第10話

龍「走りたいのは分かった。でもよ、この[撮られるのが嫌]ってのはどういうこった?」


 短距離走界隈ではセパレートユニフォームを着用して競技に臨むのが主流の中で、佐凛ら学生の大会には撮り専を名乗り撮影の為だけに会場へ訪れる者達が山程いる。彼等によって撮影された写真を纏めるサイトも立ち上げられるなどし、スポーツの楽しみ方の一つとして社会では黙認されていた。


 だが撮られる側の女子アスリート全員がこの行為を良しとしていた訳ではなく、撮影された性的画像の数々とその拡散にデモ活動が行われた事もあった。


 佐凛が走れなくなった理由は他でもない性的画像の拡散であり、それに対する考え方を見直したいが為にAirgunを頼ったのだった。


龍「――走りに集中出来ないと。なるほど。んー、やっぱお前の言う通り自分を変えるっきゃねぇよ。あ、俺は回りくどい言い方ができねーからそこんとこよろしくな」


佐「…………いせたん」


 このままでは走っている十数秒は勿論、会場入りしてユニフォーム姿になりトラックへ出るまでにも邪な視線の気配に怯える事となり、競技どころではない――自身の競技人生を狂わせた視線の持ち主達へ復讐したい気持ちは山々ながら、佐凛はそれが口を吐かぬよう噛み殺した。


 彼女からの依頼はカウンセリング寄りのものだ。確かにAirgunは彼女の様な人々を救う為に設立されたが、当初はここまで仕事内容も多様ではなかった。カウンセラーは現存するもののその九割以上が取り合えずでの精神安定剤処方に奔る事から、カウンセラーの信用は地に落ちている。


 こうなった原因を探れば必ず上がる声――それはカウンセラーは悪くないというもの。一割弱に入る者達と他との差は大きく見れば一つだけ。カウンセラーが依頼人と会話を成立させるには彼等が依頼人の言葉を聞き取り、依頼人を傷付けない言葉選びで、且つ極力近しい語彙力で接しなければならない。


 これが出来ずに時間だけが過ぎた結果、薬物の処方へ奔った様に捉えられてしまったのだ。


 佐凛はとっくにカウンセラーへ見切りをつけていた。相手がAirgunならマシな相談が出来ると踏み、カウンセリングを辞めて以来そのままの言語力をフル活用、自身の悩みを打ち明けた。


 それを資料と照合しながら聞かなければ真面に理解するなど不可能に等しい。龍五の手元にある資料は佐凛が被害を訴える性的画像と、日進月歩の難解な若者言葉を纏めたもの。


 写真には際どい物こそあれど直接恥部が写り込んでいる物は無い。その写真よりも嵩がある「若者言葉大全17」のページを行ったり来たりで、龍五の手は荒ぶっていた。因みに「いせたん」とはI see了解ですを当国語風に派生させた言葉である。


佐「――てんじっすてな感じです。わしょいど?私はどうすれば?」


龍「――えーっとだな、わしょいどわしょいど……おお、はいはい。そうだな、エピ最終的にお前が、脳生脳死の汎用的対義造語してる証として、えーネマイン新しい考えを――」


佐「いーいやよんでいよ寄せなくていいよ。わる分かるし」


龍「――ん、そうか? まぁ要は俺の考えを言うから最後には自分の客観的な考えを持ってくれってこった」


 手始めに龍五はユニフォームの種類とそれぞれの長短に触れた。一見陸上部に所属している者へは必要無さそうな話でも、暗黒世代には身になる知識である。


 何故セパレートユニフォームを着て走っていたのかと問われた佐凛は、それが記録を縮める上でも一番効率が良いからと答えた。実際、空気抵抗が抑えられる一方で長時間の着用は締め付けによる血流への影響が起こる事から、このユニフォームは特に短距離走の選手に好まれている。


 背に腹はかえられない。記録を伸ばす為なら多少露出が増えようとそちらを選ぶ。でも自分の身体は撮らないでほしい――それは選択肢が狭いとはいえ誰に強制された訳でも無く自ら選択した事実を棚に上げたか、或いはアスリートとしてまだ未熟な者の言い草だった。


龍「――そこで撮られた写真が性的なもんだとは限らないだろ? 競技後にカメラ見せてもらってんのか?」


佐「ネット。専専門のあるし」


龍「――自分からわざわざ追っかけてんのかよ。そんなに余裕あるならプロになっても大丈夫そうだけどな」


 佐凛に心のゆとりは無かった。彼女はいつの間にか広がっていた自身への視線に性的なそれが混じっていると知って以降、その実態を少しでも把握することで行動を見直し、同様の写真を撮影されないよう心掛けてきた。小学生から続けていたルーティンを崩し、一年生の秋頃からは減量に取り組み、ユニフォームをランニングシャツ、パンツへ変えた時期さえあったのだ。


 佐凛は自身を変える為の努力を惜しまない人だと認めた龍五。ただ龍五が引っかかったのは彼女がそれらの行動を起こした動機について。


 全てはかつての様に風を切って走り記録を更新したいがため――龍五は彼女の本心を疑ってはいないが、それが一連の動機だとも思ってはいなかった。曰く、今回の努力をするに至った動機は走りたい気持ちではなく性的画像の撮影にあり、一つ一つがそれに対する防衛策に映ると。


 振り回されている自覚が無かったのか佐凛は弱気に否定したが、更に言葉が付いてくる事はなかった。


 龍五が描くアスリート像は会場や気候、場内の雰囲気は勿論、ファンやアンチの声に左右されない確固たる自信と自我を有した人種だ。彼から見たこの時の佐凛は、自信はおろか自我すら迷走しているようだった。


 それもそのはず。陸上競技を始めたきっかけは小学生の時に周りより少し足が速かった彼女への親の勧め。言われるがまま続けてきた彼女は中学生に入って自身の力量を自覚し、ここで初めて記録更新の喜びに気付いた。そしてこの喜びがモチベーションとなって、全国一位という成果を出すまで陸上競技を続ける事が出来たのだ。


 だがそれは裏を返せば他者の意思に基づいた行動を感情でやり遂げる、一歩間違えばアンドロイド以下の所業だろう。


 ここまでの人生で数え切れない程あった選択の瞬間に自ら選び取る事を繰り返してきたと信じていた少女の目には、涙が浮いていた。


 これには流石の龍五も気の毒に思えて佐凛を気遣う言葉を必死に並べ立てたが、龍五の想像以上に彼女は強かった。涙を溢すまいと腕に拭いとって開けた視界には、トラックでゴールだけを見据え疾走する自身の姿。


龍「――あー、あのな。まだまだ若いんだし、何にせよこれからだ。『己が生を他人あだびとにて成す。これ正に愚の骨頂なり』って、偉人も言うくらいだしな」


佐「――なんそれ。良いね」


 対談を締め括った少女の笑顔を、龍五は今でも記憶に留めている。それはこの笑顔を超える輝きを、彼女がトラックから届けてくれると信じているから。


 何処から情報を嗅ぎつけたのか撮り専も駆け付け、各々選んだ場所からカメラを構える。特に出走位置の後ろとゴールテープを挟んだ反対側の客席には、大挙して客席を埋めていた。


 陸上競技の花形である百メートル走、その県大会決勝。ここまで勝ち上がるとそのスポーツ一筋という者も増えてくる。だがレーンに立った彼女達には、一寸隣りにいるのが予選一位だろうと前回大会優勝者だろうと、記録保持者だろうと関係ない。


 トラックは常に選手達を平等に扱う。号砲が鳴れば、そこは自分だけの晴れ舞台。

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