第6話

 由緒ある国立校へ通う生徒の朝は、校門で先生と挨拶する所から始まる。大きな声で「おはようございます」と言うのが日課であり、挨拶は基本中の基本とされている。学校へ入る為に取り敢えず言っておけば良い言葉として、今日も先生と口々に朝の儀式合言葉を交わしてから、学び舎へと入っていく。


 先生が立つ位置の向かい側を通り、且つ他の生徒と同時に校門を通過する事で、天舞驪は毎回この流れを意図的に飛ばし校舎へ直行しているのだ。


天「ねぇ、何かあったら休み時間ね(小声」


 三階の教室までを行く間に発声や表情筋の準備運動をする天舞驪。温存してきた体力を注ぎ込む用意が出来ると、踊り場から三階へ駆け上がる。


 友人と会うまでは極力挨拶のみで済ませたい彼女の本心を、同級生もそこはかとなく察してすれ違っていく。


 開けっ放しにされた引き戸はレールのみで不可視の結界を張り、別空間とを隔てているかのよう。その向こう側へ踏み込むや否や――


友人A「――あ」


三人「よ!」


友人A「る?」


天「まぇ」


友人B「だよ――」


三人「ねぇ〜」


天「マジ――」


三人「てん〜(笑い」


友人A「さいなき!」


天・友人B「そ!」


天「はよー」


 矢継ぎ早も矢継ぎ早たり、ただでさえ短い言葉の真意は発せられた瞬間から秒を争う勢いで解釈され、静まる時間を恐れるあまり直ぐ様発言が被せられていく。


 その速さたるや学級随一を誇り、他生徒が一つの話題を消化する間に三人は二つ三つを平気で語る。そんな彼女達へ他生徒が向ける眼差しは、憧れから敬遠までが入り混じる混沌としたもの。


 当の本人達の中で負の眼差しに気付いているのは天舞驪だけだ。彼女の友人二人は、合唱時に沸き起こる一体感の様なものに浸りながら、会話のボルテージを上げていく。


 この光景をモニターの前で見ていた園恵は、自身の幼少期の環境から更に深刻化した教育現場を目の当たりにして、言葉を失っていた。


 今の教育環境を深刻と捉えるには、これの何がどの様にして抜本的な社会の改善に悪影響を及ぼすのかを知っていなくてはならない。玄凪も眼前の映像に唖然としてはいるが、関心は会話の速さと成立にある。


 園恵の言う「悪化」が意味するのは他でもない、当人の間でしか機能しない言葉による、ほぼ当人達にしか正確に伝わらない会話の成立。このまま行けば共通語を真面に話せる自国民が減少していき、果ては若干の年代のズレや育った地域の違いによって会話が通じなくなる、賽の目社会が訪れると言われている。


 言語崩壊の一歩手前にある、いつ手遅れとなるか分からない現状を二人は注視する。


友人B「――んまんま」


友人A「やまい」


天「ね」


友人B「みーりんま――」


担任「おーう朝だ座れー」


 教師の一声が騒めきを消し去り、生徒達はそそくさと各々の席へ。恰も異世界へと誘われたかの様に気抜けする園恵達も、ここで一呼吸入れて漸く我に返る。


 Airgunでの業務を通じて親世代の道徳向上を図る事を目標に据えている園恵に、社会の現実を再認識させたのは被教育者の子供達だった。途方もない道のりに思わず溜め息を漏らす。


 そんな彼女や彼女の仕事よりも気を引く存在が視界に入ったとあれば、玄凪の目に留まらない筈もなく。前庭を通って出勤してくる社員の姿が増える時間帯となり、既に某職員は浴衣姿で茂みへ向かいしゃがみ込んでいる。玄凪が注目したのはその百花繚乱のド派手浴衣ではなく、英彦星と共に出社してきたマリンのほう。


 真剣な表情で言葉を交わす彼女に、玄凪の視線は届いていない。


園「どーこを見てるのかな〜。ふーん、ほっほぉー」


玄「いやいやほら依頼の真っ最中なんですから余計なことしないで下さいよ! てか見てなくていいんですか?」


園「確かにそうだね、よく分かってるじゃん。あ、多分マリリンここ通るから、挨拶がてらこれでも渡しなよ。――これマリリンの好きなお菓子」


 一度は断るもマリンの好物という話を聞くなり態度を変え、一口大の砂糖菓子を手に取る。


 仕事仲間として関わってきた女性はいれど、彼の半生において異性の友人は一人だけ。行動原理が「仕事仲間から話を聞きたい」願望から本能へ、「気になる異性」へと移ろっている事に気付かない要因の一つかもしれない。


 やってきたマリン達をきっかり四十五度最敬礼で迎える。そして手に握った砂糖菓子を初々しさのままに差し出した。手汗で蒸されていたとも知らずに。


 開いた手から逃げていく湿気でそれを察する。微妙な反応と、一言も発さない彼女から勝手に圧力を受けて、出した手を引っ込めかけた時だった。


 砂糖菓子の幾ばくかの重みが手の平から除かれ、同時にすれ違っていくマリンを内心笑壷に入りながら振り返る。彼女は砂糖菓子を包むナイロンを摘み上げて、貰っていくと言わんばかりに揺すっていた。


 去り行く彼女達の後ろ姿をじっと見送りながら、初対面での失態を取り戻せたのではないかと一人喜ぶ。玄凪が淡い恋心に翻弄されているこの間に、学校では一時間目が始まろうとしていた。


 授業は国語。生徒同士の交流に朝から度肝を抜かれた二人だったが、国立校である当校の授業内容や生徒達の授業態度まで心配する必要は無いと考えていた。


 ところが授業が始まると、現代において国立であるという事が如何に期待できないかをまざまざと見せつけられる。


 授業は今や眼鏡型端末によるARを用いた、黒板や教科用図書、ノートや文房具要らずのものとなった。教材である端末の最新型が発表されれば、たとえそれがマイナーチェンジであっても最新型を常に取り入れ、新入生へ販売している。使用している教科書――教科用電書の略――も勿論検定済みの物だ。


 しかしそれらを扱い教える立場の教員はというと、最新の教育機材は彼等の手に余る上、一部生徒の怠慢や迷惑に対する指導を諦め、挙句碌な解説を伴わずに授業を進行させている。


国語の教師「――ながーく接続詞やったけどさ、正直分からんくても大丈夫。伝わるっしょ? 俺ほぼ使わんし」


 教員人材の育成失敗が囁かれる中、人に代わる教員アンドロイドの開発は大詰めを迎えている。国が示した指針はアンドロイド開発の促進であり前者への目立った対策が為されなかった事から、巷では教員アンドロイド導入が間に合わず義務教育を受けた世代を暗黒世代と揶揄する者も多い。


 天舞驪は自身の立場を重々把握している為、教師の言葉でさえ日頃から疑いを持ち、本当にそうなのか、何故そう言うのか、これまでと照らし合わせてどうかを帰宅後独自に纏めている。


 斜め前の生徒の指の動きは、明らかに文字を書いているそれではない。自分だけの空間で自由に筆する事が出来るとあらば、より楽しい時間の過ごし方を模索したり自らの夢に向かって邁進したくなるのが子供らしさだろう。


 我が子が思い詰めていて万が一の事があったりしたら――園恵は依頼を悲痛に受け取り、今までに無く万全の状態で臨んでいる。一方で衝撃的な教育現場に身を置きながら、日々真面目に勉強している天舞驪が逞しく見えているのもまた事実。


 教師の質を心配しつつもそこまではお門違いだと自らに言い聞かせて、玄凪と共に引き継ぎ授業の様子を見守る。

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