第3話

 運転しながらも弱音が止まらない男と、彼を助手席から必死に励ます女――甲斐 颯太と井上 百合琳ゆりん。百合琳の両親へ結婚の挨拶に向かう道中、失敗出来ないという緊張感に我慢の限界を迎えた颯太が、Airgunへ手助けを求めた。


『おはようございます、株式会社Airgun所属、柊 真九です。今日は宜しくお願いします』


 依頼主と接触した職員は状況の確認から入るが、当日客を引き受けている者の中でも、取り分け真九の様に飛び込みの客を主としている職員は、少しでも多くの情報を共有するところから。


 Airgunが提供するサービス、それは依頼主のSAN値を正常な値に保つこと。受けた精神的苦痛を和らげ、また事前に想定される困難への対処法を伝授し、依頼主が無事に目的を達成出来るよう支える。それが当社の役目であり、その最前線でこうして依頼主の不安に寄り添っているのが櫂無かいな局の職員達だ。


 コンビニへ立ち寄る一行。娘の百合琳から最悪の世代の範疇と目される彼女の父親に、颯太は会わずして恐々としている。


 彼女の親の世代から三世代前の間で、干渉する放任主義の親が激増し、育てられた子供は何かあれば守ってもらえると学んだ。成長するにつれ自らを守ってくれる存在の範囲は権力者へと拡大していき、業務の多忙さから何時しか警察は軽微な犯罪には目を瞑るように。


 それ以前から二極化が進んでいた国民は自然に、強者と弱者へ分かれた。


 自衛の術を知らない弱者である颯太へ、中間に位置するAirgunの職員として真九は先ず、相手の立場、そして発言に対する解釈と受け流し方を伝える。


真『――門前払いされたなら会話の意思が相手に無かっただけのこと。君には任せられないと言われたら、百合琳さんが自分の意志で結婚を決めた旨を伝えましょう』


颯「はい……そうですね」


真『それから、お父さんを見下す訳ではないですが、もし突拍子もない言動で相手が振る舞う様なら、それはチャンスと捉えるのもいいかと』


颯「……チャンス、ですか?」



      ―――――――――――――



 広大な稲作放棄地の再開発が進む郊外。米農家として代々受け継いできた田地も担い手がいなくなり、そこへ持病に追い討ちを掛けられ農家を引退した乃父がいた。


 仕切奴ばらんは物心ついた頃から稲作を手伝ってきた思い入れの深い地を、自分の代で明け渡さなければならない事に納得していない。体調が少しでも上振れれば開発現場へ抗議に行く位には精力的だ。


 この日も彼は、事前の予定さえ無ければ抗議の声を上げるべく外出していただろう。晴らせなかった鬱憤を将棋の一差し一差しへぶつけて、娘の帰宅を待つ。


 そこへガラガラと玄関の扉が開き、「ただいま」の一言が響く。聞き流すつもりでいた仕切奴の気を、立て続けの男の声が鋭く引き、仕切奴の関心は将棋から少しばかり響いてくる会話へ。


百合琳の母「あらぁゆーちゃんお帰りなさい。――隣りの方は?」


「初めまして、甲斐 颯太です。百合琳とは、兼ねてからお付き合いしてまして、それで今日は結婚の挨拶に伺わせてもらいました」


 結婚――この手の会話でその言葉が出た時が、姿を見せるに最も良いタイミングだと仕切奴は確信している。


 玄関正面に位置する廊下、その最奥の襖がバコンッと開いて、根強く不変の父親像を体現しながら出てくる仕切奴。颯太はすかさず挨拶するがそれを視線以外の全てで受け流して、居間へと二人を引き入れた。


 母がお茶請けを用意する間、呼吸に回数制限でも設けられたかの様な尋常ではない時間が二人に――特に颯太へと――訪れる。ただこれを打開する術を真九から受け取っている彼は、自ら仕掛けた。


颯「百合琳のお父さん、これなんですけど先日出来たばかりの洋菓子店の無花果タルトが私達のお気に入りでして、是非食べていただきたいなと」


仕「……百合琳は気が利くな」


 颯太は真面に取り合ってもらえずつい尻込んでしまうも、それに気付いた百合琳が素早く活を入れる。


 相手と距離を感じたら自分からそれを埋める努力をするべき――弱気な颯太へ真九が授けた一つの知恵が、此処ぞとばかりに発揮される。突き放された勢いで自らの足で後退しては距離も開く一方。かといって相手の反応を読み違えては取り返しのつかない亀裂を生じかねない。


 そうならない為の「木戸に立てかけし衣食住」であり、手土産でもある。昔から受け継がれてきた不器用なりの工夫だ。


真『受け答えをしてはもらえませんが、遮られる訳でもない。今のところ順調ですよ』


 共感覚を持つ真九は、居間にいる彼等の発言や仕草を見聞きして引き起こされる色に尖りが無いと判断し、様子を窺うことに。


 母が丸盆に人数分の茶とお茶請けを用意して戻ってくる。彼女に対し颯太が受けた第一印象は父へのそれよりも好感が持てるものだった様だ。手土産の話題から入り、馴れ初めへと移っていくまでとても自然に会話が出来ている。先に仕切奴と時間を過ごせたのも大きい。


 謙った言葉遣いを意識的に避ける颯太。百合琳の的確なフォローもあり、穏やかな雰囲気で事が運ぶ。


 それは徐々に颯太の人となりも知れ始めた矢先の事だった。玄関の扉が開き、再開発事業担当を名乗る職員達が声高らかに訪問してくる。


仕「――ッ! また彼奴等か!」


母「――ごめんなさい、少し空けますね」


 仕切奴は居間を出るや否や怒号を持って来客と対面する。


 何度目かの立ち退きの交渉へとやって来た職員達に、襖では到底防ぎきれない声量と抑えきれない敵意で拒否の意志を示す仕切奴。


真『悪いタイミングで来ましたね、あの担当さん達。――起きてしまった事は仕方ありません。お二人が戻ったら颯太さん、貴方は少しの間受け手に回った方がいいかと』


 議論や抗議というよりは最早ストレスのぶつけ合い。そしてそのストレスを生んでいる要因が、他でもない目の前にいる相手とあって歯止めがきかなくなってきている。


 主目的が変わりつつある玄関口の両者の動向に気を配りながらも、それはあくまで依頼である結婚の挨拶の成功を果たす為に。真九は襖の向こうで飛び交う大喝に萎縮する二人へ、淡々と案を呈していく。


 やがて、玄関の扉が閉まり撤退する職員の姿が遠ざかる。磨りガラス越しに気配を感じなくなるその時まで、仕切奴の恨み節が止むことはなかった。


 居間へ戻る仕切奴は殺気を孕んだまま、まるで悪鬼に乗っ取られてしまったかの様な形相で席につく。母が懸命に繕い百合琳もそれに便乗するが、固く一文字に閉ざされた口元が緩む事はない。


 そして偶然にも仕切奴が解き放った怒りは、彼が見本とする父親像を際立たせていた。その圧力は着実に、颯太へ積み重なる。


 堪らず逃げる様にしてトイレへと駆け込む颯太。


颯「――で、出直します。そうするしか無い」


真『まぁ落ち着いて、誰のものか分からないアンモニア臭を肺いっぱいに吸い込んで、クールダウンしてみるのはどうですか?』


颯「冗談言ってる場合じゃないんですよッ……!」


 颯太の心はいつ折れてもおかしくなかった。序盤の順調さと、颯太本人の意志の強さを信じ提案された態度の変更だったが、解き放った怒りそのままに仕切奴が戻ってきたこと、自身から話す機会を手放したこと、この二つが響き精神を乱す形となった。ただ幸い、この状況を打開しようという意欲は残っている。


 同じ手は使えず長期戦は不利な為、真九の案は直ぐに結婚の話題を切り出すというもの。颯太はやや躊躇うも、実行へと自らを奮い立たせた。

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