わしきは罰せられる。そう分かっていても跡を絶たない忠犬と、マリンのWIN-WINな関係――通常の任務の報酬額を最大で10倍程も上回る金額が動くのは、トップクラスのチームか彼女くらいだ。


 半日で平社員の二、三日分を稼げる日すらある彼女には、好きな時に仕事を休める余裕がある。午後を丸々空けて忠犬がお預けを食らおうと、それすら両得となる。


玄「あっ、マリンさん! ――お疲れ様です、今日って、お昼ご一緒出来ませんか?」


 風呂敷に包んだ弁当を引っ提げてマリンを昼食へ誘う為やってきた玄凪と、後方から彼について来た園恵の同輩コンビ。とはいっても片方は物陰から様子を窺っている。姿を隠すどころか一つ宜しくと言わんばかりに頭を下げるあたり、まるで母親の様な立ち回りだ。


 マリンにこの誘いを断る理由は無かった。相手が弁当である事から早めに終わると踏んで、誘いに乗りバルコニーへ。


 念願だった二人での会話が叶い落ち着かない玄凪の男心は、あっという間に見透かされる。言葉が上手く繋がらずやきもきして、そこを宥められてはまた自身を客観視して落ち込むという、負のスパイラルを展開するチェリーボーイ。


 対するマリンは彼を冷静にリードする。


マ「そう、貴方一年前の社畜さんなのね。まさか本当にここへ来るとは思わなかったわ」


玄「そりゃあ、あんなとこで働いてたら死んじゃいますからね。マ、マリンさんのおかげですよ。はは……」


マ「――放牧なだけマシってことね。貴方ほど飼いやすそうな社畜はそうそう入ってこないもの、きっと上の人達も喜んでるわ」


 ヘラヘラと笑って受け答えられるのも、放牧がもたらす錯覚か。数年に渡って調教された社畜に新天地の解放感は、さながら薬物が如く駆け巡る。


 彼は今、幸せかもしれない。彼女達の様に錯覚から覚めた時、それでも入社時の意志を保ったまま仕事が出来るのか、はたまた手遅れな程に蝕まれてしまっているのか。


 玄凪を先輩として支えたいという気持ちはマリンにもある。相談に乗るのもその一環だと彼女は一定の距離を測るが、その距離感が玄凪には堪らなく焦れったい。


 焦りは禁物と自身へ言い聞かせる様に深呼吸を挟む。箸の進み具合は普段よりも遅め。会話中彼女と目を合わせる事すらままならず、弁当を見つめたまま時が経っていく。


 話題も無限にある訳ではない。マリンの方から続けて話が振られるも、返される手応えの無い反応は場数の無さ故。段々と振られる内容が淡白になっている事に気付いた玄凪は、このままではまずいと自ら切り出す。


玄「あ、あの! マリンさんて彼氏さんとか、います?」


 飛び出した百六十キロ越えの直球に面食らうバッター。しかしそれはキャッチャーミットではなく明後日の方向を見ながら投げられていた。


 弁当から唐揚げが指で摘み取られる。


マ「――ええいるわ。白米が恋人よ」


玄「えっ、は、白米ですか?」


 肩透かしが決まったところでマリンは席を立った。食らった当の本人はそれを肩透かしだと思っていないらしく、残った白米を見つめながら、次は彼女の食好みに合わせて焼肉食べ放題のお店に誘うのもありかもしれないと思案していた。


 予想外の形で昼食を取る事になったものの予想通り時間は掛からず終わり、彼女はとある待ち合わせ場所へ直行する。


 人目を避ける様にして路地裏に集まるラブホテルの中でも、飾り気の無い一棟がいつもの待ち合わせ場所となっている。


 静まり返った部屋へ溜め息を持ち込むのもいつもと変わらない。


真「――当ててみせよう。新発売のサンドイッチを買いそびれたんだろ?」


マ「それだけじゃないわ。久しぶりに一途な忠犬と触れ合ったのよ」


 白昼に都会の喧騒から抜け出した二人のまぐわいを知るのは、窓の外を通りすがる烏のみ。足下を埋め尽くさんばかりの豊富な食事情に彼かの種の繁栄をおもう烏はいても、ごみ袋を漁る烏に種としての停滞を覚える人間など極めて少数だ。


 野鳥が寝ぐらへと飛び去つ夕暮れ時となり、差し込む西日が眩まばゆく部屋を満たす。後戯にはやや強めとなったそれを真九がカーテンで遮り、光度自在の照明に代役を担わせた。


 この為に離れたほんの一時さえも見逃さず、寂しさは瞬く間に残された方の内で急増せしめる。引き止めたい欲は押し殺せても、嫌みの一つくらい漏れてしまうのが人というもの。


 それを心情を推し量るにいい材料だと見るか、過度に汲み取り口実にして反撃するかで、人としての度量が表れる。Airgunへ勤務する者ならばこういった場面で真っ先に前者を選べて当然だ。


 マリンから一言も謝る発言が無い事に真九が一切角を立てないのは、今に始まった事ではない。一般的に当たり前とは言えないこの流れが通用する事実を知れたからこそ、二人はここまで関係を深めるに至った。何故ならその事実は今のこの国に於いて人並み以上の思考力と教養を保証している。


真「――忠犬が性欲処理に使う五万円で、モンパチでは百八十連ガチャが出来るんだよな」


マ「一週間空けてみる? そうすれば貴方も私に課金したくなるはずよ」


真「――なぁ、悪いことは言わない。早めに引いた方が身の為だと思うぞ。折角新しく入ってきた二人もいることだしさ」


マ「ならその分、誰かさんに稼いでもらわないと困るわ」


 マリンが法に抵触する程の事を数年に渡って続けている理由は一つだけ。水商売の様に身体を売る必要は無く、それと同等以上の金額を貰える今の仕事内容は貯蓄したい彼女との相性が良い。


 本人が不満を抱いていなかったとしても、周りから見れば危うい領域に足を突っ込んでいるのは確かだ。彼女がそうまでして貯蓄に拘るのは、退職後までを見据えてのこと。


 まだ豆粒大の蕾、その中のたった二つに大輪の予感を寄せて、散った花々は朽ちるのを待つのみ。花々の養分が樹木を介して注がれている事を、蕾は知る由も無い。

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