第8話

 入社から二週間が経過したこの僅かな期間で、Airgun職員としての自覚を体現出来ている新入社員は殊の外少ない。なので階段に上下階を繋ぐ通路以外の用途を見出だしている者がいると、その彼等は褒められる事になる。


 今年も優秀な社員が入社してきた事を微笑ましく思いながら、また人によっては懐かしさを感じつつ先輩達も仕事にかかる。


 英彦星は近所の校庭の桜を眺めて、新入社員として参加した日の花見を昨日の事の様に思い出し、過ぎ去った時間へ想いを馳せていた。そしてこういった時間の過ごし方をする様になった自身を悲観する。


 彼にとってこの季節は郷愁を呼び覚ます要素が多い。初々しい社員や時花の芽吹き、半年かけて見た海外ドラマの再放送開始等々、毎日が懐古の日々だ。仕事に私情を持ち込む程彼は若輩者ではないが、年齢を重ねるに連れて気持ちの切り替えに時間を要するようになってきた。


 チームに新しい風が吹いた今年こそ退職の潮時かもしれない――思い切って他のメンバーに後を託し一線を退くべきか、もう一年、チームの新しい後輩が育つまで留まってみるべきか。諦観と一縷の望みの狭間で、彼は葛藤していた。


 この季節を沈痛と過ごすのは彼だけではない。進学と同時にバイトを始めた者達が社会の洗礼を受ける時期でもあり、国中の若者からの依頼が急増する季節に、当社の職員達への負担は膨れ上がる。


 それを社屋外周の高雅な庭園に置いて帰るのも彼等の偶の憂さ晴らし。急遽昼の仕事が取り消しとなった満は、飛び込みの客を待つ訳でも無しに、お気に入りの構図で庭を眺める。


英「一人の時間が身に染みるお年頃になってきたんじゃない?」


満「はは、そうですね。二十年前の私を許してあげて下さい」


英「別にやり返しに来た訳じゃないのよ。偶然貴女が下に来たから、寂しがってる蛇の世話でも頼もうかと思ったの」


 チーム結成時は彼等二人から始まり、今ではメンバー各々が特色を持って任務に当たるチームへと成長した。己の信念を曲げずに勤務し続けてきた英彦星の献身無くして、ここまでチームが拡大する事は有り得なかっただろう。彼の入社から実に三十年余りが過ぎ、着々と同志は増えている。


 それでも、大志の実現へ歩みが進んだ事実に手放しで喜べる状況にあった事は、唯の一度も無かった。


 成功と失敗が繰り返され、彼等のその歩みは牛歩を極める。若き日の英彦星に宿っていた、先陣を切る孤高の気勢は今は見る影も無く、最早彼を突き動かすのは仲間の存在と惰性のみ。


満「――私だって星さんがいなかったらとっくに辞めてますよ。――先日入った玄凪君なんて、私が追いかけてきた星さんそっくりの雰囲気を持ってて、若々しいですけどやってくれるんじゃないかって」


英「……あら、貴女が寂しがる時にはもう私いないと思ってたんだけど」


 いつ朝日が差し込むかも分からない無窮の夜空を見上げ、数える程の脆弱な星灯りを見つけ出す様に、信をなして儚い希望を繋ぐ。何処かで夜明けを夢見た名も無き先人達から絶え絶えに、茫然と意志が受け継がれていたという憶説が、現実味を帯びる日も遠くないと願って。


 意志を託すにはまだ時期尚早と言えるのも事実だ。それを直接届けるには少なくとも、相手が依頼を熟せる様になり、そして一人前である事を証明しなければならない。


 そんな事とは露知らず、玄凪は鞄に入れ忘れた弁当の代わりにコンビニで昼食を買っていた。


 このコンビニの弁当の白米はかなり硬めに炊かれているが、仮にそれが食べる時には基本的に冷めている弁当の冷やついた米を再現しているのだとすれば、これを製作している機械の限界だったのか、或いは冷めた米を食べた事の無い人間が関与して作られているのだろう。


 玄凪はこのコンビニの弁当が温める事を前提として作られている事に気付かぬまま、温めてもらえるサービスの僅かな時間すら惜しんで社屋へ戻る。


 真ん丸と握られたおにぎりを頬張る園恵の隣りに着き、一口目にして急いた事を後悔しながらも食の手は止まらない。


 時を同じくして学校でも、生徒達が昼食の時間を迎えていた。他人が食べている物はやたらと美味しそうに見えるもので、生徒達が弁当を食べ始める前に友達とおかずを交換し合う光景は日常茶飯事だ。


 父親が丹精込めて作ってくれた弁当の蓋を開ける瞬間は、天舞驪が最も学校で楽しみにしている事の一つでもある。全てのおかずが手作りで用意される彼女の弁当には、熱心なファンが二人いて、毎回おかずの半分以上は交換されている。


 外食店とも遜色無いと賛辞が送られる父親作の弁当。照れ臭くありながらも謝辞を抱く娘。


 例によって彼女達の会話は複雑怪奇をいく。話している言葉の意味は分からなくとも、雰囲気だけは伝わるのがまた不思議なところ。古代を生きた人々の中にも、文字が発展していく過程で園恵や玄凪と同じ気分を味わった人がいたのだろうか。


 昼食後は生徒達に与えられた一番長い休み時間――生徒達にとっては束の間の昼休みがやってくる。体育館は一つしかなく、彼等に人気の遊びは軒並みボールを使ったもの。体育館に仕舞ってある遊具を閑散としたグラウンドに持ち出し遊ぶという発想に至り、それを実行に移す者は全くいない。


 遊ぶ場所と遊具の争奪戦へ突っ走っていく生徒達の慌ただしい足音が、階下から反響する。その中に階段を登り来る音が紛れていないか警戒しながら、天舞驪は屋上への扉を背に座って話し込んでいた。


天「――友達と話す他は、特に無いけど」


園『そっかー……あのね、ここからは天舞驪ちゃんと相談して決めようと思ってたんだけど、今のままで続けていけそう?』


天「どーいうこと?」


 園恵は環境を変える事の重要性について説き始める。人が変わるには行動を起こさなければならず、アプローチの仕方は時間分配の見直しや住む場所など人それぞれ。


 どれほど強く気持ちに火を焚き付けようとも、何もしなければ時間経過で消える事は必然である。何故ならその火の燃料こそ行動によって生まれるものだからだ。


 現環境へのストレスに小学生の身一つで耐えている状態を園恵は憂慮している。今は問題無く生活している様に見えても、それは単に限られた行動範囲の中で我慢しているだけかもしれない。そして苦悩の末自らの力で最初に辿り着いた「環境を変える行動」が、必ずしも命を伴わないとは限らない。


 幸運な事に救いの手が差し伸べられた天舞驪は、長らく燻ぶっていた蟠りを取り除くには良い機会だと考え、まずは友人達と話し合う決断をした。


 教室で喋くっていた所を手招きして誘い出してきた天舞驪の神妙な面持ちに、友人達は顔を見合わせる。


天「まず聞いてほしいんだけどさ、いっつも早く話すじゃん、私達。で、疲れちゃってさ……だから、それやめたいなーって」


友人A「――え、いや……」


 突然の申し出に友人二人は戸惑いを隠せない。しかし彼女達の沈黙は事を理解しようという努力の時間ではなかった。


天「わがままで悪いけどさ、出来れば――」


友人B「分かんない? 伝わてたんね? つまんないの?」


友人A「てない。いごりふ」


 瞬く間に普段の調子を取り戻すと、友人達は耳障りも甚だしい単音会話を繰り広げながら、天舞驪をおいて去っていった。


 すぐさま園恵がフォローに入る。彼女には友人達の言葉の意味を全て理解する事は敵わなかったが、それでも天舞驪の心境を押し量るに難くなかった。


 ただ、その天舞驪本人はというと友人達に思いの丈を打ち明けた事で楽になったのか、全く相手の振る舞いを意に介しておらず、園恵と通信している携帯端末で自身を映しながら話す余裕を見せる。


 これからは気楽に学校へ通えそうだとして園恵に感謝を述べると、伝言を彼女に任せた。通信はその後に終了し、精悍な一人の小学生は午後の授業へと歩を進める。

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